クーデターを起こしたミャンマー国軍が、抵抗する国民に武力で対抗している。ミャンマーの国民だけでなく、世界が軍にノーをつきつけている。日本に住むミャンマー人たちも例外ではない。彼らの闘いと、祖国への思いを聞いた。



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「絶対に許せない!」

 そう語気を強めて話すのは、在日ミャンマー人のウィンチョさん(56)だ。怒りの矛先はクーデターを起こしたミャンマー国軍に対してである。

 2月1日、ミャンマー国軍はウィンミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問らを拘束し、政権を掌握したと宣言した。

 ミャンマー国民は、軍の横暴を許してはいけないと声をあげ、拳を振り上げた。国民の声は次第に大きくなり、デモは少しずつ拡大している。

 9日、国軍はついに国民に対し実弾で攻撃を開始、その場にいた3人が銃弾に倒れた。

「撃たれた女の子は頑丈なヘルメットを被っていました。でも弾はヘルメットを撃ち抜き、頭にまで届いていました。軍はマシンガンを使ったんです」

 怒りをこめてウィンチョさんは話す。

 3月3日には歌やダンスの動画をSNSにあげて運動の機運を盛り上げていたチェーシンさん(19)、ニックネーム「エンジェル」が後頭部を撃たれて死亡、エスカレートする軍の暴力により、現地の人権団体は3月29日までに、500人以上が死亡したと発表した。

「軍は撃っていないと、嘘をつきます。あのときも嘘をついた。嘘を許さないために、しっかり証拠を残さないといけない。以前は軍に対して何もできなかったけど、今は闘える道具があるのです」

 そしてスマホを強く握りしめた。

「あのとき」とは、「1988年」のことである。

 88年、学生と政府の有力者の子どものいざこざを機に学生と治安部隊の対立に発展し、民主化運動にまで拡大した。それに対し軍は無差別攻撃で鎮圧を図る。その結果、多くの命が失われた。


「このままでは殺される。国外に出たほうがよい、と母にお願いされました」

 母の言葉に従いミャンマーを後にした。ウィンチョさん同様、多くの若者が外国へ去った。以来32年間、平和な日本で暮らしている。祖国のことは片時も忘れたことはない。もう、あんなことは起きてほしくない。だが、心配が現実になった。

 ウィンチョさんはクーデターが起きてから証拠を残すため、インターネットやSNSであらゆる情報を集め、記録している。もっと活動を大きくしなければと考え、日本に住むミャンマー人の若者たちに声をかけた。

「私一人でやるには限界がありました。若者はITスキルもあるし、フットワークも軽い。私にはミャンマーとのネットワークも、経験もある」

 じつはウィンチョさんは飲食店で働きながら、妻のマティダ・ウィンチョさんと、日本に来たミャンマーの若者の世話を長年続けている。日本の社会の制度について、生活についてなど、困ったことがあると相談に乗る。

「私たちミャンマーの若者にとってウィンチョさん夫妻は日本のお父さん、お母さんです」

 と日本の建設会社に勤めるコンセットさん(28)。

 写真家として活動するオガ ミン アウン タンさん(34)は「政治についてはウィンチョさんに厳しく指導されました」と話す。二人ともウィンチョさんとデジタルツールで軍と闘っているという。

 ウィンチョさんらの闘い方はこうだ。

 ミャンマー軍が国民を攻撃する映像や写真をできるだけ多く入手する。軍の暴力行為を一方向だけでなく、あらゆる角度や方向から撮影した映像を手に入れ、そして狙撃者、指揮官の衣服の色、軍の肩章から階級を特定する。5〜6人のグループで調査し、時折、ミーティングを開く。そして得られた映像を世界中に発信していく。同時に日時・場所などをデータベース化している。後に裁判を起こして罰するためだと強く語る。

 ウィンチョさんの若者への思いは強い。2010年、ミャンマーで総選挙が行われたのを機に、祖国の未来のためミャンマーに住む若者たちのネットワークづくりをはじめた。会ったこともない、見たこともないミャンマーに住む若者を探し、メールやSNSでコンタクトを取った。

「ミャンマーの未来は、あなたたち若者がつくるんです、みんなで団結することが大事ですと伝えました。その気持ちに応えてくれて、ミャンマーの未来を考える若者のネットワークができました。その中から国会議員も出ました」と話し、スマホの写真を見せてくれた。クーデターによりミャンマー軍が設立した連邦行政評議会に対抗して組織した臨時政府(CRPH)の議員たちが軟禁されたときのものだ。

 ウィンチョさんは日本の政治にも関心が高い。

「私たちの国はずっと政治が不安定でした。でも、日本は平和。だから政治に無関心になるのかもしれない。日本も安保や学生運動など政治に若者が意見を言い、活動した歴史があります。当時若者だった人は、何を考え行動したかを覚えているはずです。大人たちが若者に教えていかなければならないことがあるはずです」

 日本の現況を少し憂えている。日本は60年代、70年代に安保闘争、学園紛争が起こった。今のミャンマーと重なる。

「社会を変えていくのは若者の力です。若者は国の宝なのです」

 そう力説する。

「若者は純粋です。そして正しいことは正しいと言うし、自分のことより、社会のこと、国のことを優先します。そんな若者が私は大好きです」

 コンセットさんとオガさんがウィンチョさんに話すと、子どもの話を聞くようにうなずく。

「もうひどい歴史を繰り返してはならないのです」

 祖国のことになると、声が大きく熱がこもる。

「私は今56歳。でも私の気持ちは当時と同じ。若者のままです」

(本誌・鮎川哲也)

※週刊朝日  2021年4月30日号