さだまさし、森山良子を迎え、9月に最後の『サマーピクニック』開催

 シンガー・ソングライターの南こうせつが9月23日、東京・日本武道館で『南こうせつ ラストサマーピクニック in 武道館』を開催する。『サマーピクニック』とは南の代名詞でもある野外音楽イベント。1981年から10年間開催され、のべ20万人超の観客動員を記録した。以降は南自身の節目に開催してきたが、デビュー55年目を迎える今年、その歴史に終止符を打つ。ENCOUNTは75歳の南に最後の『サマーピクニック』に懸ける思いを聞いた。(取材・構成=福嶋剛)

 南は、はじめに『ラストサマーピクニック』と銘打った理由を説明した。

「5年前にサマピ(=サマーピクニック)発祥の地、九州でやった『サマーピクニック〜さよなら、またね〜』で本当は終わりにしようと思っていたんです。『さよなら』というタイトルで終わるのは寂しいから『またね』って付けたんだけど、1回目からずっと応援してくれている熱心なファンのみなさんが、『またね』と付いているから次も期待して署名活動までしてくれたんです。それを知って『これはちゃんと終わらせないといけないな』と思い、『今回が本当にラストです』ということで開催することを決めました」

 野外フェスとして開催してきたサマピだが、日本武道館で幕を閉じる。その理由も説明した。

「なぜ最後にしたかというとやっぱり年齢的な理由です。野外ライブを仕切るのは体力的にも精神的にも本当に大変でね。天候の問題、警備の問題、安全確保、そういった全部を背負うのは、辛くてね(笑)。1回目から来てくれるオーディエンスたちもみんな世代的に還暦を迎えた人も多いですから。『せめて天気に左右されずに安心して楽しめる場所でやろう』と言って、僕が日本のソロシンガーとして初めてライブを行った日本武道館で最後を迎えようと決めました。『屋根の下でやるのはピクニックじゃないよ』って突っ込まれそうだけど(笑)。『お互い歳を取っても頑張ろう』って思えるような時間を共有したいですね」

 ラストサマピのゲストは、これまで数多く一緒のステージに立ってきたさだまさしと森山良子に決まった。

「2人とも声を掛けたら本当に二つ返事で『行く』と言ってもらいました。坂本龍一さん、谷村新司さん、同じ時代を生きてきた人たちが次々と旅立ってしまい、僕の周りでも作詞家の喜多條忠(『神田川』ほか)や岡本おさみ(『愛する人へ』ほか)といった身近な人も亡くなり、僕だっていつそうなっても不思議じゃない年齢になりました。そんな中でもバリバリと活躍しているまさしや森山先輩を見ていると勇気をもらえます」

 南は今年2月13日、75歳になった。あらためて年齢について聞くと「肉体が衰えていくことは自然の摂理で仕方がないこと」としながらも、「昔のキーで歌えるギリギリの年齢だからサマピも今のうちに決着をつけようと思いました」と話した。

「『のどの強さ』というのは親からもらったものですから、まずは親に感謝しなきゃいけない。そして、この声を保つには歌い続けいくしかないんです。それでもやっぱり声も枯れていきます。その日がいつ来てもおかしくはないですし、来年、突然に声が出なくなるかもしれません。そうなったとしても、語るように歌えるなら、それが味になるんですよ。みんなに『こんな風に歳を取っちゃったよ』って衰えた自分に突っ込んでもらえたら、それでいいと思っています」

 70代になって声を出すために気を付けていることを聞くと、「睡眠です。あと、コンサートの前日にお酒を飲まないこと」と答えた。もう1つ、「これからも大切にしていきたいこと」を明かした。

「ついでに言うと、今この瞬間、誰かと向き合って生きていることを大事にしていきたいんです。それこそが、幸せなことだなと思う。この瞬間が重なって1日になり、その1日が重なって1か月、1年、10年、100年と続いていく。だから、この出会った瞬間、瞬間を気持ちよく、心地よく、柔らかく生きられたらいいなと思いますね」

 南は自分の目指す先を海外のミュージシャンにたとえた。

「今年のグラミー賞見ました? ジョニ・ミッチェルが、初めてグラミーのステージで歌ったんです。現役ミュージシャンたちに囲まれ、彼女はいすに座って杖を持ちながら代表曲『Both Sides, Now』を歌いました。歌が本当に良かった。僕の行きつく先はそこなんです。彼女のパフォーマンスが未来の手本になりました」

全世界中継された『ライブエイド』で司会を務めた過去

 南は「大の洋楽好き」としても知られる。1985年に全世界で中継された20世紀最大のチャリティーコンサート『ライブエイド』の日本放送で故逸見政孝さん(アナウンサー)と共に司会を務めた。あれから39年。今も思い出は色あせていない。

「この取材でライブエイドの話ができるなんてうれしいですよ(笑)。39年前の7月13日、アフリカの子どもたちを飢餓から救おうとボブゲルドフの呼びかけで世界中のミュージシャンが立ち上がり、イギリスとアメリカ2つの大きな会場で同時に合計12時間以上におよぶコンサートが開かれたんです。日本ではフジテレビが放送権を持っていて、最初は番組プロデューサーから『生でひと言コメントをください』と言われ、『そちらの都合で何時でも良いですよ』と返事をしたら、『じゃあ、通しで出てください』と言われたんです。また、全世界で放送される日本の放送時間が7分間でわが国のアーティストを誰にするか相談を受けて『小田和正、矢沢永吉、佐野元春、ラウドネスの4組が良い』と提案しました」

 ぶっつけ本番のイベント。現地でもさまざまなトラブルがあったという。南も当日の混乱ぶりを回想した。

「日本のスタジオでも次に誰が出てくるか分からなくて、曲名もその場で調べながらテロップを出したり、進行はとても大変でした。アメリカからは『ビートルズの再結成があるかもしれない』という情報が飛び込んできて大混乱でしたね。結局、再結成はなかったんだけど、最後にボブ・ディランが『風に吹かれて』をキース・リチャーズとロン・ウッドを従えて歌ったシーンは忘れられないです。僕の中では69年の『ウッドストック・フェスティバル』と『ライブエイド』は今でも思い出に残る音楽イベントです」

 そんな海外の音楽イベントに触発され、81年から14回開催してきた『サマーピクニック』。南の思い出は尽きない。

「どれも仕切りは大変だったけれど、終わってみるとみんな楽しかった思い出です。印象に残っているのはサマーピクニック10回目(90年)です。福岡市の野外会場に3万3000人ものお客さんが集まってくれてうれしかったですね。松山千春、吉田拓郎、井上陽水をはじめ、僕が声を掛けたゲストがみんな出てくれてね。チケットは即完したんだけど、会場には彼らの歌を聴こうとチケットを持っていないお客さんがどんどん集まってきて、あわてたスタッフが『どうしましょう』って言ったんで、僕は『もう柵を取ってしまって、タダで入れちゃおう』って決断しました。まさにウッドストックですよ。明け方にステージから見たお客さんたちの光景は忘れられません」

 話は変わり、南がトレードマークのメガネについて語った。

「昔は家に100個くらいあったけど、今はかなり処分してしまい30個くらいかな。丸型が多いんだけど、四角いメガネもよくかけていますよ。やっぱり、メガネによって印象も変わるから、仕事や場所によって使い分けています。僕は結構、昔の文学者がかけていた黒縁メガネとか、ああいうのに憧れがあるんです。今でも街を歩きながら気になったメガネを見つけると思わず衝動買いしてしまうクセがあるんです(笑)」

 最後に「生まれ変わってもミュージシャンになりたいか」と聞くと、「もし、みんなに受け入れられたらギターを持って歌うかもしれないけど」と返答。その上で「やっぱり、寂れた村でカフェをやりたいな」と答えた。

「めちゃくちゃおしゃれなカフェをやりたい。だって、おしゃれなカフェにはきれいな女の子が来てくれるんでしょ(笑)」

□南こうせつ 1949年2月13日、大分県生まれ。1970年にシンガー・ソングライターとしてデビュー。直後に『かぐや姫』を結成し、『神田川』『赤ちょうちん』『妹』など数々のミリオンセールスを記録。解散後はソロとして『夏の少女』『夢一夜』等のヒット作品を発表。75年、静岡・掛川市のつま恋で国内初となる野外オールナイトコンサートを吉田拓郎と開催。約6万人の若者を集め、「伝説的な野外コンサート」として今でも語り継がれている。76年、日本人初となる日本武道館でのソロコンサートを開催。81年、九州地区でオールナイトコンサート『南こうせつサマーピクニック』を10年連続開催。現在は九州で田舎暮らしを行い、自然と向き合っている。福嶋剛