開幕9連敗だった阪神。7月4日時点で首位のヤクルトとの差は17ゲームだったが、最大で16あった借金を返済し、2位に浮上。はたして「奇跡の大逆転で矢野燿大監督の優勝勇退」はあるのだろうか。過去の大逆転劇をプレーバックする。

 1958年、南海に11ゲーム差と離された西鉄は大逆転優勝をはたした。そして63年にも再び南海相手に大逆転劇を演じた。58年はオールスター前で10.5ゲーム差だったが8月以降に急上昇。主役は稲尾和久だった。33勝(最多勝)を挙げ、日本シリーズでは3連敗から4連勝という快進撃の原動力となり「神様・仏様・稲尾様」と崇められた。63年も74試合に投げ24完投、投球回386イニングと異次元の奮闘をみせた。スライダーとシュートを絶妙なコントロールで操り、28勝(最多勝)を積み重ねた。プレイングマネジャーだった中西太にとって2年目でのリーグ優勝だった。14.5ゲーム差逆転は現在でも日本記録だ。

 96年のペナントレースは広島が首位を走り、7月上旬、巨人は最大11.5ゲーム差をつけられていた。広島は「ビッグレッドマシン」の異名を取った強力打線。最終的なチーム打率.281はリーグ1位だった。長嶋茂雄監督は「大逆転劇を作り上げる」という意味で、「メークドラマ」という言葉を使って巨人ナインの奮起を促した。

 ドラマの始まりは7月9日だった。広島との直接対決で9者連続安打、7得点を挙げて大反攻が始まった。さらに8月29日、新人の仁志敏久の打球がイレギュラーバウンドして広島の江藤智の顔面に直撃した。広島は4番・江藤の戦線離脱により失速した。その後、追撃してきた中日との戦いを制し、「メークドラマ」は完結する。松井秀喜や落合博満らが4番に座り、斎藤雅樹とガルベスが16勝で最多勝のタイトルを分け合ったシーズンだ。

 巨人は2008年にも大逆転劇を演じている。その年、巨人は開幕5連敗でスタートし、7月8日時点で阪神に13ゲーム差をつけられていた。阪神は7月22日に優勝マジック46が点灯。だが、北京五輪に藤川球児、新井貴浩、矢野輝弘(現・燿大)を派遣して以降、チームの調子は下降する。当時は五輪期間中もペナントレースを中断していなかった。岡田彰布監督はV逸の責任を取る形で、このシーズン限りで退任した。一方の巨人は原辰徳監督の第2次政権の3年目。巨人も上原浩治や阿部慎之助を五輪に派遣した。しかし、9月に破竹の12連勝。この大逆転は「メークレジェンド」と呼ばれた。

 落合が率いた中日は、みずからが現役時代3度の三冠王を手にしたのとは対照的に「守り勝つ野球」を掲げた。その結果、04年から10年までの7年間でリーグ優勝が3度、日本一が1度、すべてがAクラス入りだった。

 11年8月3日、中日は首位ヤクルトに10ゲーム差をつけられていた。9月22日に球団から11年限りでの落合監督の退任が発表される一方で、チームは10月6日に首位に浮上。10月10日からのナゴヤドームでの首位決戦でヤクルトに4連勝し、8年間で4度目のリーグ制覇となった。退任が発表されても泰然自若の采配を振るった落合監督に、周囲は「これぞプロの指揮官」と評価した。その年、浅尾拓也はMVPと最優秀中継ぎ(52ホールドポイント)、吉見一起は最多勝(18勝)と最優秀防御率(1.65)、最高勝率(.857)、ゴールデングラブ賞に浅尾と谷繁元信、大島洋平が選ばれた。

 16年はソフトバンクが黄金時代突入の様相を呈しており、15年の栗山英樹監督率いる日本ハムは首位と12ゲーム差の2位に終わった。16年も一時はソフトバンクに11.5ゲーム差をつけられたが、6月半ばから15連勝し、9月22日に優勝マジックを点灯させ、28日にリーグ優勝を遂げた。MVPに輝いたのはプロ4年目の大谷翔平だった。投手として10勝、打者として104試合104安打、打率.322、22本塁打、67打点という成績だった。投手陣では有原航平、高梨裕稔(新人王)、増井浩俊が2ケタ勝利を挙げ、宮西尚生が最優秀中継ぎ(42ホールドポイント)を受賞した。打撃陣では中田翔が打点王(110打点)、レアードが本塁打王(39本)、西川遥輝と大谷、中田、レアードがベストナイン、大野奨太と陽岱鋼、中田がゴールデングラブ賞に輝いた。

 以上のように、7月時点で10ゲーム差があっても大逆転は可能なことを過去の例が実証している。11年の中日は落合監督の勇退が関係していた。1958、63年の西鉄は稲尾、2016年の日本ハムは大谷というスーパースターの存在があった。22年の阪神は矢野監督の勇退、投打の柱に青柳晃洋、大山悠輔がいる。期待したいところだ。(新條雅紀)