取材中にもらったパンの耳。小麦の風味や噛みごたえなど、パン耳にも店ごとの個性が光る(以下、写真はすべて大谷百合絵撮影)

「パンの耳でも食べて食いつなぐか……」。値上げ、値上げの物価高のなか、ふと思い出される究極の節約食材。一昔前のパン屋では、袋に詰められ格安で売られるパンの耳をよく見かけたが、最近はあまり見ないような。店が売らなくなったのか? パンの耳、どこ行った? そんな疑問を胸に、街のパン屋を取材すると、店側と客側それぞれの苦しい懐事情が浮かび上がった。

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 大量のパンの耳を売っている店があると聞き、東急目黒線の武蔵小山駅(東京都品川区)から徒歩約8分の「こみねベーカリー」を訪れた。

 朝9時の開店と同時に、店先に並ぶパン耳の詰め合わせを求める客が、次々とやってくる。食パンをスライスした際に余る両端の“面”が10枚ほど入った袋と、サンドイッチを作る際に切り落とした“こま切れ”が入った重さ2〜3キロはありそうな大袋。どちらも1袋108円(税込み)だ。

■パンの耳を買う理由

 なぜ耳を買うのか――。購入した人に聞いてみると、

「僕は食パンは耳派なの。ここの耳は香りがよくて何十年も通ってる」(70代男性)

「夫婦二人暮らしですけど、節約のために」(40代女性)

 とのこと。

「歯ごたえがあって満腹感があるのがいいのよ。私は、ベーコンを乗せてチーズトーストにするのが好き。前に喫茶店で食べたメニューを真似したんだけどね……」

 こう熱弁をふるった70代女性は、どの袋の耳が一番厚いか、数分間真剣に見定めていた。

 気になったのは、ずっしりと重たい“こま切れ”の大袋を抱えていく人たちだ。

 70代女性は「ハトにあげます」と言い、週に一度やってくるという70代男性は、「池のカモにあげる。ハトにはあげないよ」と話した。自分で食べる用ではなかった。

「こみねベーカリー」の店頭に並ぶパンの耳。棚下段の左側が食パン両端の“面”が入った袋、右側が大量の“こま切れ”が詰められた大袋

 一方、「電子レンジで温めるとカリカリになっておいしい」と話すのは大柄な40代の男性。2、3日で1袋を平らげるという。

「太りやすい体質なのでパンは控えたほうがいいんだけど、安いし、これが主食になっています」

■街のパン屋は倒産ラッシュ

 耳は「1家族につき1袋まで」のルールにしているが、社長の小嶺忠さん(54)によると、すぐに売り切れてしまう日も多いという。5年ほど前までは、年金生活者とみられる高齢者や、明らかに生活に困っていそうな客が買い求めることが多かったが、最近は主婦やスーツ姿のサラリーマンも手に取るそうだ。

 小嶺さんは日々、地域住民の暮らしがひっ迫しているのを痛感している。夕方時点である程度パンが残っている場合、タイムセールを行うのだが、最近は「まだ安くならないの?」と尋ねてくるなど、セール目当ての客が増えた。値下げされるまで1時間半待ち続ける客もいたという。

 そうした厳しいやりくりを迫られているのは、店側も同じだ。

 オーブンの電源はこまめに落としているが、電気代は増えるいっぽう。午後の時間帯はアルバイトの人数を2人から1人に減らしたが、昨年から最低賃金が引き上げられ、バイトの時給も上がっている。材料費の高騰もすさまじい。一斗缶(約18リットル)の油は以前3800円だったのが8000円に、パン生地に練り込む材料として買うインスタントコーヒーは、1袋1000円からいきなり2200円になった。

 統計の数字も、街のパン屋の苦境を物語る。東京商工リサーチによると、2023年度に全国で倒産した「パン製造小売」は、過去最多の37件を記録した。

「こみねベーカリー」社長の小嶺忠さん

「僕は親父の後を継いだ2代目だけど、自分の子どもに継いでほしいとは思わないよね」

 そう苦笑いする小嶺さん。このまま値上げラッシュが続けば、「菓子パン1つを500円で売る未来」もちらつく。しかし、「地域密着の店としてはなるべく値上げはしたくない」。

 求める人がいる限り、パン耳の販売も続けるつもりだが、かつてのパン屋で見かけたような「砂糖をまぶした耳の揚げパン」を商品化するのは難しいという。

「油の値段や人件費が上がっているので、割に合わなくて。耳は少しでも安く提供したいので、調理はご自身でお願いします」

■パン耳を見なくなった理由は…

 他店の“パン耳事情”はどうなのか?

 記者は2日間、道行く先のパン屋を10軒ほど取材した。すると、なんとすべての店で耳を販売、もしくは無料で配っていた。

 一見店頭で見当たらなくても、話を聞くと大半は「既に売り切れてしまった」とのこと。なかには「なるべくパン粉として店で再利用したいので、希望する方には“裏サービス”としてお渡ししています」という店もあった。

 最近パン耳を見なくなったという記者の印象は、パン屋が売らなくなったからというより、人気のためすぐになくなってしまうせいなのかもしれない。

 東急目黒線・不動前駅にある「ブーランジェリー アロー」(品川区) の店主・青地章子さん(40代)は、こんなことをつぶやいていた。

「日本もかつてはバブルだなんだと裕福で、パンの耳なんて見向きもされない時期もありましたが、今はみなさん喜んで持っていかれる。時代の流れだなと思います」

 今回の取材で、どうしても訪れたいパン屋があった。記者が幼いころに母親と通った、東急池上線・石川台駅近くの商店街にある「フォンデュベーカリー」(大田区)だ。約20年ぶりに足を運ぶと、記憶どおり、今でも袋に詰められたパンの耳が売られていた。

「フォンデュベーカリー」店主の藤本尚子さん

 こちらも記憶どおり、パワフルでおしゃべり好きな店主・藤本尚子さん(70代)は、あっけらかんと笑う。

「前は、誰でも自由にパン耳を持って帰れるようにしていたんですよ。でもお客さんたちが『申し訳ないからお金をとって』って言うから、今は20円でも100円でも、お気持ち次第でいただいてます」

「フォンデュベーカリー」の厨房では、パンの耳で作った黒糖かりんとうの袋詰め作業が行われていた。「今どきの高校生はカロリーを気にするから、油で揚げずに焼いているの」(藤本さん)

■900円のパンを“プレゼント”

 フォンデュは、創業約40年の老舗。薄利多売のビジネスモデルである街のパン屋が、時代の荒波に負けずに生き残っている秘訣とは何なのか。藤本さんに尋ねてみた。

「いやほんと、大変ですよ。うちはサンドイッチの具の卵サラダなんかも全部手作りで、コストはかかるけど、だからこそコンビニと差別化できる。あとは近所の幼稚園や学校に卸したり、花火大会やお祭りに出店したり、訪問販売も一生懸命やってます」

 だが、馴染み客風のネパール人の若い女性が店にやってきた際、フォンデュが長年愛され続ける真の理由が垣間見えた。

 女性「お元気ですかー?」

 藤本さん「まあなんとか頑張ってるよ。はいこれ、持って行きなさい」

 女性「いえ、いつももらってます……!」

 藤本さん「いいじゃない、いいじゃない」

 藤本さんは、クリームチーズが練り込まれた大きな塊のパンを丸ごと、気前よく女性にあげてしまった。値段は900円相当だというが、「採算は考えない。私、大雑把だから(笑)」と言ってのける。

「売れ残ったパンは、近所の消防団に全部あげちゃうの。夜、ちょうどお腹がすいている時間みたいで、持っていくとみんな喜んで、訓練をやめて全員出てくるから困っちゃう。かわいいのよね」

 店は繁盛しているようにみえるが、実際は「利益はそんなにあがってないよ」。それでも、地元に根を下ろし、多くの人と関わり合えることが何よりのやりがいだという。

 先の見えない生活難のなか、店と客が支え合う。街のパン屋の姿に、市井に生きる人々のたくましさを見た気がした。

(AERA dot.編集部・大谷百合絵)