練馬区長選に挑戦した25歳フリーライター SNSで叩かれても説く「政治のすゝめ」

練馬区長選に挑戦した25歳フリーライター SNSで叩かれても説く「政治のすゝめ」

 政治の基本といわれる地盤、看板、カバン――。そのすべてがない田中将介という25歳のフリーライター―がこの4月、練馬区長選挙(4月15日投開票)に挑戦した。



 精魂尽き果てるまで戦った結果、19782票を集めたが、圧勝したのはやはり現職。11%の得票率だったので供託金は返還されたものの、当選には遠く叶わなかった。

 そんな彼の選挙戦に密着したフジテレビ「ザ・ノンフィクション」(4月29日)が放送されると、大きな反響を呼んだ。「政治をなめるな」「一生出馬するな」……。励ましの言葉もあったが、SNSや個人メッセージなどでは批判が圧倒的だった。だが、後悔は微塵もないという。そんな田中将介が綴る「政治のすゝめ」とは?

*  *  *
 選挙が終わった2週間後の日曜日午後―。僕の選挙に密着した「ザ・ノンフィクション」がオンエアされ、テレビをスタッフの皆で囲むように見ていたが、空気がだんだんと重くなるのが手に取るようにわかった。一緒に闘ったスタッフの1人は夜、電話越しで泣いていた。こうした反響は僕自身も初めての経験だった。しばらくの間、寄せられた批判が夢にも出てきた。夜は眠れず、目覚めは悪く、ぐったりとしてしまう。誰かと話していても言葉は出ず、ため息ばかりが出た。それだけメディアの影響力は大きかった。と同時に、一部の情報だけを信じている人たちが多いことも改めて実感した。 SNSで反論したい気持ちが溢れ出てくるけれど、僕の意志とは違う。批判が事実と異なっていたとしても、ぐっとこらえるしかなかった。そんな様子を見て、知人は僕にこう言った。

「文句を言う前に『お前は本当に投票にいったのか』って言いたい。俺は必死になって頑張る人間を応援するよ」

 まず、投票に行き、政治に参加する。これはとても大切なことだと実感した。

■人生は時にブレーキも必要か?

「なんで区議選挙ではなく区長選挙なの?」

 よく聞かれるのがこの手の質問だ。


「国の規模ではできないことを地方自治で実現したい」「世の中を早く変革できる」「現練馬区長が72歳。対抗馬もいない。一騎打ちならば勝算がある」

 いくらでも理由は出てくる。けれど、僕の心の奥底にあったのは「社会の閉塞感をどうにかしたい」という切なる願いだった。

 膨大な書類の作成、手続き、政策づくり、ポスター・ビラの作成。取り組み始めたのは告示1ヶ月前。

 多くの知恵が必要だったため、知り合いに人を紹介してもらった。しかし、挨拶に行く度、「手段が間違っている」「最初は区議からだろ」「田中君、人生、時にはブレーキも必要だよ」とお叱りを受けた。身体が起き上がらなくなる日もあった。

 「区議なら公認を出すから区長選は現実的にやめておけ」という話もあった。

 それでも、これまでの敷かれたレールに沿った現実的な戦略では、社会は何も変わらないんじゃないかという思いが勝った。

 誰もやったことのない25歳での首長選挙への挑戦は今後、何か社会に大きな意味をもたらせると自分に言い聞かせた。

 幼い頃から野球一筋。高校卒業と同時に起きた東日本大震災をきっかけに、途上国や社会問題に興味を持ち、国際NGOでのインターンシップや、海外ボランティアに励んだ。もっと真実に近づきたいとメディアに興味を持ち、就職活動ではマスコミを志望するものの失敗。他業種の会社は受けず、そのままフリーのライターとなった。しかし、悲壮感はなかった。「絶対に自立する」と覚悟をもって大学を卒業した。

 しかし、その想いとは裏腹に、実績も経験もない僕に仕事があるはずはなかった。パックご飯と納豆の毎日。収入が月1000円以下のときもあった。貯金を切り崩し、不安で眠れない毎日、気がつけば毎朝5時に目がさめる。

■選挙は300万円あれば、出れます 

「世の中に何も価値を生み出していない」と自己嫌悪に陥った。希望と絶望の淵にいた半年間を経て、自分の名前で仕事がもらえるようになりつつあった。名の通った媒体に初めて原稿が掲載されたときは、何度も自分の文章を読み返し、反応を逐一チェックするほど心が躍った。少しは、人の役に立てた気がした。


 こうして、駆け出しライターのキャリアが始まった矢先に、入ってきたのが、練馬区長選挙の情報だった。出馬の決断までに時間がかかった。選挙を戦う不安よりも、仕事がない僕を拾い上げてくれた方たちに対し「裏切り」ではないかという申し訳なさが上回っていた。

 「応援するよ。いつでも戻っておいで」挨拶回りしたときにかけてくれた言葉を僕は忘れない。

 選挙といえば、莫大なお金がかかる。ある政治家に相談に行った際、スバリ本質をつかれた。

「本当に勝つ気でやるなら、最低500万円は必要。出るだけで満足ならば、それなりのお金でいいけれど」

 勝ちたい気持ちはもちろんあるが、資金にも限界がある。加えて、刻々と時間は迫っている。選挙の提出書類のサポートに入ってくれた方と話し合った。

「等身大こそお前らしさだ。選挙カーはいらない。メガホンはどうする?」

選挙に使う道具を選別し、「300万円」が選挙に必要な資金になった。

 ライターや学生時代のアルバイトで貯めてきた自己資金は200万円。あと100万円が必要だった。知り合いの経営者の顔が浮かぶ。しかし、頭から振り払った。まずは自分の親に借りた上で、さらに必要であれば友人を頼るのが筋だ。

 その前にまず、親に選挙に出るという旨を伝えなければ、と意を決して、母親に連絡をした。

「政治の道に進みたいと思っている。明日、夜ご飯のときに話す」

 迎えた翌日、話を切り出すのに、時間がかかった。不穏な空気が流れる中、「もうどうにでもなれ」と、話を切り出した。

「区長選挙に出ることにした」

 両親は「絶句」。全員の箸がとまる。それでも話していくうちに、なぜ息子がその選択をしたのか理解しているように見えた。しかし、そうではなかった。「もう決めているんでしょ?いくら必要なんだ?」諦めに近い感情だった。

 これまでもそうだった。大学を休学するときも、就職しないと決めたときも事後報告だった。こうして、両親は僕の決断を認めてくれた。いや、認めざるを得なかった。父親の一言ははっきりと覚えている。


「俺は選挙に出ることは恥ずかしいことじゃないと思っている」。

ふっと肩の力が楽になった。

 僕のスローガンは「好きが結集した彩りのある練馬に」。その下に3つのビジョン、20個の政策を掲げた。「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、「好き」の力は強い。その力が社会の活力につながれば、社会は大きく前進するのではないかと思っている。そして、もう一つこの言葉にこだわった理由があった。

 人の揚げ足をとり、頭ごなしに否定する今の社会が僕は嫌いだった。

 SNSでお互いの知識を見せつけあい、無責任に、快楽のために人をののしる、そんな社会が今、はっきりと姿を現していた。

 YouTuberなど、これまでの常識では考えられない職業が生まれはじめ、それに熱狂する人々が集まる。

 働き方や趣味の幅、深さが変わってきた今の時代、大人の言論空間を見た若者たちは、表に出ることを避け、小さな、そして居心地の良いコミュニティに閉じこもっていく。あらゆる方向に分断されていく現象に、未来への大きな不安を抱かざるをえなかった。僕が掲げたビジョンの一つに、挑戦に前向きな街づくりというものがある。

 「このままでは、挑戦する人が減ってしまう」という危機感から「個人の好きなことを誰かに否定されることなく思い切りできる環境をつくりたい」と願うようになった。

 失敗を恐れずチャレンジしていく、そしてその挑戦を応援していくことこそが、時代の変化に適応するために必要だ。

 僕自身が好きなことに挑戦できたのは、周りの人が手を差し伸べてくれたからだった。お互いの足を引っ張り合う社会ではなく、お互いが優しく背中を押し合う社会。こんな綺麗ごとを本気で実現すると周りに語った。

 政治は一部の人のものではない。人に豊かさや幸せをもたらすことのできる、優しくて可能性に満ち溢れたものだと信じていた。

 「語るよりもまず実行」「批判よりも改善策を」

 友人にもらった言葉が頭に浮かぶ。不思議と区長選挙に出ることの怖さはなくなっていった。

 告示日から約10日前の記者会見で、心意気を伝えた。記者から、何度も「戦略はやはりSNSですか?」と問われる。記者にとっては、SNSと言えば若者らしい選挙戦として伝えやすい。


■若者はSNSというメディアのステレオタイプ

 ただ、僕にとって、携帯電話戦略ですか?と問われているのと同じ感覚だった。「SNS戦略というほど私たちはSNSに特別な意識はありません。日常の一部です。友達の携帯番号やメールアドレスは知りません。SNSでしか友達に連絡がとれません」

 ネットの活用をわざわざ掲げないのも一つの意図だった。

 4月8日、ついに告示日を迎えた。補欠だった野球部時代、バッターボックスにも立てなかった。多くの支えによって、バットを振るスタートラインに立つことができた。失うものは何もない。全てをさらけ出そう。お金も、組織も、知名度もない。けれど、僕にはたくさんの仲間がいる。

 完全無所属、無鉄砲と揶揄されながらも僕は出馬に踏み切った。結局、現職と私以外に、2人が出馬を表明、4人での戦いとなった。初日に集まった仲間は、100名を超えた。おそらくポスター貼りはどの陣営よりも早かっただろう。

 練馬区のポスター掲示板は、71地域に分けられ、合計584箇所あった。1地域に1人を配置すれば、1人約8枚ずつで貼り終わることができる。不測の事態に備えて、予備の人員も必要だ。ライングループに84名が集結した。

「選挙史上最速でポスター貼りを終わらせるぞ」

 これがポスター部隊の合言葉だった。結果、お昼頃には、ほぼ全ての地域で終了の報告がライングループに流れていた。

 他にも、区長選挙のみ許されている「ビラ」がある。これは、選挙中、有権者に配布できる。その数、16000枚。しかし、このビラには、選挙管理委員会から配られる「証紙」と呼ばれるシールを貼らなければ、配ってはいけないルールがある。この証紙貼りも選挙3日目には全て貼り終わっていた。

 迎えた第一声。初めての演説で、どきどきはしていたが、自分の話せることを話したらいいと言われてから気は楽になっていた。

 あとで聞いたところによると、いきなり「具体的な政策は話さない」と言ったので、政治をよく知る人はずっこけたらしい。

 練馬区の課題も、具体的な政策も、徹底的に調べ、詳しい人に聞き、自分なりに落とし込んだ。それでも、あえて政策や課題について明言を避けていたのは、どこか僕自身が話している感じがしなかったからだ。個々の問題の現場がどれだけ大変な思いをしているか、ほとんど足を運んだこともないのに、ネット上の知識をひけらかすことは本望ではない気がした。

 僕自身のこと、実現したい社会、3つのビジョンを中心に第一声を終えた。しかし、それと同時に、どこかに違和感を抱いていた。


「蚊の鳴くような声で話してるくらいなら、今すぐ出馬をとりやめてこい」とある演説場所で、60代の男性に30分以上お叱りを受けた。何も言い返すことはできなかった。信頼している友人が私に言った。「田中の言葉で語ってないんじゃないかな」

 4月なのに吹き荒れる北風。コートを着ていても我慢できない寒さ。食事もろくに喉を通らず、眠れない日々が続いていた。告示までの準備における極度の疲労もあいまって、「僕の気持ちなんて誰もわからない」と喉元まで出かかった言葉を何度も飲み込む。

 告示前から毎日、襲い掛かっていた不安とプレッシャーから僕は逃げ出したくて仕方なかった。「こうしたらいいじゃん」という友人たちの優しい言葉を受け止める余裕は、持ち合わせていなかった。それでもわざわざ遠いとこから足を運んで、一緒に戦ってくれている仲間たちの姿が視界に入ってくる。気がつけば、涙があふれてきた。一息ついて、仲間たちに頭を下げた。「あと1時間、よろしくお願いします」

 僕も周りのスタッフも、選挙活動で、何をどうしたらいいのかわからない。そんな中で終えた初日の夜のミーティングで、「毎日試行錯誤して、自分たちが正しいと思える戦い方をしていこう」と話した。

 これまでの型にあてはまらない戦略を考えた結果、たどりついたのは、シンプルなものだった。外に立ち続け、ビラ16000枚を配り切ること。他の候補者ができない、かつ、若さと仲間を最大限に活かせることだった。

 強力な組織票と実績を持つ現職の区長に挑むには、無党派層を最大限囲い込むことが必要だ。そのためには、集まってくれたボランティアの仲間たちの存在が不可欠になる。しかし、候補者が近くにいないと、ボランティアはビラを配ってはいけないという公職選挙法が存在する。僕はビラを配らない時間を含め、朝の6時台から、夜0時近くまで、外に立ち続けることにした。

■選挙ではオンラインよりどぶ板

 もちろん、インターネットやSNSを最大限に使った選挙は徹底して行う。参謀の積極的にサポートによって、これもまた、他候補にはない圧倒的な発信力だった。一方で、僕は正直に仲間にこう伝えていた。


「オンラインの力は信じていない」

 ネットでとれる票は限られているからだ。オンライン戦略は信頼している仲間に全て任せ、僕は街頭に立ち続けた。

 戦略は多岐にわたった。資金集めだけでなく、仲間集めやムーブメントを起こすことを目的としたクラウドファンディング。支援額は4日間で110万円にのぼった。ミーティングのライブ配信や、ライングループの立ち上げ。こうした戦略の根本にあるのは、やはり「人」であり「仲間」だった。

 Facebook上に集まった100人を超える選挙対策グループ、SNSにいる約3000人の友人。そして、泊り込みで同じ時間を共有してくれた5人の仲間、ビラ配布に毎回集まってくれる10名近い地元の仲間だった。

 選挙に行ったことのない20歳の後輩が、朝の6時から一緒に駅前で声を出してくれた。オンライン上で「スピーカーはありませんか?」といえば数分も経たないうちに、「私持っているよ」と反応してくれた。知恵を求めるとその問題の当事者の声がダイレクトに返ってきた。

 投票率は結果的に過去最低となった。選挙前、「10%上がったら革命を起こせるよ」とある知人から言われた。街頭での感触、区民の期待感、期日前投票の大幅な増加、投票日の雨予報から一転、広がった青空。これはもしかして……。 しかし、そう簡単に社会は動かなかった。

「出馬のハードルは高い」。よく言われることだが、僕はそうは思わない。確固たる意思があれば、不思議と壁は乗り越えられるというのが正直な感想だ。それよりも、小さなことでも最初の一歩を踏み出すハードルの方が、今の社会は高い気がする。 僕の友人がこんな嬉しいことを書いてくれた。

「何の批判も飛んでこない安全地帯で無責任に政治の批判する人が多い中で、これだけ心も体も財布も絞って『自分が変える』と立ち上がった姿はほんとにかっこ良かったです。正直、田中君の公約や演説の100%全てを支持してたわけじゃないけど、どんな考え・出自の人でも政治の場に挑戦できる民主主義の土壌が出来たらいいなと思って微力ながら応援させていただきました」

 何かに挑戦をする人を応援できる社会をつくりたいと改めて選挙を通じて思った。僕自身も仲間のサポートに大いに救われた。挑戦はこわい。全てをさらけだすから恥ずかしい。何かに理由をつけて言い訳をしてしまう。それでも一歩踏み出した人間に、多くの応援が結集する、失敗に寛容な社会を将来、作ってみたい。だが、勝てなかった人間が何を言っても説得力はない。どんなに批判されても、4年後にもう一度、挑戦したい。そんな気持ちを胸にしまい、自分の最適な道を模索していきたい。(田中将介)

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