2018年に放送されたNHK連続テレビ小説『まんぷく』がNHK BSとBSプレミアム4Kで再放送され、再び話題となっています。『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、安藤仁子さんは一体どのような人物だったのでしょうか。安藤百福発明記念館横浜で館長を務めた筒井之隆さんが、親族らへのインタビューや手帳や日記から明らかになった安藤さんの人物像を紹介するのが当連載。今回のテーマは「一難去ってまた一難 〜仁子、巡礼の旅」です。

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銀行の頭取に

脱税容疑で二年の収監後、放免はされたものの、百福の人生はまた振り出しに戻ってしまいました。人間の運は、いったん悪い方へ転がり出すと、もう止めようがないのかもしれません。心のどこかにあせりがあって、冷静な判断を誤らせるのでしょうか。

1951(昭和26)年のことです。百福は四十一歳になっていました。

ある日、こんな話が舞い込みました。

「信用組合を新しく作ります。ついては理事長を引き受けてくれませんか」

百福は金融関係の仕事は経験したことがありません。いったんは断ったものの、「そこを何とか」としつこく依頼されます。三顧の礼といえば聞こえはいいのですが、実際は「名前だけで結構です。安藤さんのような方がトップにいるだけで信用がつくから」というものでした。

はっきりと断るべきだったのです。しかし、百福はいろいろ苦労した後でした。こうした誘いがうれしくもあり、おだてに弱くなっていたのでしょう。理事長のポストを引き受けてしまったのです。

小さくても銀行の頭取です。生活は華やかになりました。それまで仕事一途でほとんど趣味も遊びもなかった百福ですが、ゴルフを覚えました。早朝、ゴルフ場が開くのを待ちきれずにコースに入り込み、練習をするほど熱心でした。始めると夢中になるくせは仕事だけではなかったのです。

また、宝塚歌劇が好きになり、当時、娘役の人気スターだった乙羽信子のファンになりました。観に行きたくなると、自分からは言い出しにくいので、いつも子どもやお手伝いさんに言わせて「では連れて行ってやるか」とチケットを買いました。

小さい宏基(次男)は少しも面白くありません。ステージのすぐ下のいい席で見るラインダンスがはずかしかったのです。席に座らず舞台横の隅っこに立って、舞台を見ないで客の顔ばかり見ていました。百福はよく家で「すみれの花咲く頃」を歌いましたが、あまり上手ではなく、実際の歌を聴くと違う歌に聞こえたほどです。