音大に進んでいるということは、少なからず人生を音楽にささげようと決断したということです。18歳で音大に進むには、遅くとも15-16歳の頃にはそのような決断をする必要があるでしょう。
そのような音大生たちの「練習」にかける情熱はどれほどのものなのか、筆者の経験から書いていきたいと思います。

◆熾烈な練習室争奪戦

どこの音大でも繰り広げられているであろう熾烈な競争、それが練習室争奪戦です。防音設備の整った練習室を生徒の数だけ用意するのは不可能なので、どうしても争奪戦が始まってしまいます。
これにはいくつかのパターンがあります。

1. 早い者勝ち
練習室に特に予約制度などなく、早いもの勝ちという場合があります。このときは校門が開く朝6時頃から校門の前に並び、ダッシュで部屋を取りに行く人たちがいます。

筆者は朝から並んで練習室を取る、ということはほとんどしませんでしたが、練習で切羽詰まったときに朝6時10分に登校したら1部屋も空いていなかったのは衝撃的でした。

「10分も遅れてきたら取れるわけないよ」と言われたのをいまでもよく覚えています。

一度練習室を取ってしまえば、一日中使えるような場合は、朝取った部屋は自分の部屋のように使うことができるため、お茶や軽食を用意し、快適な空間を整えます。まるで巣作りのようです。

2. 予約制
早い者勝ちパターンでは、並ぶ時間が長くなってしまい、体力の消耗が激しくなってしまいます。そのため、予約制を導入している音大が多いと思います。

予約は、筆者の時代は紙のカレンダーに書き込む、ということが多かったのですが、最近ではオンライン予約が主流かもしれません。

紙の予約の場合は、予約のカレンダーが置かれる日に、その机の前に長蛇の列ができるのが日常でした。とくに1限の授業が始まる前の早朝や、夕方〜20時頃はゴールデンタイムで、一瞬で埋まってしまいます。

一人が予約できる時間に上限があったり、2週間前からの予約だったりすると、練習できるかどうかわからなくても、とりあえず予約できるぎりぎりの量を予約しておく、という戦略をとるようになります。

そうすると、予約されていても、空いている練習室がでてきます。その空室を狙って一部屋一部屋まわる学生がたくさん出現し、ここでも争奪戦が繰り広げられます。

3. 待機制
待機制を取っている音大もあります。学生証などを受付に出して置き、一人60分から120分程度の制限時間が過ぎたら交代するという仕組みです。20部屋あって、待機が20人いたら60分以上は待たされることが確定するので、授業が始まる前に受付を済ませておき、授業が終わったらすぐ練習を始められるように計算をする学生が多いです。

順番が近くなってくると、受付から離れることができないため、受付前には学生がたまることになります。

そこで演奏会の計画を立てたり、仲間を増やしたり、といろいろな話ができるので、交流の場としても機能することになります。

◆警備員との問答

1秒でも長く練習したい学生たちは、閉校時間を過ぎても練習を続けます。そうすると、警備員が見回りに来て、早く帰るよう促されます。

機械的に時間を告げるだけの警備員もいれば、優しくしてくれる警備員もいます。中には、時間が過ぎていると怒鳴りこんでくる警備員も。

大体閉校時刻から10分以内に警備員が来ることがほとんどですが、30分以上警備員が来ないと、練習出来て嬉しい気持ちと、このまま警備員が来なかったらどうなるんだろう?という不安が混ざってきます。それでも夜11時を回っても練習を続けていて、そのときにこっぴどく怒られる、なんて経験をすることも多いことでしょう。

音大によっては、時間を過ぎたらその時点でペナルティを科す場合もあります。しかし、ペナルティと練習を天秤にかけて、練習を続けるという選択をする学生もいるので、音大の立場からすると、学生を帰すのはなかなか一筋縄ではいかないことがわかります。

◆授業をさぼって練習

授業をさぼって練習室に閉じこもる学生が多発するのも、音大の日常の光景かと思います。

あまりにも慣れ過ぎてしまって、教授に「練習が間に合っていないので練習室に戻ります」と堂々と出ていく学生すらいる始末です。

大学を教育機関と捉えると、なんだか本末転倒な気がしますが、勉強より楽器の上達のほうが重要という価値観を持つ音大生は多いと思います。

◆練習できないとストレスが溜まってしまう音大生たち

1年365日、毎日6?8時間練習する音大生たちにとって、最もストレスが溜まるのは練習できない日です。遊びで行く旅行先にも楽器を持って行くほどです。

正月だけは練習しない、のように1年で1日だけ休む日を作っている音大生や、忙しい日は1日2時間までの練習にしておく、など量を調整する音大生もいます。

一方で、1カ月練習しない日があっても平気、という音大生もいて、この価値観のすりあわせはなかなか大変そうです。

なお、筆者は1カ月練習しない期間があっても精神的には全然平気だったのですが、やはり指がなまってしまいますので、取り戻すのはなかなか大変です。

また本番前や試験前だと、さすがの筆者もピアノの前に座っていない時間がストレスになります。食事もお風呂も、寝る時間すら、ピアノの前にいないと不安になってしまうこともあります。

なかなか大変な体質ですが、卒業してしまえばこれほど自由に練習できる時間も場所も確保するのが難しくなってしまいます。

音大に在籍している間は人生で最ものびのび練習できる時期という人も多いでしょう。今日も世界中の音大で練習室競争が繰り広げられていることと思います。(作曲家、即興演奏家・榎政則)

 ◇榎政則(えのき・まさのり) 作曲家、即興演奏家。麻布高校を卒業後、東京藝大作曲科を経てフランスに留学。パリ国立高等音楽院音楽書法科修士課程を卒業後、鍵盤即興科修士課程を首席で卒業。2016年よりパリの主要文化施設であるシネマテーク・フランセーズなどで無声映画の伴奏員を務める。現在は日本でフォニム・ミュージックのピアノ講座の講師を務めるほか、作曲家・即興演奏家として幅広く活動。