今月18日、秋田県鹿角市の山林で、男性の遺体を収容しようとした警察官2人がクマに襲われて重傷を負った。現場は、クマの行動範囲からみると、8年前の「十和利山クマ襲撃事件」現場とほぼ重なる。「このままでは、人喰いクマの被害が広がりかねない」。専門家は対応に警鐘を鳴らす。
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遺体は5月15日、タケノコ(チシマザサの若芽)採りに出かけたまま行方不明になった男性で、男性の遺体に近づいた警察官らがササやぶから飛び出してきたクマに襲われ、頭や両腕をえぐられた。再びクマに襲われる危険性が高いことから遺体の収容は難航、22日にようやく運び出された。
■クマは遺体を食料とみなした
日本ツキノワグマ研究所の米田一彦所長は、一連の対応を大きな危機感を持って見守った。クマが警察官を襲った理由が、遺体を「食料」とみなしたことにあるからだ。
「クマは遺体を『エサ』とみなすと、それに執着する習性があります。遺体の収容を『エサを取り上げられる』とクマは認識し、激しく攻撃するのです」
死傷者10人を出した日本史上最悪の獣害事件「三毛別ヒグマ事件」(1915年)をはじめ、遺体の収容をきっかけに、クマが執拗に人を狙ったケースはいくつもある。
そして、遺体の収容が遅れることで、別の危険も増すという。
「遺体を複数のクマが食べれば、人間の味を覚えたクマが増える。つまり、人間を『獲物』と認識する『人喰いグマ』が増え、また別の襲撃事件を引き起こす可能性があるのです」
■8年前の惨劇でも「食害」
2016年に発生した「十和利山クマ襲撃事件」がまさにそれだ。「人喰いグマが増えた末」の惨劇だったと、米田さんはみている。
同年5月21日、タケノコ採りに出かけたまま行方不明になっていた男性の遺体が発見された。
米田さんは現地入りし、後日、被害者の妻に聞き取り調査を行った。被害者の顔や左半身には多数の爪痕や噛み痕があり、内臓はなかった。遺体の損傷と、食べられたとみられる人肉の量から、複数のクマが関与していると推察した。
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■人肉の味を覚えたクマの危険性
クマは慎重な習性で、人を襲うことはめったにないとされる。だが、人肉の味を覚えて人間を食べ物とみなすようになれば話は別だ。そんな人喰いクマが複数出てしまえば、山中の危険はさらに増す。
「ところが、第1犠牲者の遺体に食害があったという情報が自治体と共有されなかった。知っていたのは、遺体を収容した消防団と猟友会、検視を行った警察だけ。地元の人々は複数の人喰いグマが徘徊していることを知らないまま、タケノコ採りに入山し、被害が拡大していったのです」
■犠牲者は増えていった
翌22日には、はやくも第2の被害者が出た。その男性が襲撃された現場は500メートルほどしか離れていなかった。
25日には、第1、第2襲撃現場から北東へ2キロほど、大きな谷を隔てた沢筋にタケノコ採りに出かけた男性が「帰ってこない」と通報があった。その5日後、性別不明になるほど食害のある遺体が発見された。
「3人目の犠牲者の捜索は難航しました。切れ込んだ谷の急斜面にササが密生し、見通しが極めて悪い。クマと遭遇して二次被害が発生する可能性も高かった。その間、遺体は何頭ものクマに食われたのです」
6月7日には、沢筋の事故現場から西へ500メートルほど離れた場所で女性が行方不明になった。10日朝に発見された遺体は、やはり性別が不明になるほど食害があった。
同じ日の午後になって、遺体の発見現場付近にいたメスのクマが猟友会によって射殺された。解剖の結果、胃の内容物の6割はタケノコで、4割は人肉と髪の毛だった。「これで事件は収束した」という空気が流れたという。
だが、死者こそ出なかったものの、その後もクマによる被害は続いた。先の死者4人に加え、最終的に重軽傷者4人。「十和利山クマ襲撃事件」は、「三毛別ヒグマ事件」に次ぐ史上ワースト2の獣害事件になった。
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■人喰いグマは1頭だけ?
ここに大きな疑問が残る。果たして、射殺されたメスのクマが被害者4人を殺したのか? 遺体を食べたクマはその1頭だけだったのか。
「重大な人身被害が発生した場合、加害グマを特定して除去し、さらなる被害を防ぐことが重要です。ところが、4人の死者が出たにもかかわらず、この事件では加害グマの特定が行われなかった」
そう米田さんは忸怩たる思いを語る。
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■クマの遺伝子と照合すべき
被害者の遺体には加害したクマの体毛が付着する。射殺したクマの遺伝子と照合すれば、加害したクマかどうかは明らかになる。
「遺伝子分析も行われなかった。北海道でクマによる死者が出れば、遺体から必ず体毛を採取します。人々の安全を考えるなら、関係機関の対応はあまりに不可解でした」
米田さんは、射殺されたメスのクマによる食害は、すでにあった遺体を食べていた「参加食害」であり、「主犯」のクマは「まだ捕獲されていない」と推察した。その根拠が、被害者たちの頭蓋骨の陥没だ。
「被害者の顔やあごが、クマの攻撃によりがっぽり取れることはよくあります。頭蓋骨が骨折するほどの攻撃力は、オスであれば体重80キロ以上、メスだと100キロ以上なければ難しい。射殺されたメスのクマは60キロ程度で、あれほどの傷をつけるのは不可能であり、ほかに攻撃したクマがいると考えるのが自然です」
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■ヘリの爆音で移動するクマたち
目撃情報からも、ほかにも食害に関与したクマは残存していることが強く疑われた。
事件の翌年、秋田県は十和利山クマ襲撃事件の影響から、クマの駆除を強力に推し進めたが、米田さんは十和利山に通い、関係者の証言を集め、根気強くクマの観察を続けた。
クマの世界には序列があり、大きなクマほど優位で、エサ場を移動することはない。米田さんは個体識別を行い、「推定に推定を重ね」、加害グマを2頭に絞り込んだ。
1頭は、第1、第3、第4の被害者を殺害したとみられる「スーパーK(鹿角の頭文字)」と名付けた84キロのオスグマ。もう1頭は、第2の被害者の遺体のそばで目撃された、子グマを連れた120キロ級のメスの赤毛グマだ。
■加害グマはようやく姿を消した
同年9月、スーパーKはデントコーン畑に仕掛けた箱わなで捕獲され、駆除された。
「けれども、メスの赤毛グマは生き残った。遺体の食害に参加したとみられる子グマは、親離れした後、牛小屋を襲い続けて駆除されましたが、親のほうはわなをかいくぐり続けた」
最近になってようやく、一連の加害グマは「いなくなった」という。
「赤毛グマは21年秋以降、現場で発見できなくなった。どこかで駆除されたのでしょう。断言はできませんが、事件に関係したと思われるクマはすべて姿を消したと考えています」
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ひと安心か――、そう考えていた矢先に起こったのが、今回の獣害事件だ。現場は8年前の第1、第2の襲撃現場から望める場所だという。
■「過去の教訓を忘れないで」
「8年前、警察や消防はヘリを投入し、現場付近をなめるように飛行して加害グマを捜索した。すると、ヘリの爆音に驚いて子連れの赤毛グマが逃げる姿が目撃されました。人喰いクマが移動することにより、別の場所でも人身被害が発生するのでは、と心配していたら、8年前はその通りになった」
今回も、捜索のためにヘリが投入された。ヘリに驚いて人喰いグマがすみかを移動すれば、被害が拡散する恐れも出てくる。
人肉の味を覚えたクマが増え、移動して危険地帯が広がれば、人々がさらされる危険が増える。
「第二の『十和利山事件』には、決して起こってほしくない。どうか、過去の教訓を忘れないでほしい」
そう、米田さんは訴えている。
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(AERA dot.編集部・米倉昭仁)
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