2022年7月8日。安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。にわかには信じられない。そんな状況のなか、手製の銃、旧統一教会と自民党、国葬など、さまざまな情報が流れていく。私たちはこの事件をどう捉えればいいのか。外交ジャーナリスト・手嶋龍一さんに聞いた。AERA 2022年8月1日号から。

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「安倍総理は、ドナルド・トランプという気まぐれな大統領を巧みに操ることに世界で最も成功した指導者だった。(中略)トランプをさりげなく宥(なだ)め、おだて、あるべき政策に誘導した」

 ワシントン・ポストのコラムニスト、イグネシャスは、安倍総理の突然の辞任表明を受けてこう書いています。外交記者としてホワイトハウスを取材してきた私の分析とも重なります。

「アメリカ・ファースト」を掲げ米国の利益を剥き出しに追求するトランプが大統領となり、米欧の同盟関係は深刻な打撃を被りました。欧州には戦略的な空白が生じ、ロシアによるウクライナ侵攻の遠因になった。

 一方で安倍総理はトランプという異形の大統領の懐(ふところ)深くに飛び込み、東アジアには戦略上の隙を生じさせなかった。力を背景にした中国の攻勢を何とか封じることができたのでした。欧米はそんな安倍外交の手腕を評価したのです。

 安倍氏がトランプの気持ちを鷲掴みにしたのは、トランプ政権の発足前、16年11月。大統領選に勝利した直後の機を狙って、安倍氏はニューヨークに飛び、トランプタワーを電撃訪問して会談したのです。まだ正式な指名も受けていない次期大統領が主要国の首脳と会談するなど異例のことです。安倍氏はそれを承知でトランプを訪ね、個人的な絆をいち早く築いたのでした。この会談は機微に触れ秘の部分も多く、その後の東アジア政局を考えればきわめて重要です。安倍氏はトランプを前にメルケル氏ら各国首脳の人となりまで詳しく語って聞かせました。

 安倍・トランプの信頼関係は現実の外交にも力を発揮していきます。18年6月、歴史的な米朝首脳会談はシンガポールで実現したのですが、トランプは当初、板門店の開催に執着していた。それを危惧(きぐ)した米政府高官が、日米首脳の電話会談を前に日本側に慌てて連絡してきました。第三国での開催こそ、アメリカと同盟国の国益になり、安倍氏にシンガポールでの開催を大統領に説得してほしいと異例の要請があり、結果はまさしくそうなりました。

■戦争終わらせられるか

 一方、安倍政権の悲願だった北方領土交渉は頓挫(とんざ)して終わった。対中外交も、17年に訪中した二階俊博自民党幹事長に「一帯一路を支持する」という総理親書を託してしまった。それまで日本政府は、習近平政権の「一帯一路」構想に賛否を明らかにしていませんでした。しかし、北京の強硬な求めに屈して支持を表明してしまい、対中外交に躓(つまず)きの石となったのです。

 北方領土交渉も対ロ交渉の挫折も、安倍官邸の内部で渦巻く路線対立が関わっています。安倍氏は、官邸内部に対立、抗争があると知りながら、対外戦略に影響を及ぼす内部の対立を自ら裁こうとしなかったのです。

 外交は内政の延長ですから、やがて歴史の審判を受けなければならないでしょう。ここに安倍外交の“光と影”があったのです。ただ、その功罪を含めて「安倍外交」と呼ぶことができる。国際政局には次々に新たな布石が打たれた。その後の菅政権、岸田現政権には独自の外交戦略と呼べるものは見当たりません。

 この秋には安倍氏の国葬が行われます。ウクライナでの戦いが続くなか、東京は重要な弔問外交の舞台となるはずです。安倍氏はバイデン、プーチン両氏とも密接な関係を築きあげていた稀有(けう)な政治指導者です。本誌でも以前触れましたが、安倍氏はロシアとウクライナを仲介できる可能性があると戦争の当初から指摘してきました。

 岸田政権には、安倍氏の遺志を継いで、この機会をウクライナでの悲惨な戦争を終わらせるために役立ててほしいと思います。“死せる安倍氏、ウクライナ・ロシアを停戦に走らす”、そう願ってやみません。

(構成/編集部・川口穣)

※AERA 2022年8月1日号