文也さん(男性、56歳)は私立大学の教授。社会学の分野である程度名の知られた研究者です。研究職に就いている妻とはいわゆる別居婚のスタイルをとっています。娘、息子もいますが、すでに独立しています。4人で頻繁にSNSを通じて連絡を取り合うなど、家族仲は良好です。

あるとき、文也さんの元に、がんの治療をしていた父親が亡くなったとの知らせが入ります。なんとか無事葬儀を終え、お骨を持って父の家(父の生家)へ行くと、父が残していった「エンディングノート」を発見します。

しかし、文也さんはそのエンディングノートにも書かれていない驚きの事実を知ることになります――。

エンディングノートに書かれていない“驚愕の事実”が次々と…

文也さんは多忙で、なかなか休みもとれません。お世話ができる人もいないだろうと、とりあえず池の鯉は業者に引き取ってもらいました。

あとは家の片づけと財産の相続をしなければなりません。母は「関わりたくない、任せる」の一点張りです。文也さんには弟がいましたが、若いころに事故で亡くなっており、甥と姪(弟の子どもたち)が相続人となるはずです。義妹(弟の妻)を通じて連絡し、甥と姪の意向を聞きました。2人はうまく連絡がつかずに葬儀には間に合わなかったのですが、財産を受け取る気はあるようです。特に甥は、古民家を活用して事業をやりたいという夢を持っており、どうも生前に文也さんの父は彼に家をゆずる約束をしたことがあったようです。彼が使ってくれるのなら、片付けや売却の手間が省けるので助かります。

電話で話すと、甥からはなぜ葬儀のことを知らせてくれなかったのか、鯉は高価なもので祖父から世話を頼まれていたのに、なぜ勝手に処分をしたのかと泣いて責められてしまいました。そのあたりのことはエンディングノートにも書かれてはおらず、いつそのような約束がされたのかも分かりません。そんなに言うなら、生前もう少し父の世話をしてくれていてもよかったのではと、釈然としない思いを抱えながら電話を切りました。

さらに数日後、文也さんを愕然とさせる事実が判明しました。なんと、父には認知した婚外子がいたのです。そんなこともエンディングノートには書かれていませんでした。その人は父の死を新聞の訃報欄で知ったらしく、つてをたどって文也さんに連絡して来ました。どうも、父はそちらにも遺産について、大きな金額の約束をしていたようです。父が約束したほどの金額は口座に残されておらず、土地や家を売ることを想定していたのかもしれません。優しかった父ですが、その優しさのツケが文也さんに回ってきてしまったようです。

エンディングノートの内容が実行されるのには、何が必要だったか

文也さんのお父さんは、エンディングノートや契約によって、自分の病気の治療やお葬式に関しては意思を明確にしていました。しかし、それを病院や文也さんに伝える人がいなかったので、実行に結びつきませんでした。それでも、文也さんという息子がいて、遠隔地からではありますが手配をできたので、形としては問題なく死後の火葬に関する手続きまで行えました。

ただ、財産の相続についてはさまざまな人に“口約束”をしてしまい、それを遺言書など明確な形では残していなかったので、これから文也さんは相続人の間での遺産分割協議を行わなければなりません。

自分の意思を明確に文書や契約などの形で残すことと、自分が人に伝えることができない状態になっても、確実にその意思が必要な人に伝達されることがセットになってはじめて、自分の意思が実行に移せるという点が、高齢期の課題といえます。

特に、スマホなど個人だけが利用できるものに情報(たとえば親しい人の連絡先など)が集約されがちで、家族がいても簡単には利用ができなくなりつつあります。電話番号も家ではなくて個人に紐づいていて、調べることは簡単ではありません。一人暮らしの方だけではなく、誰かと住んでいても、昔のように情報を共有できているとは限らないのが現代の特徴です。今はまだ整っていませんが、必要な情報を身近な人に頼らずに流通させる仕組みがこれからの社会で求められます。

後日、文也さんは重い気持ちで母に相続の話をしました。母は意外とあっさりとした反応だったので安心しましたが、父の時と同じことにならないよう、できるだけ元気なうちに、病気になった時のことや、死を迎えたときのことを聞かなければと文也さんは思いました。

試しに墓のことを聞いてみたら、父の家の墓に入るのは絶対に嫌で、共同墓地を探していると話してくれたので、今度一緒に検討してみるつもりです。そして、自分もできるだけ希望を家族に伝えておかなければと思うのでした。