徳川家康には「徳川四天王」と呼ばれた側近の家臣がいた。放送中の大河ドラマ「どうする家康」で大森南朋が演じる酒井忠次、山田裕貴が演じる本多忠勝、杉野遥亮が演じる榊原康政、板垣李光人が演じる井伊直政の4人だ。

 戦国大名は、多くの家臣の力で合戦や領国管理をしたが、家臣団とはどのような構造だったのだろうか。

 東北、関東、東海など戦国時代の日本を9エリアに分けて章立てし、地域別の通史を解説する『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(監修・小和田哲男)が、詳しく解説している。

家臣団の「ランク」分け

 家臣団は、大名家の運営に加わることができる上級家臣と、運営には関わらない下級家臣に大別され、両者は寄親寄子(よりおや・よりこ)制で結ばれていた。寄親が寄子を指揮下に置いて統率したのである。

 上級家臣は血縁関係の一門、代々仕える譜代、新参の外様(とざま)に分かれており、そのトップに20人程度の家老がいた。大名との関係はほぼ対等で、特に家老クラスは大名の代わりに家のかじ取りをすることもあった。徳川四天王の一人、酒井忠次が率いた酒井家は、古い時代に松平家から分かれた庶流にあたり、家康が幼いころから松平家に仕えていた譜代中の譜代である。

織田信長が進めた兵農分離

 戦国大名が台頭し始めた当初、下級家臣の多くはふだんは農業を営み、合戦時だけ兵役を務める半農半士の土豪(どごう)だった。このため収穫期は遠征ができず、その上、寄子が各地に散っているので集団訓練ができなかった。この問題を解決したのが織田信長である。

 信長は兵農分離を進めて下級家臣を専業武士「足軽」とし、城下町に住まわせた。この結果、計画的な集団訓練と、鉄砲隊や騎馬隊のような兵種別軍隊「備(そなえ)」の編成が可能になり、軍が強化された。さらに大名たちは、逃走すれば改易に処すなどの厳しい軍律や規則を徹底し、将兵の独断行動で戦略が瓦解(がかい)しないよう取り締まった。

 大規模な家臣団や軍隊は、何層もの工夫によって運用されていたのだ。


「通い婚」から「嫁取り婚」へ

 そして、家臣団と共に、戦国大名を支えたのが女性たちである。

 鎌倉時代以降、武士は「一所懸命(いっしょけんめい)」に自らの所領を守ってきた。所領を守らなければならないので、基本的に、先祖伝来の地を離れるわけにはいかない。そこで、それまでの通い婚に代わり、男性が妻として女性を迎える嫁取り婚が一般的となっていき、室町時代には、家長としての男性が家族を支配するような家父長制的な家族制度が確立した。

 そのため、戦国時代には恋愛結婚はまれであり、基本的には両家の相談で結婚が決まった。当然、戦国大名家では婚姻も政略的に行われた。

 政略結婚は、文字通り政略のための結婚である。同盟の証として女性が嫁ぐわけだが、これは実質的な人質にも等しい。万が一、実家と婚家が対立し、戦争にでもなれば、妻が殺される可能性もあったのである。

 このような形の政略結婚に悲劇的な側面があったことは否定できない。しかし、婚姻によって両家の平和が保たれていたのも事実である。また、嫁ぐ際には女性は「敷銭(しきせん)」と称する財産を婚家に持参していった。財産は金銭とは限らず、土地であれば、毎年、そこから収入が得られた。こうした財産があればこそ、婚家において女性に発言権が与えられていたことは無視できない。

城主にも戦国大名にもなった女性たち

 戦国大名の居館は、「表」と「奥」で構成されていた。「表」は政務を担う公的な空間で、「奥」は妻や子が暮らす私的な空間である。「奥」には、夫である戦国大名以外の男性は基本的に立ち入ることはできない。ただし、江戸時代と違って、妻が「表」に出て政治に関与することは禁止されていなかった。妻が夫に従うべきだとする儒教道徳は、戦国時代において社会規範とはなっていなかったためである。

 実際、戦国時代には、女性が統治にあたることもあり、「女城主」と呼ばれた井伊直虎の例はよく知られている。

 今川義元の母、寿桂尼(じゅけいに)も「女戦国大名」と呼ばれ辣腕を振るった。公家・中御門宣胤(なかみかど・のぶたね)の娘で、駿河の戦国大名、今川氏親(うじちか)の正室となった彼女は、氏親の死後、14歳で家督を継いだ実子の氏輝(うじてる)を後見した。氏輝が早世した後、今川家で家督争いが起きると、氏輝の弟で実子の義元(よしもと)を擁立して勝利を果たす。この間、自ら領国の支配にあたったが、義元が桶狭間の戦いで敗死し、今川家の栄光に陰りがみられるようになる中、駿府で没している。

 北条氏康の娘として生まれ政略結婚で武田勝頼に嫁いだ北条夫人のように、武田家と北条家の同盟が解消されても武田家に残り、滅亡に殉じた女性もいた。能動的に生きた戦国の女性たち。妻が夫に従うことが求められたのは、江戸時代になってからのことだった。

(構成 生活・文化編集部 上原千穂)