今、終活としての断捨離や、親が元気なうちに親家片(おやかた。親の家の片づけのこと)を始める人が多いとか。一方、1934年生まれの中村メイコさんのご自宅にも榎本健一さんからもらったキューピー人形や、東郷青児さんが書いてくれた似顔絵など、たくさんの宝物があったそうですが、79歳の時に決断。「思い出深いものから捨てないと人生の最後を身軽に生きられない」とトラック7台分のモノを手放したそうです。そんなメイコさんでも捨てられなかったものはあったそうで――。

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田中角栄さんからもらったお皿

捨てたり、あげたりして、あらゆるものを手放してきたが、手放せないものもある。田中角栄さんからもらったお皿がその一つだ。ご自身のサインの上に「メイコちゃんへ」と書かれてある代物だ。

角栄さんは昭和三十二年に戦後初の三十代の国務大臣として郵政大臣に就任して、テレビ局の放送免許を管轄するトップになった。ちょうどその頃、雑誌で対談していたら、いったん席をはずした角栄さんが興奮した顔で戻ってきて、「今、テレビの民放を認可した。メイコ、お前は記念すべき日にここにいた。テレビの申し子だ」と言われた。

自分で言うのもおこがましいが、私と角栄さんとは気が合った。毀誉褒貶のある方だったが、私にとってはきっぷのいいおじさんで、魅力的なかわいい人だった。夫はよく「中村メイコと一緒に暮らせるのは、自分以外では角栄さんしかいない」なんて言っていた。

異常な額のお年玉

子どもたちを連れ、目白の自宅まで年始の挨拶に行ったこともある。

「ほら、カンナちゃん、ハヅキちゃん」と娘たちにお年玉をくださるのだが、その額が異常に大きい。

「こんなにおカネをあげるなんて、子どもにとってよくないんですよ。これだけちょうだいします」と私がお札を一枚だけとって、残りを返すと「そうか。そういうものなのか。じゃあ、メイコちゃんにも用意しておいたんだけど、同じ額にしよう」と言われてしまった。

今さら「いえいえ、大人はたくさんもらってもいいんですよ」とも言えず、焦ったものだ。角栄さんとの愉快な関係を伝えるものとして、お皿は手元に残しておきたいと思っている。