茶道で客人をもてなす時に使う器には「物語」が込められる(dach_chan/shuttestock.com)

  • 京都の伝統工芸はなぜ「絶滅の危機」に瀕しているのか:職人70人以上にヒアリングしてわかったこと(前編)

 ぶぶ漬けはいつ出されるのだろう……。京都人の“いけず”に怯えながらも職人たちへのヒアリングを終え、「伝統工芸レッドデータブック」は完成した。これによって茶道や花街といった無形文化と、そこで使われる伝統工芸品、さらにその原材料との繋がり=ネットワークが可視化され、共通の課題と解決策を見出すことができるのではないか。調査を通じて京文化の奥深さを再認識した筆者は、「繋がり」こそが文化の本質との仮説にたどり着く。

※※※

 伝統工芸品を取り巻く状況への理解が徐々に深まっていき、いよいよ職人の方々に直接話を聞きに行こうという段階になっていた。ありがたいことに、沢山の人が調査に関わってくださった。本業や「桃太郎プロジェクト」(https://www.fsight.jp/articles/-/50266)を抱えながらの参画だったため、最初に「私が伝統工芸マップを作ります」と宣言してから、既に1年半が経過していた。

 しかし、ここからがさらに大変だった。折に触れて、様々な人に「京都の伝統工芸を調べたい」という話をして回っていたお陰で、「絶対に無理! やめた方がいい!」という助言を頂き凹んだことも数知れず。彼ら曰く、「京都の人は難しい。何を考えているかわからない」「自然に“いけず”をするから気をつけろ」。京都人にまつわるインターネット上の記事を引用しながら、いかに京都が大変な街かを説明してくれる人も現れた。

「ぶぶ漬け」に怯えながら始まったヒアリング調査

 1人ならともかく、複数の人からこのような話を聞くので、私も「ぶぶ漬けはいつ出されるのだろうか?」と怯えてしまい、「コーヒーのお代わりを勧められても、それは早く帰れという意味だから、真に受けてはいけない」「時計を褒められても帰らないといけないから、敢えて時計はしていかないようにしよう」など、変なルールを作っていた。「食事に誘われたら2回は断れ」といった話もあったが、結局その真偽もよくわからないまま本当に食事に誘われてしまい、「予定も特にないですし、お腹も空いていますし、なんなら一緒に行きたいのですが、今日はすみません」と断ったこともあった。誘ってくれた人も変な顔をしていた。

 後に、こうした類の話は、全く役に立たない無意味な知識だということが判明した。「京都人はプライドが高い」というのは、自分たちが持っているものを大事にしている証拠であって、あえて遠回しな言い方をするのは(大きそうで小さなコミュニティゆえに)喧嘩にならないための配慮なのだ。相手が大事にしているものにできる限り寄り添い、価値を是認する。相手の感情の機微に気を付けて、極力迷惑をかけないようにふるまう。そうした気配りに、関西人ならではのユーモアが掛け合わさるとこうなるのだな、と納得してからは、自然体で京都の人と向き合えるようになった。むしろ、変な京都像を作り上げていたのは、少ない経験で面白おかしく話したがる筆者のようなよそ者だったのではないか、と思うようになった。

 もちろん、厳しい局面は何度か訪れた。職人さんたちは、寡黙でありながら自分の好きなことにまっすぐで、話し始めると止まらない人も多かったが、中には、筆者が調査の意図を伝えきることができず、「君に話すことはないから帰りなさい」と軒下で断られ、後日再度お願いに上がり、ようやく話をしてもらえたこともあった。68品目全てを調べきることを目標に掲げた以上、全ての職人さんに会いに行こうと歯を食いしばって頑張った。当時は東京で勤務をしながら、土日を利用したり休暇を取得したりして、一時期は毎週のように東京と京都を往復していた。精神的にも肉体的にもタフな日々が続いたが、日々新しいことを学べて非常に嬉しかった。

 そうして、2023年10月、最後の68品目目のインタビューが終わり、無事に全ての調査をやり遂げることができた。ただ、「ようやく終わった」と一息つく暇もなく、最後の大仕事にかかり始めた。調査結果を伝統工芸のレッドデータブック、それも相関関係がわかりやすいネットワーク図としてまとめる作業だ。

完成したレッドリスト相関図

 京都の伝統工芸品にはどのようなものがあって、それぞれがどのように関係しているのか。存続の危機に瀕している工芸品は、どこに問題を抱えて(素材なのか、需要なのか)消えつつあるのか。それを誰もが直感的に理解するためには、職人さんたちから聴き取った調査結果を図化して、京都の中でそれぞれの工芸品が繋がっている様子を図示する必要があった。しかしながら、本業の職場でもわかりづらい資料を作っては上司に怒られ続けてきた筆者には、残念ながら、調査結果を一覧性ある資料に落とし込むのは100%無理だ。

 そんな時に救世主が現れた。それがStudio colife3の池内健さんだった。池内さんは普段建築のお仕事をされているが、筆者の脳内に散らかった情報を丁寧にまとめて下さった。そこから定期的に池内さんとも全体の方向性を話した。恐らく伝統工芸の現状にはその時点ではあまり詳しくなかったようだが、打ち合わせの回数を経るごとにどんどん理解を深められて、最終的には筆者と同じ理解レベルで資料制作を進めることができたのは、本当に同氏の能力の高さからだったと思う。

 それでも、資料づくりは簡単ではなかった。調査から得られた示唆があまりに多すぎて、あれもこれも資料に組み込もうとすると、結局何を示したいのかがわからなくなってしまうからだ。そこで、今回作成した2枚の資料それぞれに1つの大きなメッセージを託すことにした。1枚目は、京都の地図を背景に、「茶道」や「歌舞伎」といった諸芸道や「寺社」「花街」といった無形文化がプロットされている図だ。それを囲むように、工芸品とその工程の様子が描かれている。上述の通り、工芸品を考える際に、それを使う場所をイメージすることは重要だと思い、無形文化・有形文化が力を合わせて京文化を守っている様子を描き出した。


尺八はそれを作るためのやすりやガリ棒が入手困難なため「絶滅の危険性が高い」ことを示す赤い円で囲まれている[図案デザイン:Studio colife3](C)Culpedia

 2枚目は、京都の無形文化を中心に伝統工芸内の関係と危機を表したネットワーク図である。細かな説明は避けるが、工程、道具、素材に分けられており、それぞれ円の大きさで消滅の危機度がわかるようになっている(円が大きいほど危機に瀕している)。そして、それぞれの工芸品が具体的にどの無形文化に紐づいているかがわかる。例えば、尺八を例にとると、職人は京都市内で2名、全国でも数名ということなので、工程は全体的に大きめの円にした。道具も、やすりやガリ棒という道具が手に入りづらくなっており(昔はもっと尺八職人がいたため専門の道具屋がいたが、今は師匠から受け継いだ道具を大事に利用しているそうだ)、また、原材料の竹はまっすぐな竹が手に入らず、職人さん自らが竹林で材料になりそうな竹を探しているそうだ。今後はそうした背景情報を組み込むことでより充実した資料になると思う。


完成した「京文化のRed Data Book」の全体像[図案デザイン:Studio colife3](C)Culpedia

 この相関図によって、異なる品目で共通の素材が不足していることがわかれば、横の連携が可能になるかもしれない。例えばそうした活用を期待している。また、日本の大手企業を中心に、金銭的な寄付ではない形での社会貢献活動が可能かもしれない。


京足袋はすでに「絶滅」してしまったため、灰色で示される[図案デザイン:Studio colife3](C)Culpedia

浮かび上がる2つの京都像

 こうして、伝統工芸の産業構造を俯瞰し、また、職人さんともじっくり語らう時間を経て、京都の奥深さをほんの少しだけ体感したわけだが、調査を通じて一番の発見は、GlobalとLocalの両方の要素を持つ京都という都市の魅力である。

 言わずもがな、平安京遷都以降約1000年もの間首都であり続け、政治・経済・文化の中心地であったこの地は、日本の古典文化の中枢として栄える一方で、東アジアの重要な国際交易都市の一つでもあった。そして、当時世界最先端の技術や文化がまず京都に流れ込み、咀嚼されて京都の文化の一部となり、その後、日本の各地へと流れ込み小京都と呼ばれる景観や文化を生み出していった。その名残からか、現在でも京都には古いものだけではなく新しいものが集まる。和食に限らず、フレンチや中華など、外国の料理屋さんも数多くあり、しかもおいしい店が多い。街中にはカフェが多くあり、コーヒーとパンの消費量や消費額が1世帯当たりで日本一という統計もある。

 一方で、もう一つの京都像として、閉鎖的な街という側面も見逃せない。京都人は「1人が間に入れば、京都中どこにでも繋がれる」という例をよく使う。実際に、新しく出会う人とは、ほぼ必ず共通の知人がいたりする。ご縁という言葉をよく耳にするのも京都ならではかもしれない。ただし、そうした狭い世界故の悩みもある。数百年ずっと同じ土地に留まる人や店も多く、何かがあるとすぐに噂が出回ってしまう。生粋の京都人と話す機会があると、親からは「よそであまり変なことをしないように」ときつく言われて育ったという話も聞く。引っ越しができないという難しさから、京都人は直接的に物を言わず、それとなく相手に伝えがちだが、それだけ人間関係に非常に気を遣っている証拠でもある。最初は距離感を感じるが、一度入り込むとその懐の大きさは無限大、それが筆者の京都に関する印象だ。 

 新しいものを受け入れる素地はあるけれど、何百年も地元に根付いた京都人というフィルターを通れるものしか残らない。京もの=京都人が認めたもの、という定義をする人もいる位で、そうした姿が上から目線だ、京都人はややこしい、と言う人もいるが、そうではなく自分たちの文化を大事にしていて、また、自分たちの生き方に自信を持っている証拠だ。

 ただ、未だ筆者にとって京都は謎がある街だ。神社仏閣が立ち並び一見保守的でありそうなのに、なぜか政治勢力は共産党が強かったり、京都大学には全国のユニークな学生が集まる。周囲と横並びに生きているようで、実は非常に強い個性を持った人々の集まりにも思える京都。今後、引き続き京都に通い調査を続けることで、こうした謎を解く答えを見つけることができるかもしれない。

職人が作る焼き物は100円ショップの食器と何が違うのか

 今回の調査は、本当に沢山の方々の支援があり、多くの気づきや学びを得ることができた。まだまだ表面しか知ることができていないので、第二弾の調査も敢行したい。形あるものは必ず失われていくが、それでも次の時代に文化を残すことの意味について考えたいと思う。

 例えば、ある職人の方ははっきりとこういった。

「自分が作っているものについては、絶対に明治時代の職人が作ったものの方が質は高い。それは制作により多くの時間をかけることができるからだ。それに何より、一流のものを欲しがる人たちがたくさんいた。一方で、今の時代はやらなければならないことも多い。一つ一つの作業にかける時間や注意力は減るから、質も落とさざるを得ない。自分のことで手一杯だから後進の育成は夢のまた夢。給料も多く支払えないから、人材も集まりづらい。自分でも最善を尽くせていないのはわかるが、何より悲しいのは、そうした質の低下にお客さんは気づかないことだ」

 全ての工芸品に当てはまるものではないにせよ、この人の発言は筆者にはショックだった。ただ、よく考えれば自分の身にも覚えがある。筆者の上司やお客さんの中にも、非常に厳しい人が多くいた。その人と仕事をするときには自然と緊張感もあったし、変なところでミスをしたら叱られた。一方で、「なんでもいいよ〜」という人と仕事をするときには、手を抜くわけではないにせよ、「これくらいにしておこう」という気持ちにもなった。対象がものであれ、仕事であれ、仕事をする人だけでなく、それを享受する人のこだわりもまた重要であろう。

 しかし、なぜこだわりがなくなってしまったのだろうか。それは、工芸だけでなく文化全体が、「なぜ工芸は重要なのか、なぜ文化は重要なのか」という社会からの問いに答えられていない側面もある気がする。「文化は大事だ」という命題に、真っ向から反対する人はそういない。しかし、なぜ大事なのか? という問いにシンプルに答えられる人は少ないようにも思える。それは、そもそも「文化」という言葉の定義が広範で、正直なんでも文化に含まれる事情も多分にあるだろう。

 これはあくまでも筆者の個人的な仮説だが、文化とは「人間的な繋がり作りに必要なもの」と定義できるのではないか。例えば、京都の焼き物は一つ一つが職人の手によるもので、まさに伝統工芸と言えるものであろう。その一方で、近くの100円ショップに出かければ、陶器も多く売られている。中には、デザインが凝っているものもあり、遠くから2つを見比べた時に絶対的な自信を持って違いを判別できるかわからない。そして多くの人が100円ショップで売られている陶器に機能的に満足する場合、その何十倍もの価格の手作りの焼き物をわざわざ買わないであろう。

 しかし、そうした単純な製品比較のほかに、筆者は以前こだわり消費という表現を使用したが、「自分はこの職人さんの作品が好きだ」「地元の職人が作ったものを応援したい」といった、「経済合理性だけではない価値」というものが出てくる。そうした価値の源泉には、「繋がり」があると思う。京都の焼き物がすばらしいのは、優れた技法はもちろんだがそれだけでなく、焼き物を作った職人、何百年以上も続く焼き物の歴史、そして、それを残してきた京都という街の物語が、一つの器に凝縮されているからであろう。

 例えば、ダイソーなど100円ショップの器を手に取っても、(少なくとも私は)人間的な縦と横の繋がりを感じないので、私にとってその器は文化ではない。一方で、それを使うことで、製造や輸送にかかわる人々や、あまたいる店員の生活、更には、ダイソーの創業者の創業までの歴史を想起できる人がいれば、その人にとって100円ショップの器は文化になりうる。

 こうした仮説にはまだまだ肉付けが必要だが、グローバル社会・情報社会において、伝統文化を知ることは様々な文化へのパスポートとなる。筆者のような商社の人間や外国で活躍していく人にこそ、知ってほしいテーマである。

※※※

本稿で紹介した「京文化のRed Data Book」等に関する問い合わせは、筆者が代表を務めるCulpedia(https://culpediajp.com/)まで。