まさにガラスの天才

 サッカー選手は常に怪我と隣り合わせだ。1つの怪我でキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大怪我を負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は世界最高級の才能がありながらも、怪我に苦しむキャリアを歩んできた”ガラスの天才”5人を紹介する。

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FW:ジュゼッペ・ロッシ(元イタリア代表/SPAL)
生年月日:1987年2月1日
イタリア代表:30試合7得点2アシスト

 プロキャリアのスタートを切ったマンチェスター・ユナイテッドでは厚い選手層に阻まれ、なかなか出番を得られなかった。それでも、ニューカッスルとパルマへのレンタル移籍を経て2007年に加入したビジャレアルで覚醒。最終的に5シーズン在籍し、公式戦191試合82得点25アシストという申し分ない成績を収めている。当時の輝きは、凄まじいものがあった。

 しかし、ビジャレアルでは存在感が増していくと共に、怪我の頻度も増加していった。2007年には右膝半月板を損傷。2011年には右膝の前十字靭帯を損傷し、そのわずか6ヶ月後にも右膝前十字靭帯の損傷で長期離脱を強いられている。この影響で、ユーロ2012(欧州選手権)という大舞台に立つことが叶わなかった。そして、ビジャレアル退団後も、ジュゼッペ・ロッシの怪我との戦いは続いている。フィオレンティーナ在籍時には内側靭帯の損傷、セルタ時代にはキャリア3度目の前十字靭帯損傷を負ってしまった。

 その後、2018年から2020年までの2年間も所属クラブがない状況を経験したなど、怪我によりキャリアが下降線を辿ってしまったロッシ。ただ、足はボロボロなはずだが、サッカーへの情熱はまだ失っていない。先月、レアル・ソルトレイクを退団しフリーとなっていた男は、セリエBのSPALと契約したのである。現在34歳のレフティーは、再び輝くことができるのだろうか。

あだ名は「スワロフスキー」

MF:アルベルト・アクィラーニ(元イタリア代表)
生年月日:1984年7月7日
イタリア代表:38試合5得点3アシスト

 ローマの下部組織出身であるアルベルト・アクィラーニは、2002年にトップチーム昇格。2003/04シーズンにはトリエスティーナにレンタル移籍して経験を積み、ローマ復帰後はコンスタントにプレータイムを得るなど、順調なスタートを切っていた。しかし、才能は確かなのだが、当時から懸念されていたのが怪我の多さ。ロマニスタからは「スワロフスキー(ガラス細工)」というあだ名を付けられていたようだ。

 そのアクィラーニは2009年、レアル・マドリードに移籍したシャビ・アロンソの後釜としてリバプールに加入している。しかし、怪我を抱えたままの移籍だったため、開幕から数ヶ月はリハビリに費やすことに。ようやく新天地デビューを果たしたのは10月下旬のことで、その後はまずまずの出場機会を得た。ところが、2年目にラファエル・ベニテス監督が退任しロイ・ホジソンが新監督になると、アクィラーニは構想外に。結局リバプール在籍は1年間に留まってしまった。

 以降アクィラーニはユベントスやミラン、フィオレンティーナなどでプレー。ユベントスでは1年間フル稼働したが、ミランではローマやリバプール時代と同じく足首の負傷に悩まされ、フィオレンティーナ在籍時は細かな怪我を負うことが実に多かった。その後、元イタリア代表MFはスポルティングCP、ペスカーラ、サッスオーロ、ラス・パルマスに籍を置き、2019年に34歳で現役を退いている。

誰もが大物になると思ったが…

FW:ステファン・エル・シャーラウィ(イタリア代表/ローマ)
生年月日:1992年10月27日
イタリア代表:29試合6得点4アシスト

 モヒカンヘアーがトレードマークのステファン・エル・シャーラウィは2011年、18歳で名門ミランの一員となっている。当時のチームにはズラタン・イブラヒモビッチ、アントニオ・カッサーノ、ロビーニョら錚々たるメンバーが揃っていたが、その中でも一定の出場機会を確保。そして在籍2年目にはチャンピオンズリーグ(CL)で当時クラブ史上最年少ゴール、セリエAでは16得点をマークするなどブレイク。とくにミラニスタは、この男が大物になると確信していたはずだ。

 しかし、在籍3年目の2013/14シーズンより怪我の頻度が増加。中足骨骨折、大腿二頭筋の損傷、足の手術などで、なんとこのシーズンだけで計200日間の離脱を強いられている。翌2014/15シーズンも足首の炎症や骨折などの影響で計100日以上戦線離脱。そして、戦力にならなくなってしまったエル・シャーラウィは2014/15シーズン終了後、モナコへとレンタルに出されている。

 その後ミランに戻らずローマに加入し、中国移籍を経て今年1月に再びローマに戻ってきたエル・シャーラウィ。ここでは長期離脱こそしていないが、細かな怪我が多いなど、なかなか絶対的な存在になることができていない。かつて将来を嘱望された男も現在29歳になったが、スポットライトを浴びる日がやって来ることはあるだろうか。

イタリア屈指のMFだったが…

MF:リッカルド・モントリーボ(元イタリア代表)
生年月日:1985年1月18日
イタリア代表:66試合2得点4アシスト

 リッカルド・モントリーボは、わずか18歳でアタランタの主力に君臨。2005年に加入したフィオレンティーナでは25歳の時に正式にキャプテンへ任命されているなど中心人物となり、攻守においてセリエA屈指のMFへと成長を果たした。もちろんイタリア代表にもコンスタントに招集されており、2010年の南アフリカワールドカップ出場などを果たしている。

 そんなモントリーボだが、2012年のミラン移籍でキャリアが暗転した。それまで決して怪我の多い選手ではなかったが、同クラブの一員となってからは毎シーズンのように負傷離脱を繰り返してしまったのだ。2014年には脛骨骨折で164日戦列を離れており、2015年は手術に踏み切ったことなどもあり120日以上離脱。そして2016/17シーズンはキャリア初の前十字靭帯断裂の大怪我を負ったことで、同シーズンを棒に振ってしまっている。

 と、怪我に悩まされ続けたモントリーボは2017/18シーズンに主将の座をレオナルド・ボヌッチに譲り、当時のジェンナーロ・ガットゥーゾ監督からは戦力外扱いを受けることに。そして、翌2018/19シーズンは怪我の影響などもあり公式戦出場はなし。そのまま契約満了を迎えてミランを退団、現役からも退くことになった。後にモントリーボは「ミランが僕を引退に追い込んだと言える」と地元メディアに対し怒りを露わにしていた。

イタリアが誇るファンタジスタ

MF:ロベルト・バッジョ(元イタリア代表)
生年月日:1967年2月18日
イタリア代表:56試合27得点11アシスト

 イタリアが世界に誇るファンタジスタ、ロベルト・バッジョのプロキャリアは怪我と共にスタートしたと言っても過言ではない。1985年、当時18歳だった同選手は、フィオレンティーナ移籍決定の2日後に右膝十字靭帯断裂の重傷を負う。さらにその翌年には、右膝半月板を損傷とまたも大怪我。これにより、バッジョは膝の痛みと常に付き合い続けることになった。

 それでも、長い髪が特徴的だったMFは素晴らしいキャリアを築いている。ミランやユベントスでタイトルを獲得し、1993年にはバロンドールも受賞。名実ともに世界最高の選手となった。もちろん、怪我に悩む日々が全くなかったわけではない。1994年アメリカワールドカップには足を痛めたまま出場しており、2002年には左膝十字靭帯の大怪我を負っている。しかし、懸命なリハビリをしてはピッチに立ち、結果を残す。バッジョはこれを繰り返していた。

 2004年に現役を退いたバッジョは、34歳の時に出版した自伝で「僕はここまで1本半の足でプレーしてきた。(中略)こんなに酷い膝を抱えていたら、他の人はとっくにサッカーを諦めているだろうね。この16年間、膝の痛みなしでピッチに立ったことは一度もないよ」と振り返っている。膝に爆弾を抱えながらも世界最高の選手となったバッジョだが、もしもその痛みがなければ、もっとスーパーな存在になっていたのかもしれない。