白武佳久氏は1987年、憧れの右腕・西本聖に投げ勝ってプロ初完封勝利

“時の人”にも逃げずに立ち向かった。広島スカウト統括部長を務める白武佳久氏は広島での現役時代、「投手王国」の中で争ってきた。好投しても登板チャンスは限定される厳しい環境が続いたが、5年目の1987年は思い出の試合がいくつもあった。その中でも、憧れの人と投げ合ってつかんだプロ初完封勝利、見事なホームランを2発くらった故郷での凱旋試合は忘れられないという。

 1987年の広島は、開幕から北別府学投手、大野豊投手、長冨浩志投手、川口和久投手、金石昭人投手の順番で先発。6試合目に北別府が中5日で先発した翌日の開幕7試合目、4月17日の巨人戦(後楽園)が“第6の先発”である白武氏の出番となった。結果は巨人打線を5安打に抑えプロ初完封勝利。6番目の男でこの実力は、まさに広島投手陣の層の厚さを見せつけるものであり、白武氏にとっては最高のアピール投球だった。

「後楽園はものすごく投げやすかったんですよね。マウンドが急角度でね。それにベンチが顔しか見えなかったんです。お客さんはいっぱいなんですけど、ベンチから見られていない感じが、何かよかったんですよね」と白武氏はその日のことをよく覚えている。巨人の先発が西本聖投手だったことも感慨深かったという。

「僕は西本さんのファンだったんです。えげつないシュートを投げていたじゃないですか。僕もシュートピッチャーだし、あんな球を投げたいなぁって、大学(日体大)の時、テレビで見て、そう思っていました」。目標の人と投げ合ってのプロ完封勝利だったのだから、うれしさも倍増だった。だが、投手王国の壁はそれでもブチ破ることはできなかった。4月に投げたのは結局、この1試合だけだった。

「他の人たちも完投とかばかりですからね。なかなか出番は来ませんでしたね」と白武氏は苦笑する。次の登板は5月2日の中日戦(広島)で、先発して6回3失点で敗戦投手。ただ、この時は中6日でシーズン3試合目の登板機会が巡ってきた。5月9日のヤクルト戦。舞台は白武氏の故郷・佐世保だった。「監督がよう投げさせてくれたなぁって思いますよ」というが、初の地元凱旋登板に気持ちは高ぶったことだろう。

故郷・佐世保でボブ・ホーナーと対戦…2発食らうも3失点完投勝利

 ヤクルトの3番打者はバリバリのメジャーリーガー助っ人として話題のボブ・ホーナー内野手。日本デビューの5月5日の阪神戦(神宮)で阪神・仲田幸司投手から1号を放ち、6日の同カードでは阪神・池田親興投手から2号、3号、4号と3発ぶちかました。7日の試合は1打数無安打3四球で阪神投手陣は勝負を避けた感じ。そんな強打者の次の相手が広島先発の白武氏で、佐世保野球場での対決だった。

 白武氏はホーナーに真っ向勝負を挑んだ。だが、初回2死からストレートを右翼席に運ばれ、6回の3打席目は得意のシュートを左翼場外にまで飛ばされた。4打数2安打2打点。「ホームランは完璧に打たれました。でも、他の2打席は内野ゴロでゲッツーをとった。それも覚えていますよ」。試合は4-3で広島の勝ち。白武氏はホーナーに2発を浴びたものの、崩れることなく投げ続け、3失点完投勝利をマークした。

 スタンドには地元の知り合いが大勢、駆けつけていた。「酒屋のおっちゃんがのぼりを作ってくれてね、ありがたかったですよ。完投できてうれしかったですね。次の日が長崎で試合だったから移動して、夜は同級生と、どんちゃん騒ぎをしたのも覚えています」。世間的には“黒船”ホーナーの2発ばかりが注目を集めたが、白武氏にとっても忘れられない試合になったわけだ。

 もっとも、佐世保で完投勝利を挙げた後は、中9日での先発が続くなど、白武氏の出番は限定されたままだった。それでも与えられた機会で、黙々と投げ続けた。シーズン3勝目を挙げたのが中9日で先発した6月20日の大洋戦(旭川)だったように、なかなか白星をつかめなかったが、投手王国の中で懸命に生き抜いた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)