滝沢秀明「これからは私から彼らが巣立っていけるように」「音楽の日」に見た「ジャニーさん」の功績

「悲しみを乗り越えた若者達の瞳をご覧ください」
番組に出演したジャニーズ所属タレント13組70名が見守るなか、ジャニーズJr.による15分09秒のステージが始まった。一曲目は少年隊の「仮面舞踏会」(1985年)をSnow Manが披露した。

白いタキシードに、桜色のベスト、胸元にはピンクの大きなリボンタイ。舞うように踊る足元は、細かくステップを刻んでいた。9人体制のSnow Man。センターに立つ岩本照をはじめ、どのメンバーも体幹の強さを思わせるブレない軸、キレのある動き、指の先まで神経を張り巡らせた繊細さを含んだ、しなやかなダンスをみせた。終盤には、ステージの両端からバックダンサーが登場し、バク転・バク宙を披露。ジャニーズらしい演出で一曲目を終えた。


15分9秒に詰めこまれたジャニーズのエンターテインメント


7月13日放送の「音楽の日」(TBS系)で、ジャニーズJr.出演の15分09秒のステージが設けられた。演出は2018年で芸能界を引退し、現・ジャニーズアイランドの滝沢秀明社長。V6坂本昌行の挨拶を経て、滝沢社長から寄せられた手紙を中居正広が代読した。

「ジャニーさんが育てたジャニーズJr.、これからは私から彼らが巣立っていけるように全身全霊をささげてやっていきたい」。
以前からジャニーズJr.の採用を手伝ってきた滝沢社長。後継者になる意思をジャニーさんに伝えたところ涙して喜んだと伝えられた。現役引退してまで人材育成、プロデュースに専念する、その心意気は手紙だけでなく15分09秒のステージからも伝わってきた。

番組のワイプには時折ジャニーズJr.を見守る先輩たちが映り、リズムをとったり頷いたり、じっと見つめる姿もあった。「仮面舞踏会」を歌い終えたSnow Manは、ステージ後方でポーズを決めると、上からドサーっと尋常じゃない大量の桜吹雪が降ってきた。ジャニーさんの演出がつまった舞台、滝沢社長が座長を務めてきた「滝沢歌舞伎」の舞台で歌われている「ひらりと桜」。大量の桜吹雪が積るなか、踊りにくそうな足元を気にも留めず、フォーメーションを変えながらステージを終えた。


カメラが変わると、ローラースケートを履いたHiHi Jetsが登場。近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」(1981年)をTBS社屋のエントランスホールで歌った。「こっち」と手招きした井上瑞稀をカメラが追うと、扉を抜けて屋外へ。光GENJI「STAR LIGHT」(1987年)を歌いながら、メンバーが次々と進行方向を指差しては移動を繰り返した。社屋横の坂をローラースケートで駆け上がる流れになり、サビ前には横一列に並び、サビと同時にレースが始まった。

それまでは温かい眼差しで見守っていた先輩たちも、坂道に気づくと表情がほころんだ。音声は出ないものの「マジ」と口を動かした山田涼介、中居に松本潤、平野紫耀、三宅健らが手を叩いて「まさか?」「本気かよ」と言わんばかり。これまで数え切れないほどステージに立ってきた先輩たちですら驚いていた。

強い照明を背に浴び、急な坂を登り切ったメンバー。一人遅れをとった猪狩蒼弥に、ワイプの薮宏太は「カモンカモン」とジェスチャー。歌いながらスタジオに戻ると、松本や平野が大きく手を振っていた。

まさかの演出に沸き立ったのも束の間。空気は一変、静まり返ったスタジオに「よっーー!!」岩本の声が響いた。上半身裸で、和太鼓を両足で挟み、30〜45度ほどの位置まで上体を起こして撥を振り続けた。テレビからも振動が伝わってきそうなほど、スタジオに轟く和太鼓の音。ついさっきまで笑顔だった先輩たちも、目の前で繰り広げられる演目に見入っていた。

音楽と派手な照明で、ただただ楽しくなったり、次に何が飛び出るかわからないスリルを味わったり。腹筋と太鼓という謎の組み合わせに、一体何ごと!? 想像もしなかった景色、通称“トンチキ演出”こそがジャニーズのステージだ。滝沢プロデュースの15分09秒のステージは、恩師の教えを継承したパフォーマンスに、より負荷をかけたものだった。

「1分足りとも、飽きさせたらダメ」ジャニー喜多川氏の教え


7月9日。ジャニー喜多川氏が87歳で人生の幕を下ろした。深夜の報道番組で伝えられて以降、連日のようにジャニーズ事務所の歴史とジャニー氏の功績が紹介された。

前出の滝沢社長の手紙に、こんな一節があった。
「こんな時こそ『Youは人を笑顔にするんだよ、悲しんでいる場合じゃないよ』というジャニーさんの声が聞こえるような気がして、私たちは少しずつ前に進みはじめています」
ジャニーさんが作品を通して伝えてきたメッセージの一つ、「Show must go on」の精神だ。堂本光一主演の舞台「SHOCK」シリーズを筆頭に、ジャニーさんが手掛けた作品に込められてきた。

若い頃、ジャニーさんとアメリカの遊園地に行った錦織一清は、舞台「2015新春JHOHNNY'S World」で、ジャニーさんの人物像と重なる狂気のプロデューサー役を演じた際にこう綴った。
「社長が一番好きな乗り物は、やっぱりジェットコースター。乗り心地なんて二の次で、振り落とされそうなくらいスリルと興奮。社長が求めるのはそこなんですよね。「社長のいう『1分たりとも、飽きさせたらダメなんだ』、この言葉に全てが詰まっていると思います」。
ストーリーもさることながら、3分に1度の衝撃を盛り込む演出、客席の頭上を舞うフライング、階段落ち。このほかにも9トンの水を使った舞台演出、炎や噴水、レーザー、プロジェクションマッピング、巨大モニター。殺陣に扇、桜吹雪などの和の演出……。挙げきれないほどの演出がある。

東山紀之はジャニーさんから「作り話より事実の方が説得力を持っている」とアドバイスされ、舞台「PLAYZONE」の一部のセリフを自ら手掛け、母の離婚をテーマにした。それは継承され、A.B.C-Zの舞台「ジャニーズ伝説」などでも彼らの苦悩や葛藤のエピソードが盛り込まれた。派手な演出の一方で、ジャニーさん自身が二度の戦争経験者であることから、戦争と平和をテーマにした舞台もある。

「子どもたちはみんな『生きる才能』を持っている。それを伸ばしたり、ヒントを与えたりするのが大人の仕事」(スポーツ報知7月10日付)
言葉通り、Jr.たちを引き連れて、ラスベガスにショーを観に行ったというエピソードは、度々語られてきた。先進のショーを見せて、自分で感じ取る。細かく教えることはしないのだという。

ジャニーさんの人選の基準、育成 はじまりは少年野球チーム


ジャニーさんの訃報を伝えるスポーツ紙には、「男性アイドル生んだ芸能界の宝」「芸能界の巨星」「卓越した相馬眼」の見出しが並んだ。

毎月1万通も寄せられる履歴書、全てに目を通していたそうで、「履歴書の写真でどんな顔に成長するかがわかる」という逸話もある。遡れば、原宿の横断歩道でみつけてスカウトされたのが東山紀之。当時は丸坊主だったそう。

また、グループのメンバー構成について「プロ野球」を意識しているのではないかと「ナカイの窓」で中居が推測。「まずはジャイアンツ”が誰なのか。で、阪神を、あとの2〜3人は地味な子を入れて。まず巨人がしっかりしてないとグループ名が有名にならないから」。デビューのタイミングについても、「ジャニーさんの鋭い嗅覚、デビューのタイミングがあるの。なんでこの時期なんだろうとか思う。俺なんかの方が先に出来てるのに、後輩をデビューさせる、それが上手く行くんだもん。天才だと思う」。
東京・代々木の少年野球チームからはじまったジャニーズだけに、しっくりくる。

「光GENJIのコンサート潰す気かこの野郎!」息子たちが語るジャニーさんの育成術


「僕なんかの頃はすっごい怖い人だったから、尋常じゃないよ」「それはもうジャニーさんに怒られないようにがんばる。怖ぇからとにかく。『てめぇコノヤローバカヤロー』」。
中居によれば、昔は怖かったのだそう。光GENJIのステージで5分だけ時間をもらったSMAP。歌で2分、残りの3分はMC。わずか3分のMCができなかったことで、「光GENJIのコンサート潰す気かこの野郎!」と怒鳴られたそうだ。「ジャニーさんが優しいのは『僕が本を書くから覚えな』」と、その場で台本を書いてくれたという。

一方、Hey!Say!JUMPの世代ともなれば随分と丸くなったようで、有岡大貴によれば、稽古場に来ていたジャニーさんが困惑した様子だったので、怒られるのではないかと警戒していたが、「『ちょっとYou来て』って呼ばれて、うわ怒られるって思ったら『焼き鳥頼んどいたのに冷めちゃうから早く食べちゃってよ』」。ジャニーさんは優しい印象だと有岡。

ステージではけるタイミングを間違えたJr.に対して、叱るどころか「Youカッコいいじゃん」と褒め、オーディションでも、落選したもののジャニーさんに話しかけてきた子を合格にしたこともあった。常に人と違うこと、新しいことに挑戦してきた演出家の視点は、こんなところにも滲んでいた。
デビュー3日前に「Youパスポート持ってる?」の電話でハワイに連れられ、デビューした相葉。Hey!Say!JUMPも、何も聞かされずに車に乗り込んだメンバーで写真撮影をして
そのままデビュー。ファンではなく、タレントに向けた演出だろうか。

事務所を退所した香取慎吾らも合同で追悼の言葉を発表していたが、「アイドルとしての生き方をたくさん教わった」と香取。取材が終わって部屋から出るときに「おなかが空いた」と発することで、相手に気を遣わせない配慮まで教わったという。

「スカウトしてベルトコンベヤーに載せて、スポット当てて『ハイ、スターにしました』っていうようなやり方ではない。じっくりと育てていく覚悟がなければ、決して良いタレントは育てられません」(SPA!1990年7月4日号)
東山の自伝によれば、「親の教育をちゃんと受けた子しか、この世界で生き残っていけない」とジャニーさんが言っていたそうだ。
訃報を受けてタレントたちからは「僕の人生を変えてくれた人」と感謝の言葉が寄せられた。

「親が子どものために一生懸命考えた名前に勝るものはない」
所属タレントの大半は本名で活動している意図を東山が自伝で紹介していた。
滝沢社長がJr.時代に「10あげるから1を返しなさい、それは挨拶でもいい」と言われたこと、「いつまでたっても親は親」子どもの活躍は嬉しいと、事務所を退社した香取らの新たな門出に応援メッセージを寄せたこと。どれも親の無償の愛に近いものがある。

メディアに登場することはなく、裏方に専念していたジャニーさんだが、スポーツ紙には記者から見た人物像が綴られていた。取材が終わり、新幹線が終電ギリギリの時刻だと知れば、一人走って記者分のチケットを購入して配ったり、車内でもお弁当の注文を受けて回ったり。昔は衣装の縫製を手掛けていたこと、80歳までJr.の送迎を行っていたなど、肩書とはかけ離れた仕事ぶりが伝えられた。
晩年は車椅子生活が続くも、連日のように劇場に足を運び、倒れる前日6月17日「ザ少年倶楽部」(NHKBS)の収録にも立ち会っていた。ほとんどの紙面に「生涯現役」と記されていた。

ファンにとっても、自分が好きなアイドルを輩出してくれた生みの親、神様のような存在だ。毎年、誕生日にはSNSで「#ジャニーさん生誕祭」などのハッシュタグをつけて、「デビューさせてくれてありがとう」「(グループ名)を作ってくれてありがとう」など感謝の言葉が寄せられていた。

「音楽の日」で、「シンデレラガール」を披露したKing&Prince。サビ前のソロパートを歌っていた平野翔が、<長い階段駆け上がって>に続く歌詞を、<人波に消える>ではなく<見守っていてね>と変え、指で階段を駆け上がる仕草をして、人差し指を天に向けた。
アドリブを見てジャニーさんは何と言っただろう。「You、カッコよかったよ!」だろうか。

(柚月裕実)


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