馴染めぬまま退団

 イタリアが誇る名門ユベントスは、これまで数々の著名な選手を獲得してきた。額面通りの活躍を見せた選手もいれば、期待を裏切った選手も少なくない。ここでは、ユベントスが高額な移籍金を支払って獲得したものの、それに見合う活躍ができなかった選手を紹介する。※移籍金などのデータは『transfermarkt』を参照

——————————

MF:ジエゴ
生年月日:1985年2月28日(36歳)
移籍金:2700万ユーロ(約32億円)
在籍期間:09年夏〜10年夏
リーグ戦成績:33試合5得点11アシスト

 サントスでプロデビューし「ジーコの後継者」とも称されたジエゴは、欧州初挑戦の場となったポルトでこそ活躍できなかったものの、その後移籍したブレーメンで覚醒。得点とアシストの両方を大量に生産し、チームに歓喜をもたらし続けた。1年目のシーズン終了後には、いきなりドイツ年間最優秀選手に選出されている。

 そうした活躍があり、ジエゴは欧州ビッグクラブ注目の的に。そして2009年、当時バイエルン・ミュンヘンやレアル・マドリードからもオファーがあったようだが、同選手はユベントス加入を決断。移籍金は2700万ユーロ(約32億円)と高額になった。

 ジエゴは開幕からスタメンを張っており、2試合で2得点1アシストを記録とスタートダッシュに成功。期待に応えていた。しかし、その後は日程が進むにつれパフォーマンスレベルが低下。後半戦は途中出場の機会も増えた。当時ユベントスは低迷期にあり、このシーズン途中にも監督交代を行っている。そうしたクラブのゴタゴタ具合も、ジエゴのパフォーマンスに小さくない影響を与えていた。

 シーズン終了後、ユベントスはフロントを改革。会長にアンドレア・アニェッリが就任し、GD(ゼネラルディレクター)にはジュゼッペ・マロッタが就いた。その中でジエゴは戦力外となり、イタリアのサッカーに適応できぬまま、わずか1年でヴォルフスブルクへ去っている。

ブラジルの壊し屋

MF:フェリペ・メロ
生年月日:1983年6月26日(37歳)
移籍金:2500万ユーロ(約30億円)
在籍期間:09年夏〜13年夏
リーグ戦成績:58試合4得点1アシスト

 18歳でプロデビューを飾ったフェリペ・メロだが、その後は特に大きなインパクトを残せずにいた。しかし、2007年に加入したアルメリアでウナイ・エメリ監督により守備的MFへとコンバートされると、秘めたる才能が開花。複数クラブによる注目の的となり、バルセロナとレアル・マドリードが興味を示すという噂も出ていた。

 そのF・メロは2008年、当時欧州カップ常連のフィオレンティーナに移籍し、そこでも活躍。そして翌年、2500万ユーロ(約30億円)という移籍金でユベントス加入を掴み取っている。同選手にとってはこれが初のビッグクラブ在籍となった。

 しかし、F・メロは出場機会こそあったものの、当時のチロ・フェラーラ監督による起用法が微妙だったこともあり、高額な移籍金に見合うだけの活躍ができなかった。そしてブラジル人MFは、最も期待を裏切った選手に贈られる「ビドーネ・ドーロ(金のバケツ賞)」に選出。2年目もインパクトは残せず、評価を伸ばすには至らなかった。

 結局、F・メロは2011年夏にレンタルでガラタサライへ放出され、その後ユベントスに戻ってくることはなかった。同選手は後にイタリア紙『ラ・レプブリッカ』に対して「ユベントスへの移籍は間違いだった」というコメントを残している。なお、ユベントスに在籍した2シーズンでセリエAの59試合に出場したF・メロだが、その間にイエローカード19枚、レッドカード1枚をもらっている。

チリの名ストライカーが悩まされたのは…

FW:マルセロ・サラス
生年月日:1974年12月24日(46歳)
移籍金:2500万ユーロ(約30億円)
在籍期間:01年〜05年夏
リーグ戦成績:18試合2得点2アシスト

 チリを代表する名ストライカーと言えばこの男、マルセロ・サラスだ。1997年に母国を4大会ぶりとなるワールドカップ出場に導くなど活躍し、同年に南米最優秀選手に選出。1998年フランスワールドカップではイバン・サモラーノと強力なツートップを形成し、決勝トーナメント進出の立役者となっている。ちなみに彼らは「ZaSaコンビ(サ・サコンビ)」と名付けられていた。

 パワフルで粘り強く、南米出身選手らしい確かなテクニックも持っていたサラスはクラブチームでも大活躍。ウニベルシダ・デ・チリ、リーベル・プレート在籍を経て1998年に加入したラツィオではセリエA、コッパ・イタリア、スーペル・コッパ、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップ制覇に貢献している。欧州名門クラブからのオファーが殺到するなど、当時、同選手は間違いなく世界を代表するFWだった。

 だからこそ、2001年に移籍したユベントスでのパフォーマンスはガッカリと言わざるを得なかった。2500万ユーロ(約30億円)と当時としてはかなり高額な移籍金でラツィオからやって来たが、サラスは第8節ボローニャ戦で左足の靭帯を損傷。1年目を棒に振ってしまう。そして2年目も細かな負傷離脱を繰り返すなど、安定したパフォーマンスを見せることが全くできなかった。最終的にサラスは2003/04シーズンに古巣リーベルへレンタル移籍。そして2005年に同じく古巣のウニベルシダ・デ・チリへフリーで復帰している。ビアンコネロでは実質2年間の在籍で公式戦32試合に出場、得点は「4」でアシストはわずか「3」だった。

 ちなみに、ユベントスは2003年、当時10代だったクリスティアーノ・ロナウド獲得のためスポルティングCPと交渉を行っている。しかし、移籍間近とも報じられたが破談。その理由は、トレード要員と考えられていたサラスがポルトガル行きを拒んだからだ。「当時のポルトガルサッカーに魅力が少なく、(サラスを)説得できなかった」とはスポーツ代理人業務を手がける『GEAワールド』社長のアレッサンドロ・モッジの言葉。つまり、サラスがポルトガル行きを承諾していれば、C・ロナウドはもっと早く白黒のユニフォームを着ていたことになる。

活躍できたのはほんの一瞬

FW:アマウリ
生年月日:1980年6月3日(40歳)
移籍金:2280万ユーロ(約27億円)
在籍期間:08年夏〜12年冬
リーグ戦成績:71試合17得点5アシスト

 プロキャリアをスタートさせてしばらくは凡庸な成績が続いていたものの、2005/06シーズンにキエーボでセリエA二桁得点を達成。さらに翌シーズンより在籍したパレルモでも活躍し、2007/08シーズンにはリーグ戦34試合の出場で15得点4アシストを記録している。

 そのパレルモでのパフォーマンスを高く評価したのがユベントスだった。セリエA復帰1年目となった2007/08シーズンを3位で終え、2008/09シーズンに向けイケイケな状態だった同クラブは、アマウリに2280万ユーロ(約27億円)という決して安くない移籍金を費やしている。なおアマウリはユベントス入団時に「8年前にイタリアに来たとき、ビッグクラブでプレーすることが僕の夢だった。今日、それが実現した」と喜びのコメントを残していた。

 アマウリはリーグ開幕5試合で3得点を奪うなどスタートダッシュに成功。その後もコンスタントにゴールネットを揺らし、なんと前半戦だけで11得点を挙げる活躍を見せた。しかし、同選手の爆発はそこまで。後半戦は怪我の影響もあって前半戦の勢いが嘘のように失速し、ゴール数はわずか「1」に。2年目も得点数はまったく伸びず、終盤戦ではベンチスタートとなることも珍しくなかった。

 評価を下げたアマウリは2010/11シーズン途中にパルマへレンタル。同クラブでは結果を残し、2011/12シーズンに再びユベントスでプレーすることを決断した。しかし、アントニオ・コンテ監督の下で構想外となり、背番号も「11」から「38」に格下げ。同シーズンは当然ながら試合に全く絡めず、いわゆる「不良債権化」していた。結局、アマウリは2012年冬にフィオレンティーナへ売却されるのだが、移籍金はわずか50万ユーロ(6000万円)だった。

リーグ戦出場はわずか564分

FW:ホルヘ・マルティネス
生年月日:1983年4月5日(38歳)
移籍金:1200万ユーロ(約14億円)
在籍期間:10年夏〜16年夏
リーグ戦成績:14試合0得点0アシスト

 母国ウルグアイのクラブでプレー経験を積み重ねたホルヘ・マルティネスは2007年、元日本代表の森本貴幸が在籍していたカターニャへ移籍し欧州初上陸。2009/10シーズンにはマキシ・ロペス、ジュゼッペ・マスカーラらと共に攻撃陣を牽引し、インテルやユベントスといった強豪からゴールを奪取するなど、最終的にリーグ戦9得点3アシストの成績を残している。

 カターニャでのパフォーマンスが評価されたウルグアイ人アタッカーは、2010年にユベントスへの移籍を掴み取った。移籍金は1200万ユーロ(約14億円)。今考えると決して高額とは言えないかもしれないが、同年夏にユベントスが獲得した選手の中ではレオナルド・ボヌッチ、ミロシュ・クラシッチに次いで3番目に高い金額となっていた。

 しかし、ユベントスのマルティネスを見る眼は間違っていたのかもしれない。同選手は加入後すぐに負傷離脱すると、その後も怪我に悩まされる日々。まったく戦力にならなかった。結局、同選手のリーグ戦出場は14試合に留まり、プレータイムはわずか564分間で、フル出場を果たせたのはたったの2試合だった。そして、攻撃的選手としては屈辱的な0得点0アシストという成績に終わっている。

 存在感があまりにも薄すぎたマルティネスは、1年目のシーズン終了後にチェゼーナへレンタル。その後もCFRクルージュやノバーラ、母国フベントゥなどへの期限付き移籍を繰り返している。そして、2016年にフベントゥへフリーで加入。約14億円という移籍金で評価された男は、ユベントスというビッグクラブで実質1年しか過ごすことができなかった。