今年も10月20日にプロ野球のドラフト会議が開催される。

 過去には、上位指名が確実視された目玉選手が「巨人以外は拒否」のように希望球団を逆指名するケースも多かったが、その一方で、「1位でなければ嫌」「3位以内でなければ社会人」と指名順位にこだわった選手も存在した。

 1位指名にこだわった選手で思い出されるのが、1989年の巨人1位・大森剛(慶大)だ。

 大学3年の春に六大学史上6人目の三冠王に輝き、通算17本塁打や歴代2位の78打点を記録。ソウル五輪野球の日本代表にも選ばれるなど、大学ナンバーワンの長距離打者は、巨人入りを熱望し、「巨人がダメだったら、東京ガスに行きます」と宣言した。

 だが、同年は春夏の甲子園で通算6本塁打を記録した超高校級スラッガー・元木大介(上宮)も巨人を逆指名しており、巨人は1位・元木、2位・大森の順に指名すると予想された。

 すると、大森は「高校生に負けるのは不愉快だし、悔しい。巨人の1位以外なら、プロには行きません。2位でも外れ1位でも行きません。東京ガスに入って、2年後の指名を待つこともやめます」と言い切り、あくまで「一番強い球団に一番高い評価で」の姿勢を貫いた。

 なぜ、そこまでして巨人の1位指名にこだわったのか?

 その理由について、大森は「巨人としては僕と元木、2人とも欲しかったと思います。でも、どちらも1位で指名しないと他の球団に指名されてしまう可能性が大きい。逆に僕のほうから見れば、ドラフト1位へのこだわりを表明しておかないと、自分が他球団に指名されてしまう可能性があった」(「元・巨人」矢崎良一著 廣済堂文庫)と説明している。

 そして、運命のドラフト当日、新聞各紙が「巨人1位は元木」と一斉に報じるなか、1位指名されたのは、大森だった。

「1位しか行かないとは言ってたけど、正直言って来ないと思ってた。言葉にならないほどホッとした」。満願叶った大森はそう言って、思いがけない幸運にうれしさを噛みしめた。

 巨人では在籍7年間で出場123試合に終わったが、引退後は巨人のスカウトに転身し、坂本勇人を入団させたことでも知られる。

 1位へのこだわりといえば、68年の西鉄1位・東尾修(箕島)も“最高の評価”へのプライドを持っていた一人だ。

 秋の近畿大会で2試合連続ノーヒットノーランを達成し、センバツでも4強入りの原動力になった本格派右腕に、ほとんどの球団が獲得に動くなかで、唯一挨拶に来なかった西鉄が最後の12番くじで1位指名。当然のように周囲は「九州は遠い」と進学を勧め、交渉は難航が予想されたが、意外にも東尾は入団をOKした。

 その理由は「早い話が俺のプライドを保ってくれたからだね。九州の田舎チーム、西鉄のことは何も知らなかったけど、プロはプロだろう。そのプロがオレを1位で指名してくれた。1位で指名されたからですよ。あれが2位だったら入団してなかったね」(「江川になれなかった男たち」岡邦之著 三一書房)というものだった。

 後の通算251勝投手は、18歳のころから一本芯が通った男だった。

 近年では、上位指名でなければプロ入りしないという“順位縛り”も目につくようになった。

 プロ志望でありながら、「もっと実力をつけてから」と進学や社会人入りを内定させた選手が、その後、大活躍し、プロからも“金の卵”として注目されるようになったケースなどで起き得る現象だ。

 プロには行きたいが、早い段階で自分を受け入れてくれた大学や社会人チームにも義理がある。

 そこで、ドラフト上位指名ならプロ、そうでない場合は、当初の約束どおり進学、または社会人入りという条件で、プロ志望届を出すというもの。

 15年のドラフトでは、夏の甲子園大会後に侍ジャパン高校日本代表に選ばれ、U−18杯で首位打者と打点王の二冠に輝いた東海大菅生の投打二刀流・勝俣翔貴が「2位以上ならプロ。3位以下なら国際武道大進学」と表明したが、指名する球団はなかった。

 3位以下で強行指名した場合、大学側との関係が悪化することを配慮した結果といわれる。

「大学ナンバーワン打者になって、4年後にプロに行く」と誓った勝俣は、19年のドラフトでオリックスに5位指名され、今季は巨人でプレーしている。

 翌16年にも、履正社の最速146キロ左腕・山口裕次郎がドラフト前に調査書の提出を求めた各球団に対し、「4位以下の指名だったら社会人(JR東日本)に進むので、指名を遠慮してほしい」と伝えたが、日本ハムが6位で強行指名したことから、話がこじれてしまう。

 山口はドラフト前夜に複数の球団が4位以下での指名が可能かどうか再確認してきた際にも、あくまで「3位以内」の希望を貫いており、「筋を通して指名を回避した球団への信用問題にもなる」という理由から、入団を拒否した。

 同じ16年のドラフトでは、最速155キロ右腕・生田目翼(流通経済大)も、「2位以上でなければ、プロには行かない」と“2位縛り”の条件をつけたが、指名漏れに終わった。

 肘、肩と故障が相次ぎ、プロですぐ活躍できる自信が持てなかったのが理由だったが、結果的に故障歴のある投手を即戦力と見込んで2位以内で獲得する球団は現れなかった。

 その後、日本通運で腕を磨いた生田目は、18年のドラフトでは「何位でもプロに行く」と表明し、日本ハムに3位指名された。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。