この先の40年、前を向いて笑顔で過ごすために大切なもの
20歳で社会人となった人なら、60歳の定年までに40年間働いてきたことになります。そして、人生100年時代と言われる今、定年後の時間も40年ほどあります。
これまでを振り返ると、結婚し、子どもが生まれ、家を買い、会社では重責を担い、忙しさの中にも満足感や充足感を得た、あっという間の40年間だったのではないでしょうか?
筆者もファイナンシャルプランナーとしてお客様のライフプラン相談を承っていますが、いわゆる現役世代のご相談は、大変そうではありますが喜びも多く、まさに人生の最盛期を生きていらっしゃるのだなと思うことが多々あります。
一方、定年後の40年間についてご相談の場合、親や友人が亡くなって寂しかったり、自身の健康状態にも不安があったりで、ちょっと心がお疲れの方も多いです。さらに、退職金はあるものの、継続雇用でいただける給与は少ないし、ありがたい年金もいざ金額を見るとため息が出そうだと、懐具合も寂しい方も少なくありません。
でも、これからの40年、肩を落として暮らすなんてもったいない。しっかり前を向き笑顔で過ごしたいものです。
実際これからの生活設計をする際は、「今」を起点に考えるのはNGです。第1回()でご紹介した「75歳の自分」をイメージしながら逆算して、今取り組むべきことを一つ一つ実行する「オイカツ」が重要です。過去11回の記事を通して、これからの働き方、公的年金や保険、資産運用のお話などをしてきましたが、みなさんの「オイカツ」は順調でしょうか?
これまで主にお金についての情報をお伝えしてきましたが、今回は「目に見えない資産」――すなわち人とのつながりの大切さについて改めてお伝えしたいと思います。
自身もいずれ「認知症になる」と想定して対策を
私たちの人生は長いです。「75歳をイメージした生活設計に取り組みましょう」とお伝えしてきましたが、その後の人生もまだまだあります。そして、認知症や介護、相続に直面します。
厚生労働省の発表によると、認知症の有病率は年齢と共に高まると言われており、80歳代の後半であれば男性の35%、女性の44%、95歳を過ぎれば男性の51%、女性の84%が認知症であることが明らかになっています。この数字を踏まえると、私たちはいずれ認知症になるものだと想定して、対策を考えていくしかありません。もちろん認知症にならずとも、介護で誰かにお世話になることも前提にした方がよいでしょう。そしていずれ亡くなります。
認知症になると、お金の管理ができなくなります。能力的にできなくなるということと、社会的にできなくなるという二つの意味があります。銀行口座から年金を引き出せなくなりますから、日々の暮らしも困ります。各種契約はできなくなりますから、家を売却したお金で施設に入りたいとなっても、自分ではどうにもならなくなります。
対策を立てずに認知症を発症してしまうと、「成年後見人」という代理の方に様々な手続きをお願いすることになります。きっと誠意を持って対応してくれると思いますが、そもそもこれまで全く縁がない方が任命されることも多いですし、すでに依頼人との意思疎通は難しくなっている訳ですから、自分が思い描いた暮らしを維持できるのかというと、かなり難しいでしょう。
相続も然りです。「亡くなったら終わり」ではなく、自分が亡くなった後に資産の整理が必要となります。各種届け出もあります。解約だけでなく、給付金等の受取の手続きもあるでしょう。でも、どこにどのような口座があるのか、契約があるのか分からなければ、相続人もお手上げです。
ちなみに、自分自身が相続人である場合でも認知症を発症していると、なかなか面倒なことが起こってしまいます。また、亡くなった方が認知症を発症していても、同様にすんなりと運ばなくなります。
つまり、何かしら対策をとっておかないとダメだということです。具体的には、家族信託を利用したり、任意後見人を立てたり、遺言書を用意したりすることが有効です。
実際、専門家による問題提起も増えてきており、社会的にも上記のような対策の必要性を感じる方が増えてきているようです。ただし気をつけなければいけないのは、むやみやたらに騒ぎ立てると、もっと大切なものを失ってしまう可能性があるという点です。
例えば、「相続税」を支払わなければならない人は、それほど多くはいません。なぜならば、相続財産のうち「3000万円+600万円×法定相続人の数」で計算された金額は、税金のかからない枠として控除されるからです。例えば、夫婦に子ども2人という家庭であれば、夫が亡くなったとしても法定相続人は妻と子2人となり、合計4800万円までの財産は非課税です。
つまりそれ以上の財産があれば「相続税」の支払いが必要となりますが、それ未満であれば税金の支払いは発生しないのです。もちろん、税金の支払いは不要ですが父親が遺してくれた財産は、遺された家族で遺産分割をします。
“争族”への警鐘を鳴らす情報は多いものの、鵜呑みはNG
最近気になるのは、この財産を分ける際に「争族」が起こるかもしれないと指摘する専門家等の動きが活発なことです。今まで仲が良かった兄弟が、親が亡くなると手のひらを返したように険悪になり、財産を奪い合うことがあるから、今のうちに対策しましょうといった「争族対策」を促すケースです。
もちろん実際そういうケースもあるのでしょう。親の介護を一人で担ったにもかかわらず報われなかったとか、前妻の子がいきなり現れて遺留分を請求したとか、ネットで探せば様々な話を目にします。
しかし、このような話を鵜呑みにして疑心暗鬼になってしまうのは良くないと、私は思っているのです。先走って「争族」対策をしたことで、人間関係が険悪になる方がよっぽど問題です。
誰だって痛くもない腹を探られたら気持ちが良いものではありません。親切心も懐疑的に受け止められたら、人間関係が壊れてしまいます。何が言いたいかというと、対策も大事だけれどその前に「人とのつながり」をまず大事にしましょうということです。
家族の相続でギクシャクするかもしれませんが、まずは家族が仲良く常日頃思いやりのある対話をしていれば「争族」は起こらないでしょう。また相続に限らず、穏やかなコミュニティがあれば、たとえ認知症になったとしても、身体が不自由になったとしても、安らかな気持ちで暮らせるでしょう。
オイカツに「私も周りも幸せにする」行動を加えよう
最近改めて思うのは人とのつながりに勝る財産はないということです。将来に備えてお金を蓄えることは当然大切ですが、お金がたくさんなくても幸せを感じる、健康を損なっても幸せな気持ちでいられる「場所」を作ることの方がよっぽど価値があるのではないかと。
つまり、社会や家族から孤立しても困らない様に対策を打つより先に、社会や家族から孤立しないようなことを考えることが先決だということです。すなわち「見えない資産」への投資です。
オイカツ世代のこれからは、何も楽しいことばかりが起こるわけではありません。友人や家族との別れがあったり、自分自身もできない事が増え自信を失ったりすることも多いでしょう。不確定なことも多く、考えれば考えるほど、不安が募るかもしれません。でも正直なところ、いくら備えても一人で生きられるわけでもないし、むしろ75歳以降の自分に居心地の良い場所があることが安心につながるのではないのかなと思うのです。
そのためにはこれからは少し周りを見渡して、“私”が幸せでいられる世の中のために何かできることはないだろうかと思いを馳せることは悪いことではないでしょう。“私”が幸せでいるためには、家族が幸せでいなければなりません。友人も幸せでいてもらわないとダメですし、街の人も幸せであった方がもちろん良いです。
そういう幸せを続けるための行動をこれからの「オイカツ」に加えましょう、というのが私からのご提案です。幸いオイカツ世代が80代になるのは相当先のことです。これから、「目に見えない資産」の積立を始めれば、十分世の中が変わるだけの成果が期待できるでしょう。