岡田武史(1)

日本代表は1998年のフランスワールドカップから6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。その間、日本代表はどのようなフォーメーションで戦ってきたのか。前後編の2回に渡って、監督ごとの布陣の変遷を振り返る。
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在任期間:1997年10月〜98年6月
主な戦績
1998年 AFCマールボロ・ダイナスティカップ:優勝(2勝1敗)
1998年 フランスワールドカップ:グループステージ敗退(3敗)

 日本代表は1994年のアメリカワールドカップ出場に王手をかけていたが、アジア最終予選を突破することができなかった。後半ロスタイムに追いつかれて引き分けたイラク代表戦は、「ドーハの悲劇」と呼ばれ、後世に語り継がれることになる。

 その翌年の1994年、フランスワールドカップ出場を目指す日本代表に、ファルカン監督が就任する。しかし、1年足らずで解任されると、加茂周監督が後任に就いた。しかし、アジア最終予選で窮地に立たされ、解任されてしまう。

 ヘッドコーチだった岡田武史が監督に昇格した日本代表は、アジア第3代表決定戦に進む。マレーシアで行われたイラン代表戦に勝利した日本代表はワールドカップ初出場を決めた。この一戦はジョホールバルの歓喜と呼ばれている。

 アジア予選や98年3月のダイナスティカップでは4-3-1-2の布陣が基本だったが、ワールドカップ本番を見据えて3バックを導入する。井原正巳を中心とした最終ラインの前には山口素弘と名波浩が並ぶ。サイドには相馬直樹と名良橋晃で、トップ下にはワールドカップ時点で21歳の中田英寿。若い城彰二とベテランの中山雅史の2トップだった。

 ワールドカップ本大会は3戦全敗。待望の大舞台では強豪国との力の差を見せつけられた。しかし、この経験が日本代表をワールドカップ常連国へと押し上げる。4年後には自国開催のワールドカップが待っていた。

●基本フォーメーション(フランスワールドカップ)

▽GK
20 川口能活

▽DF
19 中西永輔
4 井原正巳
17 秋田豊

▽MF
2 名良橋晃
6 山口素弘
10 名波浩
3 相馬直樹
8 中田英寿

▽FW
18 城彰二
9 中山雅史

<h2>フィリップ・トルシエ

在任期間:1998年10月〜2002年6月
【主な戦績】
1999年 コパ・アメリカ(南米選手権):グループステージ敗退(1分2敗)
2000年 AFCアジアカップ:優勝
2002年 FIFAワールドカップ:ベスト16

 自国開催となる2002年のワールドカップに向けて、日本代表はフィリップ・トルシエ監督を招聘した。来日当時は43歳と若かったが、アフリカ各国の代表監督を歴任した経験を持つフランス人指揮官だった。

 トルシエはフラット3と呼ばれる3バックシステムを導入する。ピッチ内外で厳しい規律を課し、長期的に戦術を落とし込んでいった。U-20日本代表の監督も兼任し、1999年のワールドユースでは史上初となる決勝進出という快挙を成し遂げる。この大会に出場した黄金世代と呼ばれる小野伸二や稲本潤一らを、トルシエは早くからA代表へ抜擢した。欧州でプレーする中田英寿や川口能活といったアトランタ五輪世代と黄金世代を中心に、若いチームでワールドカップに臨んだ。

 ゴールキーパーは川口能活と楢崎正剛の一騎打ちだった。基本は楢崎だったが、楢崎が負傷で欠場したアジアカップとコンフェデレーションズカップで川口が猛アピール。しかし、川口はワールドカップ直前のシーズンに所属クラブで出場機会を失い、本大会では楢崎が正GKに返り咲いた。

 3バックは右から松田直樹、森岡隆三、中田浩二の3人。しかし、キャプテンマークを巻く森岡はワールドカップ初戦で負傷し、以降はフェイスガードを着けていた宮本恒靖がプレーしている。

 右サイドは明神智和、左サイドは小野伸二で、中盤を主戦場とする2人を起用した。初戦のベルギー代表戦では市川大祐が右サイドで起用されている。中盤にはグループステージで2得点を挙げた稲本と戸田和幸で、トップ下は中田英寿だった。

 前線では鈴木隆行と柳沢敦がグループステージ3試合に先発し、トルコ代表とのラウンド16では西澤明訓の1トップ、三都主アレサンドロと中田英寿がその背後でプレー。日本代表は2勝1分で初のグループステージ突破を果たした。

●基本フォーメーション(日韓ワールドカップ)

▽GK
12 楢崎正剛

▽DF
3 松田直樹
17 宮本恒靖
16 中田浩二

▽MF
20 明神智和
21 戸田和幸
5 稲本潤一
18 小野伸二
7 中田英寿

▽FW
13 柳沢敦
11 鈴木隆行


<h2>ジーコ

在任期間:2002年7月〜06年6月
2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ:グループステージ敗退(1勝2敗)
2004年 AFCアジアカップ:優勝
2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ:グループステージ敗退(1勝1分1敗)
2006年 FIFAワールドカップ:グループステージ敗退(1分2敗)

 日韓ワールドカップで決勝トーナメント進出という快挙を成し遂げた日本代表はジーコを監督に迎えた。言わずと知れたブラジル代表のレジェンドで、選手生活の晩年は鹿島アントラーズの選手として日本サッカーとJリーグの発展に寄与。そのカリスマ性でさらなる飛躍を目論んだ。

 ジーコジャパンの中心はトルシエジャパンと同じで、小野伸二ら黄金世代と中田英寿らその上のアトランタ五輪世代だった。2人に加え、中村俊輔、稲本潤一らはヨーロッパに渡って研鑽を積んでいる。この4人は黄金カルテットと呼ばれたが、欧州でプレーしていることやコンディションの影響もあり、4人が揃って出場した試合は少ない。それでも、小笠原満男や遠藤保仁ら、中盤のタレントは揃っていた。

 2004年のアジアカップは故障やアテネ五輪のため、中田英寿、稲本、小野、高原といった中心選手が欠場している。しかし、宮本恒靖がキャプテンシーを発揮し、川口能活の神がかり的なセーブを連発。福西崇史らの活躍もあり、完全アウェイだった中国大会を制した。

 ドイツワールドカップアジア最終予選で日本代表は苦戦する。北朝鮮代表戦では大黒将志のゴールでなんとか勝利したように、薄氷を踏む戦いが続いた。しかし、結果的に3大会連続となる本大会出場権を獲得している。

 ジーコジャパンの基本は2トップだったが、最終ラインは3バックと4バックを併用していた。
ドイツワールドカップでは初戦が3-5-2で第2戦以降が4-4-2。宮本、中澤佑二、坪井慶介がセンターバックを務め、サイドは加地亮と三都主アレサンドロ。中盤は福西、中村、中田英寿が中心で、前線は高原と柳沢敦だった。

 メンバーの豪華さは日本代表歴代史上最強とも評されたが、ワールドカップでは1勝もできなかった。オーストラリア代表戦では先制しながら3失点を喫して敗れ、クロアチア代表戦はスコアレスドロー。ブラジル代表との第3戦では前回大会王者の力を見せつけられ、4失点で完敗。グループステージ敗退となっている。

●基本フォーメーション(ドイツワールドカップ)

▽GK
23川口能活

▽DF
21 加地亮
5 宮本恒靖
22 中澤佑二
14 三都主アレサンドロ

▽MF
15 福西崇史
7 中田英寿
8 小笠原満男
10 中村俊輔

▽FW
9 高原直泰
13 柳沢敦

<h2>イビチャ・オシム

在任期間:2006年7月〜07年11月
主な戦績
2007年 AFCアジアカップ:4位

 ドイツワールドカップ終了後、ジーコ監督の後を受けてイビチャ・オシム監督が就任した。ジェフユナイテッド市原を強豪へと成長させた名将で、前年にはクラブ初タイトルとなるヤマザキナビスコカップ制覇を成し遂げている。

 経験豊富な指揮官の下、ボールと人が動くサッカーを取り入れた。阿部勇樹、巻誠一郎、山岸智、羽生直剛らジェフで指導した教え子たちを積極的に起用し、オシム監督の目指すサッカーを浸透させていく。2006年のアジアカップ予選では国内組中心のメンバーでチームの底上げを図った。

 翌年のアジアカップではヨーロッパ組の中村俊輔と高原直泰を招集する。初戦は引き分けたが、連勝でグループを首位で通過。準々決勝ではワールドカップで敗れたオーストラリア代表にリベンジを果たしたが、準決勝でサウジアラビア代表に敗れた。3位決定戦ではPK戦の末に韓国代表に敗れ、ベスト4という結果に終わっている。

 ディフェンスは基本的にマンツーマンで、相手の布陣に合わせて最終ラインの枚数を変える。中盤には鈴木啓太のような「水を運ぶ人」と中村憲剛のような「エキストラキッカー」を配置する。「エキストラキッカーは1人か2人」としていたが、アジアカップでは遠藤保仁、中村憲剛、中村俊輔を同時に起用した。

 リスクの高いマンマークディフェンスを敷きながら、選手たちには適切な状況判断を求めることでリスクを調整した。「日本サッカーの日本化」を掲げたオシム監督のスタイルは、日本サッカーへ大きな影響を与えている。

 アジアカップベスト4という結果以上に日本代表への期待感は高かったが、オシム監督は07年11月に急性脳梗塞を患う。幸いにも命に別状はなかったが、指揮を執るのは困難となり、志半ばで監督を退任することとなった。

●基本フォーメーション(アジアカップ)

▽GK
1 川口能活

▽DF
21 加地亮
22 中澤佑二
6 阿部勇樹
3 駒野友一

▽MF
14 中村憲剛
13 鈴木啓太
10 中村俊輔
7 遠藤保仁
9 山岸智

▽FW
19 高原直泰

<h2>岡田武史(2)

在任期間:2007年11月〜10年6月
主な戦績
2010年 東アジアサッカー選手権:3位(1勝1分1敗)
2010年 FIFAワールドカップ:ベスト16

 病床に伏したオシム監督の後任として、岡田武史監督に白羽の矢が立った。1998年のフランスワールドカップを最後に日本代表監督を退任し、コンサドーレ札幌と横浜F・マリノスを指揮していた。2003年からマリノスをJリーグ連覇へ導いている。

 岡田監督が就任したのはワールドカップ予選が始まる2か月前。限られた時間の中で前任者のスタイルをベースに3次予選を突破する。最終予選はアウェイのカタール代表戦を除く7試合が1点差以内の試合と厳しい試合が続いたが、2試合を残して本大会出場権を獲得した。

 予選を戦う中で遠藤保仁と長谷部誠のダブルボランチが定着した。センターバックは空中戦に強い田中マルクス闘莉王と中澤佑二が据えられ、若い内田篤人と長友佑都がサイドバックに抜擢された。岡崎慎司がストライカーとして結果を残し、中村俊輔が司令塔に君臨。大久保嘉人、玉田圭司、松井大輔らが攻撃的なポジションで起用された。

 しかし、ワールドカップを目前にしてチームは失速する。国内最後の強化試合となった韓国代表戦で惨敗。ここで日本代表は守備的な戦術への転換を決断する。布陣も4-2-3-1から4-1-4-1へと変えた。

 司令塔の中村俊輔を外し、長谷部と遠藤の背後にはアンカーとして阿部勇樹を起用する。1トップは岡崎ではなく本田圭佑を抜擢。右サイドバックも攻撃が特徴の内田ではなく、バランスに秀でる駒野友一が据えられた。GKも楢崎正剛から川島永嗣へと替えられ、長谷部がキャプテンマークを巻くことになった。

 ボールを保持して敵陣に押し込むサッカーから、守備ブロックを敷いてカウンターからチャンスをうかがうスタイルになった。両センターバックは空中戦の強さを発揮し、松井と大久保のサイドハーフは献身的に上下動を繰り返した。前線に蹴りだしたボールを最前線の本田が収め、そこから2列目の4人を中心に全体を押し上げるのが狙いだった。

 ワールドカップ本大会で日本代表は初戦のカメルーン代表戦に1-0で勝利する。オランダ代表には0-1で敗れたが、デンマーク代表戦では遠藤保仁と本田圭佑が直接FKを沈めた。3-1で勝利した日本代表は2大会ぶりにグループステージを突破する。パラグアイ代表とのラウンド16は120分で決着がつかずにPK戦の末に敗れたが、守備的な布陣への変更は功を奏した。

●基本フォーメーション(南アフリカワールドカップ)

▽GK
21 川島永嗣

▽DF
3 駒野友一
22 中澤佑二
4 田中マルクス闘莉王
5 長友佑都

▽MF
2 阿部勇樹
8 松井大輔
17 長谷部誠
7 遠藤保仁
16 大久保嘉人

▽FW
18 本田圭佑