1999年(平成11年)

1993年に開幕したJリーグは今季で27年目を迎えている。平成とともに歩み成長し、そして時代は間もなく令和へと移行する。フットボールチャンネル編集部では、昨季までの26年間を1年ずつ振り返っていく。今回は1999年(平成11年)。

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 1999年はJリーグが2部制で行われた最初のシーズンである。Jリーグ ディビジョン1(J1)に参加したのは、消滅した横浜フリューゲルスと降格したコンサドーレ札幌を除く16チーム。横浜マリノスはフリューゲルスを吸収合併したことで『横浜F・マリノス』に名称変更。

●J1参加クラブ
鹿島アントラーズ
浦和レッドダイヤモンズ
ジェフユナイテッド市原
柏レイソル
ヴェルディ川崎
横浜F・マリノス
ベルマーレ平塚
清水エスパルス
ジュビロ磐田
名古屋グランパスエイト
京都パープルサンガ
ガンバ大阪
セレッソ大阪
ヴィッセル神戸
サンフレッチェ広島
アビスパ福岡

●J2参加クラブ
コンサドーレ札幌
ベガルタ仙台
モンテディオ山形
大宮アルディージャ
FC東京
川崎フロンターレ
ヴァンフォーレ甲府
アルビレックス新潟
サガン鳥栖
大分トリニータ

 10クラブでスタートすることとなったJリーグ ディビジョン2(J2)。J1と異なり1シーズン制を採用。ホーム&アウェイを2度、年間4回戦総当りで順位を決め、上位2チームがJ1自動昇格する。前年に日本代表監督としてワールドカップで指揮を執った岡田武史氏が札幌の監督に就任し、大きな注目を集めた。

 これまで完全決着方式で行われてきたJリーグだが、このシーズンからPK戦が廃止された。延長戦でも決着が付かない場合は引き分けとなり、勝ち点は90分勝利が『3』、延長戦勝利は『2』、引き分けの場合は両チームに『1』が与えられることになった。発足初年度のJ2でもこの新方式が採用されている。

 90年代後半は日本サッカーが飛躍的に成長。1999年は下の世代からも逸材が育っていることを印象付ける年となった。U-20世代の世界一を決める大会、FIFAワールドユース選手権で日本が躍動。小野伸二、高原直泰、稲本潤一、本山雅志、遠藤保仁、小笠原満男らを擁したチームは初戦こそ落としたものの、その後2連勝で決勝トーナメント進出を果たす。

 ラウンド16のポルトガル戦ではPK戦にもつれこむ死闘を制し、準々決勝ではメキシコを2-0、準決勝でもウルグアイを2-1で下し決勝進出を果たした。当時、FIFA主催の世界大会で日本が決勝に進むのは、男女全ての年代を通じて初めてだった。

 決勝は小野伸二を出場停止で欠いたこともあってスペインに0-4と敗れ、準優勝に終わった。しかし、小野と本山はベストイレブンに選出。このチームはA代表のフィリップ・トルシエ監督が率いたが、黄金世代の面々は次々とA代表に食い込んでいくこととなる。

主な出来事

 前年のシーズン終了後、ヴェルディ川崎の経営体制が変わった。読売新聞社とよみうりランドが経営から撤退し、日本テレビ放送網の全額出資に移行。経費削減のため三浦知良や柱谷哲二といったスターが放出された。横浜フリューゲルスの消滅などデリケートな時期だったが、チームは存続している。

 一方でベルマーレ平塚は危機を迎えていた。メインスポンサーのフジタが撤退し、湘南の暴れん坊と恐れられた時代の主力が次々にチームを去った。リーグ戦では1stステージ、2ndステージ共に最下位と低迷し、J2降格を余儀なくされた。2019年現在はJ1復帰を果たしチーム力も向上しているが、1999年から2000年代は厳しい時代を過ごすこととなる。

 平塚と共にJ2降格となったのが浦和レッズだ。この年の7月に行われたシドニーオリンピックのアジア地区一次予選で、相手選手から悪質なタックルを受けた小野伸二が左膝靭帯断裂の重傷を負ってしまう。すでに押しも押されもしないエースだった小野を欠いた浦和は低迷。最終節で福田正博が延長Vゴールを決めたが、その時すでに浦和のJ2降格は決まっていた。そのことを知らされていなかった若手選手は福田に抱きついたが、福田は表情を変えなかった。「世界で一番悲しいVゴール」と呼ばれている。

 またこの年は、ジュビロ磐田がアジアの頂点に立っている。アジアクラブ選手権に出場した磐田は、決勝で完全アウェイのイラン・アザディスタジアムで同国のエステグラルと対戦。異様な雰囲気だったが磐田の選手はのまれず。鈴木秀人と中山雅史のゴール2-1と勝利し、大会制覇を成し遂げた。また、J1・1stステージ終了後には名波浩がセリエAのヴェネツィアに移籍している。

チャンピオンシップ

 リーグ王座奪還を狙う磐田は前年限りで闘将ドゥンガが退団したものの、日本人選手が順調に成熟。アジアクラブ選手権優勝などさらに自信を深めたチームは1stステージ優勝を果たした。

 この時代、Jリーグは磐田と鹿島アントラーズが2強だった。そうした状況にどこよりも悔しい思いを抱いていたのは、清水エスパルスだろう。磐田と同じ静岡県で、サッカーどころ清水のチーム。さらに言えば「オリジナル10」でもある。遅れてJリーグに参入してきたライバルに大きく水をあけられた清水だったが、この年は飛躍を遂げ、2ndステージをモノにした。

 初の同県対決となったチャンピオンシップ。静岡ダービーはプライドが激しくぶつかり合った。第1戦は30分に中山雅史のゴールでホームの磐田が先制する。しかしその4分後、清水は澤登正朗がネットを揺らして同点に追いつく。延長戦に突入した激闘は98分、再び中山が決め磐田が勝利した。

 第2戦も磐田が先にスコアを動かした。服部年宏がミドルシュートを決め、優勝にまた一歩近づく。対する清水は失点の直後、アレックスが報復行為で退場となってしまう。10人での戦いを強いられた清水だったが、37分に澤登が芸術的なFKを決めて試合を振り出しに戻す。

 またも延長戦に突入すると99分、清水のファビーニョが決めて2戦合計3-3となりPK戦で王座を決めることに。先攻の磐田が4人全員成功する中、清水は2人。サッカー王国による頂上決戦は磐田が制し、年間王者に返り咲いた。

両チームスタメン

第1戦
ジュビロ磐田
GK:尾﨑勇史
DF:安藤正裕
DF:鈴木秀人
DF:前田浩二
DF:山西尊裕
MF:藤田俊哉
MF:三浦文丈
MF:服部年宏
MF:奥大介
FW:高原直泰
FW:中山雅史

清水エスパルス
GK:真田雅則
DF:斉藤俊秀
DF:大榎克己
DF:西澤淳二
MF:市川大祐
MF:伊東輝悦
MF:サントス
MF:澤登正朗
MF:アレックス
FW:久保山由清
FW:安永聡太郎

第2戦
清水エスパルス
GK:真田雅則
DF:市川大祐
DF:斉藤俊秀
DF:西澤淳二
DF:戸田和幸
MF:伊東輝悦
MF:サントス
MF:澤登正朗
MF:アレックス
FW:久保山由清
FW:安永聡太郎

ジュビロ磐田
GK:尾﨑勇史
DF:安藤正裕
DF:鈴木秀人
DF:前田浩二
DF:山西尊裕
MF:藤田俊哉
MF:三浦文丈
MF:服部年宏
MF:奥大介
FW:福西崇史
FW:中山雅史

 J1は平塚と浦和が降格。浦和はオリジナル10では初めての降格クラブとなった。J2では川崎フロンターレが優勝、FC東京が2位に入りJ1昇格を決めた。

ベストイレブン、個人賞

ベストイレブン
GK:真田雅則(清水エスパルス)
DF:中澤佑二(ヴェルディ川崎)
DF:斉藤俊秀(清水エスパルス)
DF:森岡隆三(清水エスパルス)
MF:中村俊輔(横浜F・マリノス)
MF:アレックス(清水エスパルス)
MF:伊東輝悦(清水エスパルス)
MF:澤登正朗(清水エスパルス)
MF:福西崇史(ジュビロ磐田)
FW:ドラガン・ストイコビッチ(名古屋グランパスエイト)
FW:黄善洪(セレッソ大阪)

 ピクシーことドラガン・ストイコビッチが3度目の選出を果たす一方で、他の10名は全員初めてのベストイレブンとなった。最多は清水からの6名で、2ndステージでの活躍が光った。年間王者の磐田からは常連組ではなく福西崇史が名を連ねている。また、この年から横浜マリノスの10番を背負った中村俊輔も初選出された。

個人賞
最優秀選手賞:アレックス(清水エスパルス)
得点王:黄善洪(セレッソ大阪)
新人王:中澤佑二(ヴェルディ川崎)
最優秀監督賞:スティーブ・ペリマン(清水エスパルス)
優勝監督賞:桑原隆(ジュビロ磐田)
優秀主審賞:レスリー・モットラム
優秀副審賞:山口森久
功労選手賞:柱谷哲二

 チャンピオンシップでは悔しい思いもしたアレックスだが、年間での活躍が認められMVPに選ばれた。16歳でブラジルから明徳義塾高校に入学し、清水では切れ味鋭いドリブルで存在感を放ってきた。

 新人王に輝いた中澤佑二は、ヴェルディの練習生という立場から一気にスターダムを駆け上がった。ハングリー精神と不断の努力で価値を高めている。この年は「雑草魂」という言葉が流行語大賞となったが、中澤もそうしたスピリットを持って成長した選手だ。

この年、世の中では何が?

 NTTドコモの「iモード」が登場した1999年は、ノストラダムスの大予言が大きな話題を呼んだ。「1999年7月に世界が滅亡する」という予言があったが、世界はその後も存在し、現在に至る。この年はコギャル文化が進化を遂げ、さらに派手なメイクのヤマンバファッションが出現。このカルチャーの変容ぶり、もしかしたら新世界が誕生したとも言える(?)

 宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、GLAYなど人気アーティストを抑え、この年のオリコン年間シングルチャート1位を獲得したのは「だんご3兄弟」だった。NHK教育テレビの『おかあさんといっしょ』のオリジナル曲で、CDを発売すると300万枚の大ヒットを記録。社会現象となった。

 また1999年は尾田栄一郎原作の漫画『ONE PIECE』のテレビアニメが放送開始(連載開始は1997年)。海賊王を夢見る主人公モンキー・D・ルフィと仲間たち、そして「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を巡る物語だ。現在ルフィはメキメキと力をつけ、皇帝の一角にのし上がっている。

 今や懐かしいJリーグのお祭りといえば、JOMO CUP Jリーグドリームマッチだ。Jリーグの日本選手選抜と外国籍選手選抜が対戦。1999年にはイタリアの至宝ロベルト・バッジョがゲストとして出場した。バッジョは2ゴールを挙げるなど、随所にワールドクラスの技を見せつけた。また、かつて鹿島アントラーズに在籍しこの時はイタリアの名門ミランの選手だったレオナルドもゲスト出場している。