<前編のあらすじ>

柴山達也(28歳)は、FX(外国為替証拠金取引)にのめり込み、会社を退職して一日中売買を繰り返す投資を行っていた。

小さな利益を重ねることで、面白いように収益が膨らんで、証拠金に入れた50万円を大きく上回る収益をあっという間に獲得できた。

このまま「FX投資家」として生きていくことができるのではないかと考えるようになっていたが……。

 

見失った投資トレンド

2023年は、日本がマイナス金利政策で金利を低く据え置いている間に、米国はどんどん金利を引き上げていった。日米の金利差が開いていき、円は下落し続けた。ところが、米国が政策金利の上限を5.5%に引き上げた2023年7月以降から、一本調子に続いていたドル高・円安のトレンドが崩れた。それからは、柴山は何をよりどころに投資を続ければよいのか見当がつかなくなった。円安のトレンドは続くのか? それとも、円高に転換したのか? そのスタンスさえしっかりしていれば安心できたのだが、いくら情報を探しても、誰も明確な立場を表していなかった。さんざん調べて分かったことは、誰も確かな見通しなど持っていないということだった。しかし、それでは投資の戦略が立てられなかった。

 

柴山は、それまで稼ぎ出していた100万円近い収益を、あっという間に吐き出してしまった。そもそも最初に銀行預金から振り替えた50万円も半分ほどに減ってしまったとき、「FXはゼロサム・ゲーム。仲介手数料を徴収するFX会社が存続する限り、敗者の数の方が必ず多くなる」というある投資家のつぶやきに出会った。最初は、スワップポイントといわれる預金利息のようなものがもらえるので、ゼロサムではないと思っていたが、ポジションによってはスワップポイントがマイナスになることも経験した。結果的に価格の上げ下げだけを収益の源泉としているFXは参加者の利益と損失の総和(サム)がゼロとなるゲームであることは明らかだった。

FXの限界が教えてくれた「育てる投資」

この経験を通じて柴山は、FX投資の限界を悟った。ただ、投資をすることのだいご味や面白さはわかった。柴山は、「育てる投資」をしてみたいと考えるようになっていた。畜産家が子牛を仕入れて成牛に育てることによって収益を得るように、世の中に知られていない成長企業に投資して、世の中に認知されるほど目覚ましい業績をあげるようになったときに売却すれば、大きな収益が期待できる。世の中には、そのような投資機会は決して少なくないことを知った。

たとえば、iPhoneで有名な米アップルの株価は、2004年には1ドル以下で買えた。それが、20年後の今では200ドルを超えている。また、AI(人工知能)向け半導体で有名なエヌビディアの株価も20年前は0.2ドルだった。それが今や130ドルになっている。20年間で650倍だ。これらの変化は、NASDAQ市場という一般公開の株式市場で起こったことで、誰でも購入し、その成長に参加することができた。今年から始まった新NISAなら、収益非課税で投資ができるので大きなリターンを得る投資に有利な制度になっている。

2つの「働き手」という発想

FX投資にのめり込み、また、さまざまな投資について情報を集めたことで、柴山は働くことに関する意識や社会を見る目も変わった。第一に感じたのは、レバレッジを使うなどの背伸びをするような考え方で行動すると、たとえうまくいったとしても長く続かないということだ。当たり前のことだが、身の程を知って、自分の実力に見合った行動をすべきだ。そして、自分自身が働いて収入を得るばかりでなく、資産も有効な投資をすることで収益を生み出すことができる。つまり、自分の身体と自分の資産という2つの働き手があるということだ。

柴山は、これまでの自分の働き方を反省した。自分自身に対する期待値が高く、かなり背伸びした成果を求めていたようだった。その高望みについても、「働き手が2つある」と考えるとずいぶん考え方が変わってきた。資産の方は、アップルやマイクロソフト、エヌビディアだって投資対象になる。自由に国境を越えて働かせることができるのだ。自分自身が今から就職しようとするととても高いハードルがあるが、資産は楽々とハードルを越えて自由に投資先(働く先)を選ぶことができる。

このことを知ったことで、就職先選びに失敗したというネガティブな感情から柴山は解放された。自分自身は、できることをコツコツ働けばいい。もちろん働くことでキャリアアップしたり、自分自身の成長があることは大事なことだが、他人と比べたり、競争してのし上がるような働き方はしなくてもいい。もう一つの働き手である資産の成長と合わせて考え、トータルで成績を考えるようにすればよいと思うと、ずいぶん気持ちに余裕が持てるようになった。

働くことに絶望した若者の再出発

柴山は、投資先を慎重に選び始めた。一番魅力的に感じられるのは、AI向け半導体のエヌビディアだったが、株価がかなり値上がりしているため、投資するのに二の足を踏んでしまっていた。もう一つは、アメリカの電気自動車メーカーのテスラだった。いろいろと問題がある企業だが、株価は2021年の高値400ドルと比較すると今は178ドルと半値以下の水準になっている。電気自動車を使った自動運転という次世代の移動手段、物流事業を展望すれば、テスラの将来価値は大きいというのが柴山の考えだった。株価に勢いのあるエヌビディアを追いかけるのか、あるいは、テスラの出直りに期待するのか。柴山は、投資先を考えるのが楽しみになっていた。

一方で、自身の就職についても改めて考えていた。学生時代に夢中になっていたプログラミングは、自分の能力に限界を感じて職業にすることを検討もしなかったが、AIを使ったプログラミングの方法が注目されるようになり、単純な入力作業から解放されるのであれば、柴山は試してみたいことがたくさんあった。「自分の好きを仕事にする」という原点に返って、もう一度関連企業を探し始めた。ネットでプログラミング関連の求人を探してみると、いくつか興味深い案内があった。応募フォームに必要なデータや面談希望日を入力すると、久しぶりに夕食を食べに外出する気持ちになった。外に出てみると夕方なのに日差しが残り、汗が噴き出すほどに暑かった。「今年の夏も暑くなりそうだ」と口をついた言葉に柴山は自然と笑顔になっていた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。