高木大成氏は高3夏に甲子園出場…判定巡り審判に疑義

 西武で10年間プレーし「レオのプリンス」などの愛称で親しまれた高木大成氏(株式会社埼玉西武ライオンズ事業部部長)は、桐蔭学園(神奈川)3年時の1991年、夏の甲子園に出場。珍しい「1番・捕手」の主将として注目されたが、3回戦での試合中の行動が「大問題になりました」と明かした。

 1、2回戦を勝ち進み、8強入りをかけて臨んだ鹿児島実業との3回戦で“事件”は起きた。9回の守備で、相手打者の打球はフェアゾーンでバウンドした後、三塁ベース付近の上を通過してファウルゾーンで跳ねた。フェアかファウルか、際どい当たりはフェア判定となり、出塁を許した。

「左バッターなので打球がスライスしていったんです。桐蔭学園は(対角線上に近い)一塁側のベンチだったので、土屋(恵三郎)監督もファウルに見えていました。それで審判に聞いてこい、というジェスチャーをしていたので、私が三塁塁審のところまで行ってファウルじゃなかったか確認したんです。それが大問題になりました。高校生らしくない、と」

 高校野球特別規則では、主将か伝令、当該プレーの選手は審判に疑義を申し出ることは認められている。「私は主将でしたし“当事者”でもあったので、ルール的には問題なかったのです。監督からの指示でもあったので。さすがに自分からは行けないですよ。高校球児が審判に、なんて」。

 その瞬間の球場の雰囲気は「全く分からないです。同点の9回でサヨナラ負けするかもしれない状況で、私も必死だったので」。最終的に判定は変わることなく、その後、四球なども絡んで無死満塁のピンチを招くとサヨナラ打を浴びて敗退した。

高校選抜に主将として選出…2年生からは“ゴジラ”松井秀喜も

 翌日の新聞には高木氏の“抗議”を疑問視するような記事も掲載されたという。「自分は新聞を読んでいなかったので、どこまで活字になったのかは分からないですが、『高校野球で前代未聞』みたいな感じだったのだと思います。監督と部長は高野連(日本高等学校野球連盟)に呼び出されていました。でもルールを破ったわけではなかったですからね」。

 周囲からの心無い声も高木氏にはなかったという。「SNSもない時代だったので」と笑った。ちょっとした“騒動”の渦中にいたが、大会終了後にはアメリカ遠征の高校選抜にも選出された。

「あの代表はベスト8に入った学校から選ばれる選手が多いのですが、ベスト16で終わった私を選んでもらってありがたかったですね。しかもキャプテンまでやらせていただきましたから」

 この年の高校選抜には、後に巨人やヤンキースなどで活躍した星稜(石川)の松井秀喜、同じく巨人などでプレーした帝京(東東京)の三澤興一が2年生で選ばれていた。「ゴジラは左中間へすごくいい打球を打っていました。体はデカいし、飛距離はすごかった。でも3年生の中にいたのでおとなしくしていましたね」。高木氏は懐かしそうに語った。(湯浅大 / Dai Yuasa)