高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、93歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

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前回〈認知症が始まったのに免許を返納しない93歳の父。車を大破させたが事故の記憶はなく、ディーラーに次の車を注文するとは〉はこちら

昔のことは忘れない

昨年12月8日、93歳の父が車庫入れに失敗する自損事故を起こした。車庫が壊れて使用できなくなり、リアガラスは粉々に飛び散った。車は全損で廃車になることが決まり、父の愛車はもう家にない。

人身事故でなかったことに、家族みんなが安堵した。元々丈夫なおかげで、打撲により胸全体が痛む以外、父にケガはないようだ。本人が一番ショックを受けているだろうと気遣い、事故当日の夜は、他愛ない話をして早めに寝てもらった。

しかし、翌日、父はすっかり別人になってしまっていた。朝は起きられないし、着替えもしない。一日中パジャマで過ごしている。

「車がないからどこにも行けない」

二言目には、しょげた様子でそうつぶやく。もしかしたら、事故を起こしたことを忘れたのではないか。恐る恐る私は聞いた。

「パパ、どうして車がなくなったか覚えている?」
「いや、覚えていない……どこかぶつけたんだったかな」

「そうだよ。車庫入れに失敗して、廃車になるほどひどく壊れたんだよ」

すると父はまた同じことを繰り返した。

「覚えていないな。いつのことだ?」

『もう忘れたの!』と怒鳴りたい気持ちを押さえ、私はやさしい口調で教えた。

「パパ、昨日のことだよ。12月8日」
「あぁ、そうだったな。真珠湾攻撃の日だ」

出た、出た。これが「とりつくろい反応」というやつだ。わかっているように装うこの反応は、認知症の兆候のひとつだという。私がどう返答しようか迷っているのを見て、父の頭に急にスイッチが入った。

「お前は知らないかもしれないが、昭和16年の12月8日、ハワイの真珠湾で、日本がアメリカに奇襲攻撃を仕掛けたんだ。俺は13歳だった」

昨日の事故のことは忘れているのに、80年前のことは覚えている。おまけに、「お前は知らないかもしれない」という言葉で、記憶がしっかりしている自分をさりげなく自慢する父。全部が認知症の症状なのか、性格上の問題なのかがわからず、私は頭を抱えた。