大人気RPG「ヘブンバーンズレッド(ヘブバン)」とのコラボで再び話題となっているアニメ『Angel Beats!』。『AIR』や『CLANNAD』など数々の”泣きゲー”を手掛けてきたシナリオライター”麻枝准(まえだじゅん)”によるアニメ脚本家としてのデビュー作であり、ゲームブランド”Key”の作品としても広く知られている1本です。

 2010年の放送から10年以上経過した今でも”泣けるアニメ”として根強く支持されている作品で、かくいう私も高校時代にリアルタイム視聴して涙を流した1人です。”死”と”家族愛”をテーマに展開されることが多い麻枝准作品ですが、いつ見ても泣かされてしまう抗いがたい魅力があります。

 今回は『Angel Beats!』のレビューを通して麻枝准作品がなぜ泣けるのか、その理由と魅力に迫っていきたいと思います。本記事は深刻なネタバレを含むため、アニメを見てから読むことをおすすめします。

●『Angel Beats!』のレビュー&考察:「純真無垢×コミュ障×悲劇」で完成する”可愛くてかわいそうな女の子”

 麻枝准(あるいは”Key”)と言えば、”純真無垢なヒロインが悲劇を背負う”という展開が基本形ですが、『Angel Beats!』もその例に漏れず、天使ちゃんの孤独やゆりっぺの前世はとても悲劇的で観客の同情心を刺激します。

 特に天使ちゃんは、『AIR』の観鈴(みすず)や『CLANNAD』の渚(なぎさ)、『リトルバスターズ!』の鈴(りん)など他作品のメインヒロインと同じように、ほとんど社会を知らない極端に純粋な存在として描かれています。極端に純粋であるがゆえに彼女らに訪れる悲劇は、さながら真っ白な画用紙に真っ黒なインクをたらすかのごとく色濃く明瞭に浮かび上がり、一般的なキャラクターよりも悲劇性を強く感じられるようになっています。

 天使ちゃんがややコミュニケーション能力に難があるというのも、これまでのシリーズのメインヒロインに共通するポイントです。主人公が寄り添ってあげないと他のメンバーとうまく意思疎通できないため、主人公に自己投影している観客からすると「この子を守ってあげねば」という保護欲がくすぐられることになります。

 こうした点から、観客の心をわしづかみにする「純真無垢×コミュ障×悲劇性」で完成する”可愛くてかわいそうな女の子”という黄金メソッドが読み取れるでしょう。

●『Angel Beats!』のレビュー&考察:コメディとシリアスの振れ幅(ギャップ)で感情のジェットコースターへ誘う

 麻枝准脚本の特徴として、もう一つ外せないのはコメディとシリアスの振れ幅です。麻枝氏は以前インタビューにおいて『Angel Beats!』で「自分のやりたかったことは、大人数でドタバタしたコメディでした」と語っています。実際に劇中では『リトルバスターズ!』を思わせるような大人数での丁々発止なコメディが展開されます。

 一方で、キャラクターそれぞれの前世の記憶を振り返るタームでは、コメディシーンの楽しい雰囲気とは真逆の超絶シリアスなシーンが展開されます。扱われる内容も、病気や死別、事故、虐待など深刻なものばかり。お気楽なシーンから、突然目を覆いたくなるような絶望を見せつけられ、観客は感情を大きく揺さぶられることになります。

 これは不味いものを食べた後に、口直しで美味しいものを食べるといつもの何倍も美味しく感じるのと似たような現象です。そしてマイナスからプラス、プラスからマイナスへの振れ幅が大きければ大きいほど、印象も強くなり感動も大きくなります。ただ真っすぐ等速で動くジェットコースターより、上下左右に激しく揺られたりスピードが変化したりするジェットコースターのほうが印象に残るのと同じ原理です。

 つまり感動は、コメディとシリアス、不味さと美味しさ、速さと遅さなど前後の体験の振れ幅を大きく演出することで作り出せるわけです。『Angel Beats!』ではコメディとシリアスの振れ幅を可能な限り大きくすることで、シーンとシーンのギャップを生み出し大感動を作り出しているものと考えられます。

 そういう意味では麻枝氏のシナリオが泣けるのは笑えるからと言えるかもしれません。

 この手法は『ひぐらしのなく頃に』の竜騎士07が取り入れていることでも知られています。部活での楽しいコメディシーンを徹底して描いた後に、真逆の残虐なシーンを展開させることで、前後のシーンの印象の差を作り出し恐怖を演出しているのです。

 同じ手法でも作り手が変わると、感動ではなく恐怖になる点は面白いところですが、いずれにしても観客の心を大きく動かすための効果的な手法であることに変わりはありません。

 麻枝氏はコメディとシリアス以外にも振れ幅を多用しており、ガルデモ(Girls Dead Monster)が”ロック”を奏でた後に、ボーカルの岩沢が1人で”バラード”を演奏したり、ユイと日向の喧嘩芸を見せた後、最終的には誰もが涙した「結婚してやんよ」のシーンが展開されたり、最初は攻撃目的だと思われた天使のスキルが実は防御目的だったり、シリアスな場面では絶望と希望が交互に描かれたりと……。

 あらゆるところで振れ幅(ギャップ)が用意されており、観客は麻枝氏が設計した感情のジェットコースターに乗って、常に心が上下左右へ激しく揺さぶられることになるのです。

●『Angel Beats!』のレビュー&考察:”悲劇の共有”によって形成されるキャラと観客の絆

 ゆりっぺが率いる“死んだ世界戦線”のメンバーはいずれも生前に理不尽な死を経験しており、何らかの悲劇を抱えているキャラクターです。悲劇の具体的な内容までお互いに知っているかどうかは別として、悲劇を抱えていること自体とその理不尽を与えた世界に対して復讐心を持っている点では共通しています。死んだ世界戦線は”悲劇の共有”によって、連帯している集団というわけです。

 こうした現象は現実にも起こり得る話で、国家をはじめ何らかの集団形成の背景には、目的意識の前段に上記のような悲劇の共有が行われているケースは少なくありません。貧困や飢餓の経験、民族差別や虐殺、貧富の差や階級差別、敗戦などの悲劇を経験した者同士が団結して大きな力を発揮していき、歴史を動かしていくことがあります。焼け野原からの戦後復興はその典型例かもしれません。

 もちろんミクロなレベルでも、悲劇の共有によって絆が生まれることはあります。私事で恐縮ですが、物心ついた頃から小学校卒業まで諸事情があり、私は毎年夏休みに検査入院をしていました。その際に小児病棟の見知らぬ子どもたち同士で、独特な仲間意識が共有されていたことを覚えています。

 子どもたちそれぞれで抱えている病は異なりますが、親元を離れて友達とも会えないという”寂しさ”の1点では感覚を共有しており、子どもながらにお互い励まし合っていました。夜中に寂しさで泣き出す子がいれば、同じ部屋の仲間が集まって慰めるなど、悲劇を共有しているからこそ生まれる信頼関係が構築されていたことを記憶しています。

 このように悲劇の共有によって絆が芽生えることは現実でも起こり得るのですが、『Angel Beats!』における悲劇の共有は死んだ世界戦線の中にとどまらず、キャラと観客との間にも機能しています。

 本作には”悲劇の宝石箱”と言っても過言ではないくらい多種多様な悲劇が描かれています。死別や病気、夢の挫折、虐待、暴力、兄弟との比較、不慮の事故などどの時代でも起こり得る普遍的な悲劇が展開されているため、程度の差こそあれ観客が自分と似た境遇のキャラやエピソードを見つけることは難しくないはずです。

 観客とキャラの悲劇の共有によってキャラへの思い入れが強くなるのはもちろん、同じように悲劇を抱えた死んだ世界戦線の他のメンバーに対する仲間意識も芽生えてきます。観客という”傍観者”として接していたつもりが、悲劇の共有によって”当事者”にさせられてしまい、物語世界へ深く引き込まれていきます。こうしてアニメを見ながら、知らず知らずのうちに我々も死んだ世界戦線の一員として戦いに参加させられてしまうわけです。

●『Angel Beats!』のレビュー&考察:臓器移植と音楽を通じて描かれる想いの”継承”

 音無は生前、死ぬ間際に自分の命を誰かに託せると考え、免許証の臓器移植の意思表示に丸を付けます。そして死後の世界で天使ちゃんと不思議な縁でつながっていることが判明するわけですが、音無と天使ちゃんが前世から何らかの絆があったという設定は、『AIR』で描かれた1000年を超えるつながりを思い起こさせます。

 時を超えた絆はロマンティックさを演出できますし、運命や純愛を表現するのにも一役買っていると言えるでしょう。また本作では臓器移植や音楽によって、想いや意思の”継承”というテーマが描かれているようにも思います。

 自分の心臓が他の人に引き継がれるというのは、ある意味直接的で分かりやすい表現ですが、本作では音楽においてもこの継承というテーマが設定されている印象を受けました。ガルデモでボーカル&リズムギターを担当する岩沢は生前、あるアーティストのナンバーを聴いて刺激を受け、自分も音楽で想いを伝えたいと考えるようになります。

 岩沢が自分の想いを実現し消えてしまった後には、そのガルデモの曲に魅了された少女・ユイがガルデモの音楽を引き継ぎます。

 ユイが消えてしまった後も、岩沢が最後に歌った曲「My Song」を卒業式前に天使ちゃんが口ずさみ、エンディング後のラストシーンでも生まれ変わった天使ちゃんらしき人物が再び「My Song」の鼻歌を歌っています。

 前世から死後の世界、そして来世まで時空を超えて、音楽が引き継がれているのです。ここには、たとえ当人が消えてしまったとしても、音楽や心臓(心臓を託した想い)を通して別の誰かへ想いは受け継がれていくというメッセージが込められているように思われます。

 また本作は死後の世界を扱った作品である一方で、同時に”生きるとは何か”の問いも扱われているように思います。”生きるとは何か”その答えとして、もし個体として死んでしまっても、心臓移植や誰かを助けたい想い、音楽などさまざまな形で命は誰かに引き継がれ、時空を超えて人は生き続けると語り掛けられているような印象を受けました。

 もしかすると麻枝氏自身も人から想いを受け継いできた(音楽やゲーム、他のライターの影響を受けてきた)し、そうして作られた自分の作品も誰かの心に受け継がれ、生き続けて欲しいという麻枝氏のクリエイターとしての想いが込められているのかもしれません。

 最近行われた麻枝氏へのインタビューでも「久弥君が残した『泣きゲー』という文化を引き継いできた。ずっと追い越せなかった彼の背中を、25年追いかけて、追いかけて…」と、同じKeyで活躍したシナリオライター・久弥直樹氏から泣きゲーを引き継いだ旨を語っており、こうした点からも”継承”のテーマは今なお意識されているものと推察されます。