【中国問題グローバル研究所】は、中国の国際関係や経済などの現状、今後の動向について研究するグローバルシンクタンク。筑波大学名誉教授の遠藤 誉所長を中心として、トランプ政権の ”Committee on the Present Danger: China” の創設メンバーであるアーサー・ウォルドロン教授、北京郵電大学の孫 啓明教授、アナリストのフレイザー・ハウイー氏などが研究員として在籍している。関係各国から研究員を募り、中国問題を調査分析してひとつのプラットフォームを形成。考察をオンライン上のホームページ「中国問題グローバル研究所」(※1)にて配信している。



◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信しているフレイザー・ハウイー氏の考察を2回に渡ってお届けする。



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香港での抗議活動は約6カ月にわたって続いているが、この数週間ほどが最も危うい状況だった。警察が例外的な場合を除きデモを許可しないから、今や何百万人もの人々が街をデモ行進する光景はもう見られないかもしれない。11月に入って続いた混乱や暴力の度合が、多くの人々に驚きや衝撃、悲しみを与えたにも関わらず、デモ隊側の要求には依然幅広い支持があるようだ。別の言い方をすれば、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官と政府に対する不信や蔑みが非常に強く、デモ隊が起こす混乱を容認することが長官に対するメッセージを伝える最も容易な手段になっている。しかし、彼女はまだ幻想の中にいて、多くの人々、特に若者が感じている怒りや不満、絶望のレベルを十分に理解していないようだ。直近の世論調査では、林鄭氏の支持率は20.2%で、79%が政府に対して不満を持っていると回答した。唯一の驚きは、彼女の手腕に満足している人がまだ20.2%いるということだ。一体どういう人たちなのだろうか。彼女はこの街をカオスの崖っぷちに立たせた。年初には想像もできなかった光景が日常と化している。



最近になり、抗議活動が激化したのは、デモ参加者の1人が立体駐車場から転落し死亡した事故を受けて、デモ隊側が街を混乱させようとゼネストを呼び掛けてからである。月曜日の早朝には、多数のデモ参加者が衝突する中で交通警官が拳銃を抜いて1人の腹部に発砲、撃たれた男性は手術を受けて腎臓と一部肝臓を切除する事態となった。幸い命は取り留めたが、この発砲がデモ隊による暴力、破壊、混乱の波を引き起こした。機動隊は催涙ガス、ゴム弾、逮捕でこれに対抗した。2014年に起きた雨傘運動の際に多くの人が立ち上がって運動を支持したのは、警察の催涙ガス使用が「香港らしいやり方ではなかった」からだ。しかし、この数週間は警察が1日に1,000発以上の催涙ガス弾を発射することも珍しくなかった。催涙ガス弾がある方向に発射されると、火炎瓶の一斉投てきによる反撃に遭う。危険だが今やありふれた光景が、香港の街に広がっている。



発砲と同じ日、MTRの地下鉄駅を破壊していたデモ参加者らを追いかけていた地元の男性が、可燃性の液体をかけられ、火を付けられた。抗議運動やその参加者について多数の人と口論している間の出来事だった。男性は腕、顔、胴体にひどい火傷を負った。この事件ではまだ誰も罪に問われていない。また抗議活動参加者に発砲した警官も、捜査中のため停職処分になっていない。どちらの事件も携帯電話のカメラで記録されており、増え続ける暴力の激しさは誰の目にもはっきり分かるものになった。市内各地に設置されているレノン・ウォールの警備に当たっていた非武装の抗議活動支援者も、こん棒とナイフで襲われ大けがを負った。尋常なことではないが、異なる意見の持ち主に対する争いや攻撃が増え、これに眉をひそめることもほとんどなくなっている。あるジャーナリストが書いているように、伝統的に安全で平穏な香港であっても、うわべだけの文明は薄っぺらなものだ。



この街で不思議な感じがするのは、暴動や市街戦からほんの数ブロックのところでは、しばしば普通の生活が営まれていることだ。6カ月間にわたる騒動の影響を矮小化するものではないが、大部分の人々はまだ仕事をしている。たとえ在宅勤務が可能な一部の人は積極的にこれを選択していてもだ。結婚式は今も行われている。中止になっている会議は多いが、続いているものもある。週末は混乱しても平日は適度に予測可能で穏やかになるという比較的決まったパターンに、街はある時期までは落ち着いていた。しかしこのパターンはここ数週間で打ち砕かれ、抗議活動参加者に対する発砲が起きてからは、昼食時に「私とランチを」という抗議行動が起こり、会社員がオフィスから街頭に繰り出して、「装備を整えた」黒いシャツ姿の急進派としばしば行動を共にした。ビジネス街ということもありその規模は数千人にすぎなかったが、中環のにぎやかなペダーストリートで、ランチタイムに催涙ガスを見る日が来るとは誰も思っていなかっただろう。



さらに劇的だったのは、香港中文大学と香港理工大学を寮生たちが占拠したことだ。そこには若者から年配者まで年齢を問わず急進的な活動家も集まった。両大学は、九龍と新界の主要交通路をまたいでおり、学生たちは大学とつながる陸橋からそこにがれきを投げ込んで、通行をブロックした。警察は両方のキャンパスに突入しようとしたが、レンガや火炎瓶、さらには弓矢を装備し、戦う決意を固めた何千人もの抗議集団の抵抗を受けた。その後信じられない光景が展開した。催涙ガスが大学に降り注ぎ、何百人もの人々がキャンパスを守るために屋外で一夜を過ごしたのだ。香港中文大学などでのにらみ合いは数日で終わったが、香港理工大学では本稿執筆中も緊張した対立が続き、2週目に入ろうとしている。100人ほどの強硬派の抗議者が投降を拒否しているが、暴動の容疑で逮捕されることになるだろう。1989年6月4日の天安門事件になぞらえ、大学は香港版の天安門になり警察は学生を虐殺するだろう、という安易な話が広がった。そうした事態は決してあり得ないが、そんな話がソーシャルメディアやサイバー空間で独り歩きした。多くの催涙ガスや発射物が飛んだものの、「包囲作戦」の最中に死者は出ず発砲を受けた人もいなかった。抗議活動参加者の大半は最終的に投降した。



※1:中国問題グローバル研究所

https://grici.or.jp/



この評論は11月22日に執筆



(絶望の都市、香港「(2)【中国問題グローバル研究所】」へ続く)