#48 捜査員が残したオウム“〇✕メモ”…長官銃撃事件時効成立も警視庁が「オウム真理教による組織的な犯行」と断定した理由
FNNプライムオンライン6/6(金)17:00

オウム真理教による地下鉄サリン事件から10日後の1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った。
教団幹部・井上嘉浩元死刑囚の証言で事件との関与が浮上した、オウム信者であり警視庁の現役警察官でもあったX元巡査長。
涙ながらに「警察庁長官を撃った」と証言したが、その供述はデタラメばかりで、東京地検は犯人性が薄いとしてXの立件を見送る。
2004年には、Xらオウム真理教関係者が逮捕されたが、Xの供述はまたしても変遷し、不起訴となった。
警視庁はその後も捜査を続けたが、2010年3月30日、時効を迎えようとしていた。
発生から30年を迎えた警察庁長官銃撃事件。
入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、当時の捜査員が何を考え、誰を追っていたのか、「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。
時効成立もオウムの組織的犯行と断定
時効まであと4日となった2010年3月26日夕方、警視庁公安部参事官はマスコミ各社の公安部担当記者を参事官室に集めた。時効の際にどの様な発表を行うかについて、オフレコの事前レクを行ったのである。内容は3月30日の時効成立まで公表不可だった。
正直、衝撃の発表内容だった。犯行の指揮役、実行犯、犯行支援者など詳しい役割分担は不明なるも、X元巡査長含む教団信者8人が関与したオウム真理教による組織的な犯行であると断定したのである。役割分担が解明されていないということは、犯行の全容解明には至っていないことを意味する。誰による犯行なのか立証されなかったが、極めて怪しいグループが見つかり、この連中による犯行であると発表したに等しかった。
記者クラブが何らかの発表を求めたことは間違いないが、予想だにしない事態だった。
冒頭、参事官は「刑事訴訟法上、捜査資料は公表してはならないとなっていますが、公益にかなっている場合はその限りではないという条文があり、犯人逮捕には至りませんでしたが、国賠請求される可能性もあるのを覚悟で、こうした資料を公表することにしました」と決意を述べた。
法と証拠に基づいて実行犯を特定し組織犯罪を解明することができなかったにも関わらず、ここまでの内容を断定して発表することについて参事官は「公益」という言葉を強調して次の様に訴えた。
「国賠請求も念頭に置いてまで発表した理由は、捜査の結果、この事件はオウムグループによるテロであり、教祖・麻原の暗示、黙示に基づく犯行であると判断した上、現在も観察処分を受けている団体であり、信者も増え、麻原を信仰しているということの危険性を訴え、オウムの本質を知っていただくことで社会に警鐘を鳴らすことにつなげたいと思います。公益や国民生活を守るうえで必要であろうと考えました。オウムによる犯行という一言ではメッセージ性が弱いのではないかと考え、オウムが行ったテロであるということを説明するために資料を公表するのは大事だと判断しました」記者からは矢継ぎ早に質問が飛んだ。
――オウムによる犯行であるとした一番の根拠は何ですか?
「元巡査長については関与したことが濃厚と表現したが、元巡査長の所持品から拳銃発射時に生じる射撃残渣物が発見されたこと。オウム真理教が警察組織を敵対視している背景があって、教団幹部に『警察官にしかできないことがある』と言われ、元巡査長が『できません』と逡巡している部分の供述がとれていることなどから判断しました」
記者から異論出ず
事前レクは、警視庁が設定した公表解禁日まで記者が外部に漏らさない「オフレコ」を約束した場である。これまでの捜査で積み上げた証拠により犯人特定に至らなかったとするならば、発表内容そのものに疑義を差し挟んで良い場だった。
しかし筆者を含む各社の公安部担当記者の中で、この発表はおかしい、考え直すべきだと声を表だって上げた者は1人もいなかった。
血反吐を吐くような思いをしてきた警視庁が、こうした通常あり得ない発表に至ることは、捨て身で何かの礎になろうとしている風でもあった。その警視庁の前例のない覚悟を前に、時効の時だけの取材をスポットで任されたような記者たちに異を唱える勇気はなかったのである。
最後の1分1秒まで
事件発生当初から捜査本部に入り、今や公安一課長として特捜本部を仕切る殿(しんがり)となった栢木國廣は、3月29日の午前7時半、千代田区麹町の官舎から出勤のため出てきたところを筆者を含む複数の記者に囲まれた。
――おはようございます!最後の1日になりましたね。
「責任を感じています」
――しかし、なぜ早川らオウム信者は他の事件については話しておきながら、この事件についてだけ話さなかったんでしょうか?
「最初は破壊活動防止法の適用を免れようと必死だったと思う。しかし今となっては、彼らは警察という権力に対抗しきったんだという自負を持っているんでしょう。この事件は今後そういう意味を持たせていきたいんでしょう。早川(早川紀代秀元死刑囚)は心の中で麻原の側にまだいる。井上は麻原の側にはいないから彼の供述は信用できる。きょうまだ一日あるから全力で最後の1分1秒までやっていきますよ」
皇居お堀端の桜はもう満開だった。筆者が栢木を朝駆けしたのはこれが最後となる。半蔵門から桜田門への坂道を足早に下る栢木の背中に花吹雪が舞いかかっていた。まるで雨の様に見えた。
時効成立
30日午前0時、警察庁長官銃撃事件は殺人未遂罪での公訴時効が成立した。
筆者は都心を離れたある街の駅前で捜査員を待っていた。郊外でも終電は午前1時近い。時効成立後ではあるが、15年の捜査がどこまで迫れたのか興味は尽きない。待ち構えていた捜査員が改札口に現れた。口角が下がっていて、への字口になっている。疲れ切っていた。
「お疲れさま。終わったね。今日は疲れているから」。こう言われてしまうと二の句が継げない。私は捜査員に少しついて行く格好になったが、かける言葉が見つからなかった。すると捜査員はきびすを返して「そうだ、これお土産」と言って、私の上着のポケットにぐっと手を突っ込んで何かを入れた。捜査員はそのまま夜の帳に消えていった。
オウム信者「〇✕メモ」
捜査員の背中を見つめながらポケットをまさぐると、メモ紙だった。何かの表に見えた。縦軸にオウム教団のメンバーの名前が羅列されている。横軸の上には数字が並び、その下に「〇✕」が記されている。この表の真の意味を理解するのに、その後さらに15年かかるとは思いも寄らなかった。
【秘録】警察庁長官銃撃事件49に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。











