グアルディオラの下で覚醒! 新たな役割を確立した超攻撃的SB

バルセロナはタイトル獲得を義務付けられたスペインの名門クラブで、これまで数々の著名な選手を獲得してきた。額面通りの活躍を見せた選手もいれば、期待を裏切った選手もいる。ここでは、2000年以降に加入した選手の中から、チームを大きく変えた選手を紹介する。※移籍金などのデータは『transfermarkt』を参照
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DF:ダニエウ・アウベス
生年月日:1983年5月6日(37歳)
移籍金:3550万ユーロ(約43億円)
在籍期間:2008年夏〜16年夏
リーグ戦成績:247試合14得点67アシスト

 19歳のときにブラジルからスペインへと渡ったダニエウ・アウベスは、セビージャの主力に成長した。2008年夏にバルセロナに移籍。3550万ユーロ(約43億円)という移籍金は当時のDFとしては高額だったが、それが価値のある投資だと気づくことにさほど時間はかからなかった。

 アウベスが加入した08/09シーズンは、ペップ・グアルディオラが監督に就任した年でもあった。1年目から右サイドバックに定着したアウベスはチームの3冠(UEFAチャンピオンズリーグ、ラ・リーガ、スペイン国王杯)獲得の原動力に。その後も数多くのタイトル獲得に貢献し続けた。

 リオネル・メッシとの右サイドのコンビはバルセロナの得点源となった。高精度のクロスを放つだけでなく、ゲームメイク役も担う新たなサイドバック像を体現した。無尽蔵のスタミナはサイドを上下動するだけでなく、ペナルティエリアへと侵入するプレーにも活かされ、毎年のように2ケタアシストをマークしている。

 しかし、30歳を超えたあたりから契約問題が度々浮上し、16年夏には契約満了でチームを離れている。ユベントスやパリ・サンジェルマンでは怪我もあり、思うような活躍ができない時期も少なくなかった。しかし、サンパウロでは背番号10を着け、MFとして新境地を獲得。36歳のときに出場した19年のコパ・アメリカでは主将としてブラジル代表を優勝に導いている。

<h2>病魔に打ち克った「大きな心の持ち主」

DF:エリック・アビダル
生年月日:1979年9月11日(41歳)
移籍金:1500万ユーロ(約18億円)
在籍期間:2007年夏〜13年夏
リーグ戦成績:125試合0得点5アシスト

 華やかなフットボールで世界を席巻したバルセロナの中で、エリック・アビダルの地味な貢献が光っていた。07年夏にオリンピック・リヨンから加入すると、ペップ・グアルディオラ監督が就任した08/09シーズンの3冠(UEFAチャンピオンズリーグ、ラ・リーガ、スペイン国王杯)獲得に貢献。右サイドバックのダニエウ・アウベスとは対照的に、守備力の高さがバルセロナを支えていた。アウベスが「誰よりも大きな心の持ち主だった」とアビダルの現役引退時にコメントを寄せたように、献身性が光るDFだった。

 2011年3月には肝臓に腫瘍が見つかり、摘出手術を受けている。復帰までは5か月を要すると言われていたが、1か月半後のUEFAチャンピオンズリーグ準決勝で復帰し、5月28日の決勝では先発出場した。フル出場したアビダルは2年ぶりの大会制覇に貢献し、主将カルレス・プジョルの計らいによりアビダルは表彰台でビッグイヤー(トロフィー)を掲げる大役を任されている。

 翌シーズンも変わらぬパフォーマンスを見せたが、ちょうど1年後に病は再発する。移植手術からの復帰には1年以上を要したが、不屈の闘志でカンプノウに帰還し、夏にはフランス代表復帰を果たした。そのシーズンを最後にバルセロナを離れ、モナコとオリンピアコスでプレーして現役を引退。その後はバルセロナのスポーツダイレクターを務めたが、昨夏にクラブを離れている。

<h2>メッシと阿吽の呼吸、大型補強の陰で復帰した左サイドの専門家

DF:ジョルディ・アルバ
生年月日:1989年3月21日(32歳)
移籍金:1400万ユーロ(約17億円)
在籍期間:2012年夏〜現在
リーグ戦成績:251試合13得点55アシスト

 バルセロナはペップ・グアルディオラ監督の下で一時代を築いたが、主力選手たちの高齢化は進んでいた。13年3月に不動の左サイドバックだったエリック・アビダルが病を再発させると、バレンシアで活躍していたジョルディ・アルバが後継者として迎え入れられた。

 ラ・マシア(バルセロナの育成組織)出身のジョルディ・アルバは前任者とは異なり、攻撃的なスタイルが特徴だった。2歳年上のリオネル・メッシと阿吽の呼吸でゴールを量産。ルイス・エンリケ時代はベンチを温める時期もあったが、エルネスト・バルベルデ監督の下でその攻撃力は武器となっていた。

 ジョルディ・アルバが加入した時期、バルセロナは大型補強を繰り返している。1年後にはネイマール、その翌年にはルイス・スアレスを獲得。その後もアンドレ・ゴメス、ウスマン・デンベレ、アントワーヌ・グリーズマンに大金を支払っている。スアレスやマルク=アンドレ・テア・シュテーゲン、イバン・ラキティッチらクラブに貢献した選手も多いが、ジョルディ・アルバの古巣帰還は、クラブにとって必要不可欠だった。

<h2>欧州制覇とバロンドール受賞、クラブを変えたファンタジスタ

FW:ロナウジーニョ
生年月日:1980年3月21日(41歳)
移籍金:3225万ユーロ(約39億円)
在籍期間:2003年夏〜08年夏
リーグ戦成績:145試合70得点50アシスト

 パリ・サンジェルマン(PSG)で同僚だったミケル・アルテタは、ロナウジーニョを「彼はサッカークラブそのものを変えられる選手だった。彼はそれをパリとバルセロナでやっている」と振り返っている。2002年の日韓ワールドカップでブラジル代表優勝の立役者となったロナウジーニョは、PSGでその才能を開花させていた。

 2003年の会長選挙で選出されたジョアン・ラポルタは、フランク・ライカールト監督を招聘し、ロナウジーニョを獲得した。1年目こそ無冠だったが、続く04/05シーズンは5シーズンぶりにリーグタイトルを奪回。ロナウジーニョは2005年のバロンドールに輝き、05/06シーズンのリーグ連覇とUEFAチャンピオンズリーグ制覇の2冠達成の原動力となった。

 圧倒的なテクニックと創造性は、バルセロナの財産だった。しかし、07/08シーズンはコンディション低下が響き、シーズン終盤は右足を負傷して残りのシーズンを全休。このシーズンを無冠で終えたことでライカールト監督は退任し、エースだったロナウジーニョも退団している。

 その後はACミランに2年半在籍し、ブラジルに戻った。35歳以降は無所属が続き、38歳で現役引退を決断した。華麗なプレーとカリスマ性はバルセロナというチームを変えたが、夜遊びや不摂生がたたり、後年は輝きを放つことができなかった。

<h2>モウリーニョを称賛し、グアルディオラを批判。二面性を持っていたFW

FW:サミュエル・エトオ
生年月日:1981年3月10日(40歳)
移籍金:2700万ユーロ(約32億円)
在籍期間:2004年夏〜09年夏
リーグ戦成績:144試合108得点28アシスト

 15歳のときにスペインへ渡ったサミュエル・エトオはバルセロナで一時代を築いた。レアル・マドリードのカンテラ(下部組織)に在籍した経験を持ち、マジョルカで2ケタ得点を3度マークしてバルセロナへステップアップしている。

 ロナウジーニョやデコとともに、フランク・ライカールト監督が作り上げたドリームチームの中心となった。05/06シーズンには26得点で得点王に輝き、リーガとUEFAチャンピオンズリーグの2冠に貢献している。

 しかし、2008年の夏に就任したペップ・グアルディオラ監督は、就任当初にエトオを戦力外とみなしていた。残留することとなったエトオは公式戦36得点を挙げる活躍で3冠獲得の原動力となった。エトオはグアルディオラの手腕を認めているものの、「人として好きではない」と公に批判したこともあった。チームのために身を粉にして働く献身性と、自らのポリシーを貫くパーソナリティーが共存するストライカーだった。

 09年夏に移籍したインテルでは、ジョゼ・モウリーニョ監督の下で3冠達成に貢献。「モウリーニョが好きだ。彼ほど選手をやる気にさせてくれる人はいない」と評している。その後はロシア、イングランド、トルコ、カタールと渡り歩き、38歳で現役生活の幕を閉じた。不屈の精神で道を切り開いてきたアフリカ人FWは、バルセロナの歴史に名を残すストライカーだった。