三浦大輔監督2年目の昨季、DeNAは投手陣と打線がかみ合い、3年ぶりの2位に躍進した。ラミレス監督就任後は、2017年のシーズン3位からの下克上Vをはじめ、7年間でAクラス4回と安定した成績を残している。

 だが、横浜時代からDeNAスタート直後の2002年から15年までは、5年連続を含む最下位10度、この間Aクラスはたったの1度という長い低迷期が続いていた。

 そして、この暗黒時代は、TBSが親会社だった時期(02〜11年)とほぼ重なっている。

 1年目の02年、正捕手・谷繁元信が森祇晶監督との確執から中日にFA移籍、チーム最多の12勝を挙げた小宮山悟もメジャー移籍と、主力2人が流出した穴はあまりにも大きく、チームは優勝した巨人に35.5ゲーム差、5位・広島にも14.5ゲーム差をつけられ、ダントツの最下位に沈んだ。これがすべての始まりだった。

 球団は1年契約を残して森監督を解任すると、生え抜きOBの山下大輔監督にチーム再建を託し、FAで若田部健一、トレードで中嶋聡を獲得。さらに現役メジャーリーガーのコックスを年俸3億2000万円(推定)の3年契約で入団させ、勝てるチームへの転換を図った。

 だが、翌03年、移籍組は期待外れに終わり、コックスも出場わずか15試合で解雇という大誤算。開幕早々最下位に沈んだチームは、45勝94敗1分、勝率.324という惨憺たる成績で2年連続最下位に終わった。

 山下体制2年目も、ウッズが2年連続本塁打王に輝くなど、リーグトップのチーム打率.279を誇りながら、チーム防御率は4.47と投打がかみ合わず、3年連続のテールエンドに。投手陣の強化を課題に、投手出身の牛島和彦監督が迎えられた。

 翌05年、「投手陣が打線にうまくマッチすれば、戦える集団になれる」という牛島監督の構想どおり、最速163キロの守護神・クルーンが加わった投手陣は、リーグ2位のチーム防御率3.68を記録。ウッズが抜けた打線も、多村仁や村田修一が台頭し、4年ぶりのAクラス・3位に躍進した。

 だが、皮肉にも、これが横浜時代で最後のAクラスとなり、翌年から再び暗黒時代が始まる。

 牛島体制2年目は、補強に消極的なフロントと亀裂が生じ、主力の故障も相次ぐなど、浮上のきっかけを掴めないまま、最下位に逆戻り。球団は牛島監督に続投を要請したが、親会社の派閥争いなどのゴタゴタに嫌気が差した牛島監督は、自ら辞任を決めたといわれる。チームで唯一の二桁勝利を挙げた門倉健も巨人にFA移籍した。

 そんな逆風のなか、96年から2年間指揮をとり、98年の日本一の土台を作った大矢明彦監督が10年ぶりに復帰。「何年も続けてAクラスにいられるよう、誇りを持ってチームづくりをしていきたい」と、トレードなどで寺原隼人、工藤公康、仁志敏久を獲得し、若手に刺激を与えた。1年目は村田が初の本塁打王を獲得するなど、安定した戦いぶりで、71勝72敗1分の4位とまずまずの結果を出した。

 だが、CS進出を目指した翌08年は、球団ワーストタイの14連敗を含む48勝94敗2分の最下位。村田の2年連続本塁打王や内川聖一の首位打者など、打線はリーグ2位のチーム本塁打145本を記録したものの、チーム防御率はリーグ最下位の4.74とかみ合わなかった。

 同年オフには石井琢朗が戦力外通告を受け、現役続行を望んで広島に移籍。エース・三浦大輔もFA宣言し、阪神移籍寸前までいったが、残留を熱望するファンの声に応える形で思いとどまった。暗黒期の弱体投手陣の中で二桁勝利3度(05、07、09年)と孤軍奮闘した三浦は、相次ぐ選手の流出について、後年、「問題なのは球団だと思った。はっきり言って、当時の横浜は出ていきたいチームだった」と回想している。

 エース残留にファンがホッとしたのもつかの間、大矢監督3年目の09年も開幕6連敗と低迷。球団は5月18日に成績不振を理由に大矢監督を休養させると、「1、2軍両方の選手に精通する」田代富雄2軍監督を代行に指名した。

 前年ダントツ最下位だったのに、大矢監督を続投させ、シーズン開幕2カ月足らずで事実上の解任を行った球団の定見のなさは、「目指す野球のビジョンが見えない」と批判された。

 チームも2年連続90敗以上(51勝93敗)という不名誉な記録をつくり、5位・広島に16ゲーム差で2年連続最下位に沈んだ。

 投手陣再建が急務のチーム事情から、新監督には巨人など4球団で投手コーチとして手腕を発揮した尾花高夫氏に白羽の矢が立てられた。

「やるからには頂点を目指す。今季のチーム防御率4.36を3点台前半に引き下げる」と投手陣の底上げを目標に掲げた尾花監督だったが、1年目はチーム防御率4.88と投壊に泣き、3年連続90敗以上(48勝95敗1分)で3年連続最下位。オフには、内川がソフトバンクにFA移籍した。「僕自身は出ていく喜びを感じられますけど」という当時の内川のコメントは、まさに“出ていきたい球団”に対する痛烈な捨て台詞だった。

 内川流出で戦力ダウンした翌11年は、開幕前の予想どおり、4年連続最下位。オフには村田が「村田が抜けて良かったと思われるチームになってほしい」の言葉を残して巨人にFA移籍。10年間で最下位8度と球団経営能力に疑問が呈されたTBSも、同年限りでDeNAに球団を売却し、横浜ベイスターズ時代は終わりを告げた。

 1年目は最下位に終わったDeNAだが、16年にCS初進出をはたすと、低迷期から脱却。今季は6年ぶりの日本シリーズ出場も期待される。

 長い冬の時代を耐え忍んだベイファンにとっては、「もうあの時代には2度と戻りたくない」が本音だろう。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。