2023年4月、歴代最長となる10年にわたって金融政策の舵取りを担ってきた日本銀行総裁の黒田東彦氏が任期満了を迎えました。大規模な金融緩和を推進してきた黒田氏の退任に伴って、金融政策の「正常化」という着地点に向けた施策が求められます。日本経済の行く末は、これからの出口戦略に大きく左右されることでしょう。

話題の書籍では、金融政策に精通した専門家4名が新体制の抱える課題や施策について解説。今回は本書より、各誌連載のほか、テレビやラジオで解説者を務める加谷珪一氏の論考の一部を特別に公開します。

※本稿は『日銀 利上げの衝撃』(宝島社)の一部を再編集したものです。

量的緩和だけで経済は成長しない

日銀のこれからを予測する前に、日銀のこれまでを総括しましょう。

日銀は異次元の量的緩和を長期にわたって続けたわけですが、量的緩和自体は学術的にも効果があるとわかっている手法でした。緩和策を取ったこと自体はおかしなことではありません。

ただ、インフレ期待が生じて、マネーが市場に供給されたからといって、実体経済がどれだけ伸びるかというと、それは国によって効き目が違うだろうということも当初から想定されていたことなのです。

日本経済の根本的な問題はその構造にあります。企業自身が変わっていないこと、経済の仕組みが変わっていないこと、それが一番の問題でしたし、今もそうです。根本的な問題が解決されなければ、量的緩和策を取っても十分な効果を期待できないということは、多くの専門家の間で一致した見解だったのです。

そもそも日銀も、そういうスタンスでした。黒田東彦総裁の前任である白川方明前総裁が政界からの圧力を受けて緩和策を導入したときも、「経済成長の原動力になるのは企業のアントレプレナーシップであり、今の日本の状態ではいくら緩和をしても、その効果は限定的である」と繰り返し強調していました。

また安倍晋三政権が提唱した「アベノミクス」も、当初は「3本の矢」というキャッチフレーズでした。1本目の矢は「大胆な金融政策」。これが日銀の量的緩和策です。2本目は「機動的な財政政策」で、大規模な公共事業が想定されていました。そして3本目が「成長戦略」です。

実はこの「成長戦略」こそが重要で、安倍政権も持続的な経済成長を実現するには、日本経済の体質を根本的に変える必要があると認識していたのです。金融政策によってデフレからの脱却を試み、財政出動によって当面の景気を維持し、その間に構造改革を行い、経済を成長軌道に乗せるという戦略だったと思われます。

ところが、アベノミクスはすぐに3本目の矢を放棄してしまいます。構造改革には痛みを伴うからです。財政当局は基本的には大型の財政出動には消極的ですから、結局、アベノミクスは量的緩和策だけとなりました。

量的緩和策だけでは経済は成長しないと、政府も日銀も認識が一致していたにもかかわらず、量的緩和策だけになってしまったのです。

ただ、当時の雰囲気は異様で、緩和策をすれば万事解決、それを否定するのはけしからんという論調でした。市場も国民もこれさえやれば何でもうまくいくと考えてしまう雰囲気があり、多くの人が惑わされていました。

日本はスタグフレーションに入っている

結果はどうでしょう。量的緩和策にシフトしたことで、確かにインフレ期待は生じ、株価が上がって、円安が進みました。ただ、実体経済にその効果は及んでいません。当初から想定されていた通りなのです。

一部では失業率が低く推移したので効果があったとの主張がありますが、アベノミクスの開始時点で、すでに失業率はかなり下がっていました。一連の政策はそもそも失業率低下を目指したものではありませんから、賃金が上がり、経済が良くならないことには目的を達成したとはいえません。

それどころか、現在は賃金が上がらないのに物価が上がっている状況を迎えています。日本経済は既に不景気の下のインフレ、すなわちスタグフレーションに入っていると、私は見ています。

量的緩和策自体を否定するものではありませんが、これで経済が完全復活するということは、そもそもあり得なかったのです。効果が出ていないのは明らかだったのですから、量的緩和を始めて5、6年のところで撤退を模索すべきだったのではないかと私は考えます。にもかかわらず10年間、突っ走ってしまった。これは失策と言ってもいいのではないでしょうか。

現在は政府が発行する国債の半分以上を日銀が抱えていて、市場に流通する国債が減り、取引が成立しないという異常事態になっています。

この異常事態のなかで量的緩和策を続ければ、いずれ円そのものの価値が棄損され、円が売られて過度の円安になり、インフレに手がつけられなくなります。量的緩和策をこの先も続けるという選択肢は理論上あり得ません。

新総裁の下、日銀がいかにうまく緩和策から脱却するか。それが今後の日本経済にとって大きな鍵となっています。

長期金利1%が当面の目安。日銀が市場を手なずけられるか

では日銀は量的緩和策からどう脱却するのでしょうか。急激な変化は市場を混乱させますし、企業にも消費者にも大きな悪影響を与えます。よって各方面に影響が出ないよう、ゆっくりと静かに撤退するという道を選ぶはずです。

当面の目安は長期金利1%でしょう。1%程度ならば、経済に一気に逆風が吹くという状況には陥りません。市場の関係者も1%程度が妥当なのではと考えているようです。

新総裁になってから、2023年4月に日銀の金融政策決定会合が開かれますが、その場で長期金利の1%までの上昇を容認するか、もしくは4月の段階では容認をにおわす程度にとどめ、時間というクッションを使ってショックを和らげつつ、夏くらいに1%を容認するという展開も考えられます ※1。

※1 編集部注:金融政策決定会合は本書刊行後の2023年4月27日、28日に開催され、金融政策は全員一致で現状維持が決定された。

またイールドカーブ・コントロール(短期政策金利と長期金利の誘導目標を定め、その水準を実現するように国債の買い入れを行う金融緩和策)そのものから撤退するというところまで踏み込む可能性もなきにしもあらずです。ただ、撤退を表明して長期金利が1%程度に落ち着くならば、その後の運営が楽になるのですが、1.5%くらいに急騰する可能性もあります。そこまで踏み込むのは難しいかもしれません。

いずれにせよ、緩和策から脱却するといっても、一気に金利が上がらないようにして、長期金利を1%程度に落ち着かせることが日銀には求められます。新総裁の手腕が試されるのです。

『日銀 利上げの衝撃』

加谷珪一、髙橋洋一、熊野英生、須田慎一郎著
発行所 宝島社
定価 1,580円(税込)