ファイナンシャルプランナーの筆者のもとに、50代の女性が相談に来られました。夫が病気で亡くなって2年。ようやく新たな人生を考える気持ちになったとのこと。ただ、夫とふたりで暮らしてきた自宅を義家族に明け渡すことへ理不尽さを感じている様子。なぜ夫名義の自宅を失いかけているのか、子どものいない夫婦が陥りがちな問題としてお伝えします。

<相談者プロフィール>

●相談者:前田育子さん(53歳・仮名)
・会社員
・滋賀県在住
・義母とふたり暮らし
・年収  480万円(手取り27万円/月・ボーナス 54万円/年)
●夫:前田隆さん(享年51歳・仮名)
●義母:前田睦子さん(79歳・仮名・義父とは死別)

最愛の夫に余命宣告……最期は自宅で過ごしたい

相談者の育子さんと夫の隆さんは大学の同級生。就職をきっかけに東京と滋賀の遠距離恋愛が始まったふたりでしたが、26歳の時に5年の恋を実らせて結婚しました。その後、想定より早く東京から滋賀に戻ってこられたため、念願の庭付き一戸建てを購入。育子さんの実家から柴犬のチャコを引き取って、穏やかで温かな暮らしを楽しんできました。

そんな夫婦に大きな転機が訪れたのはふたりが51歳の時。8月末、夫の隆さんに「がん」が見つかったのです。医師からは、かなり進行した状態だと聞かされます。

「あとどのくらい持ちますか?」

育子さんの質問に対し、医師は「冬は越せないかもしれません」と返答。それでも、できるだけ治療を受けてほしいと願う育子さんに対し、隆さんの希望は「これまで通り自宅で穏やかに過ごしたい」というものでした。

そうした事情もあり普段は自宅で暮らし、ときどき通院して緩和ケアを受けていた隆さんでしたが、徐々に病状が悪化。通院が難しくなったのを機に、本人の希望通り入院ではなく自宅での在宅治療を始めました。

隆さんにとって、がんになったことだけでなく、頑張ってきた仕事を辞めざるを得なくなったことは本当につらかったと思います。それでも部屋で静かに本を読んだり、愛犬のチャコと戯れたりすることで少しは気が紛れていたようです。

在宅治療とともに開始した義母との同居

ふたりの暮らしに変化が起きたことがもう1つ。在宅治療を始めてから、義母がときどき隆さんの様子を見に来るようになりました。着心地の良いパジャマを買ってきたり、手作りの料理を持参したりと、子を想う母ならではの気遣いが続きます。休日には義姉夫婦も子どもを連れてお見舞いに来て、にぎやかな時間となっていました。

しかし、穏やかで温かな日々は長く続きませんでした。日に日に病状が悪化していく隆さんを見た義母から、ある時こんな提案をされます。

「残り僅かな時間を一緒に過ごしたい。できれば、最期の時までこの家に泊めてほしい」

家族みんなで見送りたいと考えていた育子さんにとって、断る理由はありません。それから約2週間、義母とふたりで看病し最期は義姉家族も一緒にその時を迎えました。

自宅に居座る義母の「衝撃発言」

その後、育子さんは別れの寂しさを感じながらも無事にお通夜とお葬式を終え、隆さんを見送ることができました。

ところがここで、育子さんにある疑問が出てきます。お通夜やお葬式を終えて一段落しても義母が自宅に戻らないのです。四十九日が過ぎても、2カ月たっても帰る気配がないことを不思議に思い、思い切って義母に聞いてみることにしました。

「自宅へはいつ戻られるんですか?」

それに対し、義母からは衝撃の答えが返ってきます。

「ここは私の家だけど?」

義母は自分の家へ帰るつもりなどさらさらなかったのです。「義母の荷物がいつの間にか増えていたのはそういうことだったのか……」と気付くも時すでに遅し。平日は義母の友達が、休日には義姉家族が頻繁に遊びにくる始末です。

心がざわついていたにも関わらず、役所での手続きや看病のため休職していた間にたまった仕事に追われ、見過ごしてしまったことが“痛恨のミス”となりました。

●義母が頑なに育子さんの自宅に居座る理由とは何なのでしょうか。また、将来降りかかっているであろう負担を見越し、育子さんは思い出深い自宅を離れることも視野に入れ始めました。後編で詳説します。