現役を引退した横綱白鵬は勝利のために手段を選ばない姿勢で非難を浴びてきた。その白鵬が貫いた相撲への思いとは。入門前から知る元力士の朝井英治さんに聞いた。AERA 2021年10月11日号より。

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 入門時には涙を流すほど嫌がった相撲に打ち込み、やがてその魅力にとりつかれ、横綱に上り詰めた白鵬が、いよいよ引退し、年寄間垣として後進の指導にあたることになった。優勝回数や勝利数などの史上1位記録の数々を塗り替えた実績は圧倒的だ。

 そんな白鵬には、新しい時代の相撲界全体を引っ張ってほしいという期待の声も大きい。少年相撲大会「白鵬杯」の創設だけでなく、東日本大震災の際には率先して被災地に赴いて土俵入りや慰問を行うなど、土俵の外でもリーダーシップを発揮してきたからだ。

 その一方で、白鵬は厳しい批判も浴びてきた。勝つために手段を選ばない姿勢が横綱らしくない、などだ。とりわけ、ひじを相手の顔面に打ちつける荒技は反則すれすれの危険な技とされる。最後の場所となった今年7月の名古屋場所千秋楽、照ノ富士との全勝同士の大一番で、そのひじ打ちや張り手を繰り出した。さらに、勝った後の雄たけびとガッツポーズは相手への敬意に欠けると非難を浴びた。過去には、勝負判定に納得できず、しばらく土俵下に残り続けたこともあった。このため、年寄襲名にあたっては「協会の原則を守る」などの誓約書に白鵬がサインするという異例の措置が取られた。

 白鵬の態度はある意味で、子どものようにまっすぐな相撲への姿勢の表れともとれる。ひじ打ちも張り手も反則ではない。ルールの範囲内で、勝利に向けて最善を尽くすことのどこが悪いのか──。白鵬にはそんな気持ちがあるのかもしれない。

■並外れて高いハードル

 白鵬が日本の相撲を愛する気持ちは、国籍を変更したことからもわかる。現在の日本相撲協会の規定では、親方として残るには日本国籍の取得が必須だ。旭天鵬(現・友綱親方)らモンゴル出身の先輩も国籍を変更して日本に残る道を選んだ。ただし、白鵬の場合、そのハードルは並外れて高かった。モンゴル相撲の英雄でモンゴル初の五輪メダリストの息子が、外国のスポーツに打ち込み国籍を変えることの異例さは、日本に置き換えて考えればわかるだろう。それでも白鵬は重い決断をした。

 朝井さんが白鵬杯の実現に向けて奔走していたとき、白鵬は常に協力を惜しまなかった──というわけでもなかったと、朝井さんは苦笑しながら振り返る。

「こういう用事があるから大阪に来てほしいと伝えても、腰が重くてなかなか来てくれません。それなのに、大会直前になってから『こんなこともしてほしい』と要望を出してくるので頭にきたこともありました」

 白鵬には、入門直前に故郷に帰りたいと涙したときのような子どもっぽさも同居している。それでも朝井さんは白鵬を支え、大会実現にこぎつけた。それは高い志に賛同したからであり、白鵬に人間的な魅力があるからだろう。今も白鵬の周りには、かつての朝井さんと同じように支えている人が何人もいる。引退後の白鵬にとっても、それは貴重な財産となるに違いない。(相撲ライター・十枝慶二)

※AERA 2021年10月11日号より抜粋