店内には冒険の装備も展示されている

 神奈川県大和市。小田急線・桜ヶ丘駅を降りると、正面に「冒険研究所書店」と書かれた紺色の看板が見えてくる。冒険に研究所に書店。あまり見たことがない言葉の並びだ。

 2階へ続く階段を上ると、壁一面の本に囲まれた陽が差し込む部屋の中で、店主が棚に本を並べていた。

 荻田泰永さん(43)。2017年の「植村直己冒険賞」を受賞した北極冒険家だ。5月24日にオープンした「冒険研究所書店」は、彼が自身の事務所をリニューアルして開いた店なのである。

約4カ月での異例のオープン

「“本屋をやろう”と思い立ったのは今年1月。最初は“本屋ってどう始めるの⁉”“古本の仕入れって?”“新刊本の取り次ぎって?”と分からないことだらけでしたが、古物商の営業許可を取り、クラウドファンディングで初期費用を集め、何とか予定通り開けました」

 約4カ月での異例のオープン――そのきっかけは、昨年の一斉休校の際に近所の子どもたちを預かったことだという。

「当時、学童などに入れなくて行き先に困っている子どもたちが過ごせるようにと、この場所を開放しました。そのうち“この子たちはどこで本に触れるのだろう?”と思うようになった。当時は駅の周りに本屋がなかったからです。

 私自身、本が好きで、いろいろなものを読んできました。たとえば20歳頃に読んだ井上ひさしさんの『四千万歩の男』は、日本中を歩いて実測の地図を完成させた伊能忠敬の歴史小説。小さい1歩を重ねることで遠くまで行くことができるということを感じさせてくれました。それはまさに私の北極での冒険に繋がる感覚です。この本が直接のきっかけになったわけではありませんが、もとを辿ればこの本に行きつく。

 そのような本との出会いが、子どもや大人を問わずに生まれたらいいなと思います」

すっかり書店員

 書棚に並ぶのは荻田さん自らセレクトした新刊・古本あわせて約3000冊。冒険、旅から哲学、科学、小説、絵本、写真集までさまざまなジャンルのものが揃う。

「でも、この間、立ち寄ってくれたおばあちゃんに“音楽がないわね”と言われて気が付きました。私の興味の対象からすっぽり抜けているジャンルのものはないんです」

 そう言って笑うと、書棚から1冊の新潮文庫を手に取った。『氷壁』。奥付を開くと、この文庫版の初版は昭和38年とある。

「これは実際に起きた遭難事故をベースに描いた“山の小説”です。古い本ですが、決して色あせない内容で、恋愛要素もあって面白く読めますよ」

 絵本のコーナーに行くと、黄色い布張りの表紙が印象的な『くままでのおさらい 特装版』(井上奈奈/ビーナイス/2016年)について力説してくれた。

「この絵本は職人さんが1冊1冊、手で製本をしているんです。表紙の真ん中に円状のくぼみがあるでしょ。それが機械では再現できない。

 本文はリソグラフという手法で印刷されていて、刷るごとに黒や赤や黄などの色を重ねていく。版画のような風合いになります。これまで5刷で910部しか刷っておらず、1冊ずつシリアルナンバーがついているんですよ」


井上さんが絵を描いたトートバッグ

 ちなみに著者の井上奈奈さんは、冒険研究所書店のトートバッグなどのグッズの絵を手掛けている。

 荻田氏の最近のおススメは、『わたしの身体はままならない:〈障害者のリアルに迫るゼミ〉特別講義』(熊谷晋一郎ほか/河出書房新社/2020年)だという。

 東京大学や京都大学など8大学での人気講義を書籍化した話題作だ。

「私の知人が筆者の1人として参加しているのですが、これは研究者や医療従事者が障害や認知症、性的マイノリティなど心や身体に“ままならない”を抱えた人の物語を書いたもの。とにかくみんな文章がうまくて、読ませる! 大笑いしてしまうところもあれば、泣けるところもあって、とてもいい作品でした」

 イキイキと「本」を語る荻田氏は、すっかり書店員である。

 フォーサイトは、2019年春に荻田氏が12人の若者を連れてカナダ北東部のバフィン島を歩いた「北極圏を目指す冒険ウォーク」に際して、現地レポートをお届けした。その時の“冒険家の顔”とは違う“書店員の顔”がそこにはあった。

いまはこれが冒険

「いまはこれが冒険です」

 そう荻田氏は言う。

「今後はECサイトを作ってオンラインでも本を買えるようにしたい。書棚を映すライブカメラもやってみたいですね。そうすれば、どんな本が売っているのか分かるので、近隣以外の方も来やすいでしょ」 

 冒険×研究×書店という新しい冒険は始まったばかりだ。