阪急・オリックスで46年間を過ごした松本正志氏「2人の声が響いていました」

 紛れもなく「勝負師」の声を聞いた。今年3月31日付でオリックスを退職した松本正志氏は、1977年に行われた夏の甲子園大会で東洋大姫路高を全国制覇に導いた。同年に阪急ブレーブスからドラフト1位指名を受けて入団。裏方に転身後はオリックスを含めて46年間のプロ野球人生を全うした。

 コーヒーカップをゆっくりと置いた。「もう、時効やろう……」。松本氏はにこやかな表情で話を進めた。「1997年のオフやな。中嶋(聡)監督がFAの時や」。誰にも話したことのない“内緒話”を打ち明けた。

「あの頃は(仰木)監督の部屋とマネジャー室が同じ場所にあったんです。用具担当の僕は、その日マネジャーに用事があって部屋に入ろうとしたら、2人の声が響いていました。これは、入りづらいな……と思って、そっと入ったんです」

 2人とは仰木監督とFA移籍する直前の中嶋監督だった。仰木監督は「おい、なんで西武に行くんや! 西武には伊東(勤)がおるやろ?」と問いかけていた。当時、西武の正捕手は固定されていた。ただ、中嶋監督の返事は“男”だった。「僕は……勝負がしたいんです」。

 松本氏も仰天した一言だった。勤続46年間で「いっぱい選手を見てきたけど、自分から強敵にいるところを目指したのは(中嶋)監督だけじゃないかなぁ」と深く頷く。一口、コーヒーを注ぐと思い出話が出てきた。

「昔、用具メーカーが捕手マスクのサンプルを持ってきたことがあったんです。チタン製のものを試してくださいと。三輪(隆)が先にグラウンドに降りてきたので、試してもらったんです。そこに中嶋がちょうど来て、試してもらおうとしたら『僕はいいです』ってね。2番目が嫌だったんでしょうね」

 生粋の勝負師人生を歩む指揮官の「秘話」を27年間経った今、ようやく“開口”した。「人間、そんな急に変わるもんじゃないよ」。監督就任から3連覇。オリックスが黄金期を迎えた理由が、そこにはあった。(真柴健 / Ken Mashiba)