浅井樹氏は17年目の2006年、めまいに悩まされていた

 現役引退が発表された時、病院のベッドにいた。元広島外野手の浅井樹氏(カープ・ベースボールクリニックコーチ)はプロ17年目の2006年シーズン限りで選手生活にピリオドを打った。決断理由のひとつになったのがメニエール病だ。体の平衡感覚に異常が発生し、めまいなどの症状が出るもので、浅井氏はその年の春頃から悩まされていた。10月14日の阪神戦(広島)では試合中のベンチで倒れたという。

 その日の試合前、浅井氏は球団から「引退はいつ発表するか」と聞かれて「試合後にしてください」と言ったという。そしてゲーム開始。代打要員としてベンチで待機していた時に「やばい、なんかおかしい」と自らの異変を感じた。めまいがひどかった。「薬を飲んだんですが、全く無理だった」。試合中に広島市民球場からすぐ近くにある広島市民病院に救急車で運ばれた。「病室で寝かされて、点滴を打ったけど、すぐは効かなかった。ぐるぐる回っていた」。

 結局、一晩、入院となった。病院で寝ている間に球団から引退が発表された。「ケータイはじゃんじゃん鳴っていた。メールもいっぱい来ていた。でも電話にも出られるような状態ではなかった」。症状は朝方には治まった。「ちょっとふらふら感は残っていたんですけど、女房と子どもが迎えに来てくれて、家に帰りました。その日は休んで、次の日(10月16日)が引退試合(対中日、広島市民球場)だった」。

 実はこの病は初めてのことではなかった。「小学校2、3年生の時に、メニエール病って1回言われたことがあったんです。でもめまいはなかったし、それ以来、大丈夫だったし忘れていました」。引退した2006年の4、5年前には耳が詰まった感じになったという。「飛行機に乗ったら気圧で、なる時があるじゃないですか、あんな感じ。その時は薬を飲んだらすぐ治った。やめる年の春に出た時もまたそれだと思ったんで、病院に薬をもらいに行こうと思ったら、めまいがして、あれって……」。

 時間がたつとめまいはおさまったが、その症状が頻繁に出るようになった。「マーティ・ブラウン監督の時だったけど、何回か試合にも穴をあけて迷惑をかけていたんですよ。試合前とかシートノック後とかにおかしくなって……。試合中(に離脱)は引退発表の日が初めてでしたけどね」。オールスター休みなどを利用して検査を受けてメニエール病と診断された。「脳とか耳とか全部調べました。耳鼻科も広島市内で3か所、脳も2か所で診てもらいました」。

浅井氏の引退セレモニー…印象に残る同期・前田智徳氏の号泣

 症状さえ出なければ、まだまだ結果を出す自信があった。ギリギリまで現役続行を希望した。だが、最終的には諦めた。バットを置く決断をした。シーズン最終戦でもあった10月16日の中日戦(広島)での引退試合。「スタメンどうするって言われましたけど、体もしんどいし、代打でお願いしますと言いました」。7回に代打で登場して中前打を放った。

 試合後の引退セレモニー。入団同期で、同い年の前田智徳外野手が号泣していた。「前田が花束贈呈してくれて、ありがたかったですよね。高卒で17年間も同じチームでやれた。前田が一緒にいてくれたのはホント感謝です。最初は絶対負けるかって思ったけど途中から諦めた。超えられるとは絶対思わなかったので、せめて、前田の尻尾くらいは見える距離感は保っておこうって考えていましたね」。

 入団当初はほとんど口もきかなかった。それだけに「前田と話していると周りに茶化されるんですよ。仲が悪かったくせにってね」と浅井氏は笑う。「僕はプロ野球で前田が1番のバッターだと思っている。イチローが2つ下で入ってきて、オリックスで見たけど、全然前田の方が上だと思っていたし、いまだに思っている。一番、打者として尊敬できる人が同級生。今でも“前田”って言えるのは僕の中ですごいなって思えるくらいの存在ですから」。

 浅井氏は右耳を触りながら「今でもこっちは聞こえが悪いです。耳鳴りはするし……。めまいは出ていませんけどね」と話した。最後は病気との闘いも加わってしまったが、1990年のプロ1年目から、やれることはすべて全力でやり抜いた。カープで歩んだ17年間の現役生活。結果的にずっと前田氏を追いかけることにもなったが、間違いなく、どの経験も大きな財産だ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)