高橋庄太郎が友人とともに。

いつもテント泊ばかりで、山小屋にはあまり泊まらない僕。しかし、仲がよい小屋もあるのだ。そのひとつが北アルプスの三俣山荘だ。そこで今回は、御主人の伊藤圭さんと、伊藤新道の起点である湯俣へ。

写真◉矢島慎一 Photo by Shinichi Yajima
構成◉高橋庄太郎 supervision by Shotaro Takahashi
ゲスト/伊藤 圭さん@北アルプス・湯俣
出典◉PEAKS 2018年1月号 No.98

 

山でのおもてなし

<高橋庄太郎>(左)山岳/アウトドアライター。テント泊を愛し、山中で暮らすかのように1年を通して山に入る。著書に『トレッキング実践学』(小社刊)、『テント泊登山の基本』(山と渓谷社)など。<伊藤 圭>(右)三俣山荘経営者。著書『黒部の山賊』で知られる父、伊藤正一さんから小屋を引き継ぎ、初夏から秋まで北アルプスの奥地で暮らす。趣味はバンド活動で、「ヒーターズ」としてCDも発売。

僕は北アルプスを愛し、繰り返し何度も通っている。とくに雲ノ平周辺はもっとも好きな場所だ。その雲ノ平を中心に、三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋を経営しているのが、山麓の安曇野に拠点をもつ伊藤家である。

先代の故・伊藤正一さんの長男・圭さんを中心に、山小屋経営に新しい感性を取り入れ、北アルプス最奥の地へと多くの登山者をいざなっている。ほぼ毎年、三俣山荘前を通るルートを歩いている僕は、いつしか圭さんとなじみの仲になった。

僕はテント泊が大半で、じつは山小屋のご主人と親しくなる機会は少ない。だが、圭さんが例外的な存在になっているのは、ホスピタリティあふれる人柄だからだろう。

高瀬ダムから歩き始めると、雪が積もった笹がお出迎え。

高橋:本人の前でいうのもアレだけど、三俣は本当に居心地がいいよね。登山道を長々と歩いて到着すると、ほっとする。それにしても、三俣山荘の食堂を開放するという試み(注:本文中にあるように、三俣山荘では夕食後の食堂をフリースペースとしてテント泊の人にも開放。消灯時間まで寛げる)はおもしろいね。どうして、あれをやろうと思ったの?

伊藤:最近、三俣にはテント泊の人が増え、山小屋泊の人とテント泊の人が半分ぐらいずつ(注:三俣山荘は、ここ数年でテント場を拡張。それでも設営しきれないくらい混雑する日もある反面、小屋自体には余裕がある場合も)。そこでどちらの人も同じく楽しめる場所を作れないか、と思ったんだ。三俣山荘の食堂は広いので、宿泊客の夕食が終わった後はフリースペースとしてテント泊の人にも解放しちゃえば、そのなかでいろいろなコミュニケーションが生まれる場所になる。俺は、山小屋は人と自然を結び付け、人と人も結び付ける接点だと考えているから。

ルート上には、名無避難小屋。古いが、意外と快適そうだ。

高橋:全国まではわからないけど、少なくとも北アルプスでそこまでやっているの、三俣だけでは?
伊藤:あ、そうなの?
高橋:だと思うよ。自炊室を解放してくれる小屋(注:本的に小屋の自炊室は、素泊まり客用だ。だが北アルプスの山小屋のなかには、テント泊者も自由に使ってよい自炊室も数カ所ある)はあるけど、夜に食堂でいくらでも時間をすごせるなんて。しかも無料で。

伊藤:三俣は北アルプスの要衝(注:黒部川源流部に近く、雲ノ平への出入り口でもある三俣は、登山道が東西南北に延び、多くの登山者が行き交う。裏銀座コースの途中ということもあり、北アルプスのメインルートのひとつだ)だから、いつも混んでいて、登山者ひとりをしっかりともてなすことはなかなかできないんだ。ランプの小屋みたいな小ぢんまりとした独特な世界観に憧れはするけど、どう考えても俺たちには無理。

高橋:三俣は山小屋としても大きいし、なかなか大変だよね。
伊藤:それでも、みんなにおのおのの楽しみ方をしてもらえる自由な場所を作りたい。その結果が、「食堂の開放」なんだよね。遠慮して使わない人も多いけど、本当にぜひ来てほしい。俺たちもいろいろな登山者がいる混沌とした雰囲気が楽しいから。

ダムの管理のために多くの作業員が通る道には、トンネルもある。

高橋:雨が降ったりすると、ただテントにこもるしかないし、食堂で寛がせてもらえるとありがたいよね。でもなにも注文しないで食堂にいていいのかなと、そういう登山者の気持ちもわかる。

伊藤:でも、うちは本当に意に介してないよ。親父(注:2016年に亡くなった伊藤正一さん。三俣山荘をはじめとする雲ノ平周辺の小屋を建築/整備し、名著『黒部の山賊』で知られる)自体がそういう人で、お客さんが話しかけてくれるのを楽しんでる人だったし、そんな感覚は継いでいきたいね。

高橋:以前は、お父さんが食堂でお客さんと話してるのをよく見かけたけど、圭さんはどうなの?

地面には霜柱も。踏みつけるとザクザクと音がする。

伊藤:俺はまだ話を聞かせるような立場じゃない、かな。少し前の時代の「この人に会うために山に行く」ような北穂の小山さんや船窪の松澤さん(注:1948年に北穂高小屋を作った故小山義治さんと、1954年に建築された船窪小屋を引き継いだ松澤寿子さんのこと。どちらも北アルプスのレジェンドともいうべき存在だ)など、俺からすればスターみたいな人が本当に重厚な時代の山を知る〝語り部〞。

『黒部の山賊』(注:長らく絶版となっていたが、2014年に山と渓谷社から『定本黒部の山賊』として復刊され、大ベストセラーに。〝山賊〞と呼ばれていた猟師たちとの交流をもとに、黎明期の雲ノ平や三俣周辺の雰囲気を描く)を書いた親父も含めてね。俺が知っているのはもっと現代的な時代の山小屋だから、少し話がしにくいんだ。

湯俣の谷は深く、日中でも日陰が多い。

高橋:たしかに山小屋で聞く話って、年齢がある程度上の人の口からでないと、説得力がないからね。
伊藤:そう、そう。説得力もないし、俺が知っている話も親父からの伝え聞きみたいなものになっちゃうし、三俣や雲ノ平のことなら、『黒部の山賊』を読んでもらえばいい。それで、俺としてはさっき話した「場所作り」に専念すれば、いまはそれで十分かなと。

谷の奥には、雪が積もりつつある槍ヶ岳の姿。その険しさで知られる北鎌尾根が正面に。

高橋:俺、基本的にはテント泊だから、小屋の方などと夜遅くまで話し込む機会は多くないけれど、ただテント泊の受け付けをするだけでも、あそこは登山者にとっていい小屋だとか、ちょっとヤバいとか、なんとなくわかる。
伊藤:ヤバい小屋もあるの?

高橋:大半はいい小屋だよ(笑)。たとえば蝶ヶ岳ヒュッテ。あそこもテント泊の人に優しい感じがして、小屋泊でなくてももてなそうという気持ちが伝わってきて、やっぱりうれしい。そうすると、蝶ヶ岳にはもう一度行きたいという気持ちになるよね。

湯俣温泉晴嵐荘が見えてきた。川が直角に曲がるこのあたりは広々している。

伊藤:なるほど。それは初代のスピリット次第かも。先代が多様な登山者を受け入れる間口を広く取っていた小屋であれば、次代も同じだろうし。蝶ヶ岳の先代の中村義親さん(注:父から山小屋経営を引き継ぎ、1958年に蝶ヶ岳ヒュッテを建築)はうちの親父の親友だから、通ずるところがあるのかな。うちの親父はどんな人でもどんどん山に来てくださいというタイプだったから、俺もそれを受け継いで、だれが来ても楽しくやりたい。

高橋:俺が毎年、雲ノ平あたりに行こうと思うのは、山域のよさもあるけれど、圭さんに会いたいというのも大きいよ。
伊藤:最近リピーターの人も増えているよ。でも、高橋さんって、だいたいいつもテントでしょ? そういう人には、山小屋というものはどういうふうに見えるの?

吊り橋を渡って、対岸へ。

高橋:う〜ん。物質的なことを言えば、やはり木なり鉄なり、「板の壁」というのはすごいよね。外のテントが暴風にあおられていても、小屋のなかは無風でしょう。信じられない世界だよ。
伊藤:そうだよね。やっぱり建物という存在はけっこう大事なポイントになってるんだね。

高橋:天気がいいときは風に揺らいでいるテント、気持ちいいんだけど、天気悪いときは大変なものでさ。それを耐えるおもしろさもあるけど、やはり山小屋に入ると、なんて安全な場所なんだと思う。
伊藤:まあ、そこだよね。俺は山小屋を、お客さんの一晩の安全を保障する場所だと思ってる。それが基本で、それ以上のサービスはただのオプション(笑)。

晴嵐荘前でひと休み。晩秋のこの時期、小屋は閉められ、他の登山者はいない山を歩く、山で語る。

高橋:それと、やはり山小屋を運営している人の存在は大きい。俺が初めて自分の意思で山小屋に泊まったのが、仙人池ヒュッテ。まだ北アルプスの山歩きに慣れていないころ、あまりの悪天候で当初予定していたテント泊の予定を放棄して、山小屋に向かい……。到着したときに小屋の人を見て、気が緩んだ感じが忘れられない。

伊藤:へ〜。

湯俣川と水俣川の出合には、鳥居と祠があり、ふたりで手を合わせた。

高橋:で、あそこの先代の志鷹のおばあちゃん(注:名物おばあさんで名高い志鷹静代さんのこと。現在は山を下りている)が、すぐにお風呂に入れてくれて。もう感動したよ。本当に困ったとき、山小屋というのはなんとすばらしいのかと……。

伊藤:うん、うん。それは山小屋冥利に尽きるよ。着いたときに安心できるのが、いい山小屋だと思う。だから、玄関とかを広くするとかさ、そういうのも大事なんだ。

削られた岩と金属の柱は、かつての伊藤新道の痕跡があった。圭さんの父の正一さんが作った古道である。

高橋:さっき圭さんが言っていた先代のスピリットの話だけど、いまの仙人池ヒュッテにも残っていると思う。あそこは休憩していると小屋の人が声を必ず掛けてくれるの。通過していく登山者を確認している面もあるだろうけど、ゆっくり休憩していってほしいという気持ちが伝わってくる。志鷹のおばあちゃんのホスピタリティが、いまも生きているんだなと思う。

伊藤:それは山小屋で働く人の原点のようなものだろうね。

湯俣からもう少しだけ先へと歩き、湯俣川沿いを遡っていく。登山道が通っているわけではないが、このあたりはだれでも歩ける。

高橋:やっぱり山小屋の人は、いい人であってほしいよ。
伊藤:どうなんだろうね、そのあたりは……。俺ももっと若いときはヤバかった(笑)。山小屋の運営は商売だけじゃなく、救助に出たりとか大きなリスクを負う。登山者には危険な行動や他のお客さんに迷惑をかけることはしてほしくない。だから、20代のころにはお客さんと相当けんかもした。

テント泊なのに山小屋で親切にされるとうれしくなる(高橋)

小屋泊の人と、テント泊の人とが交流できる場を作りたいんだ(伊藤)

高橋:もちろん、もっともなことは言ってもらわないと。俺がいう「いい人であってほしい」というのは、ときどき驚くほど偉そうな人がいて、つまらないことで怒鳴ったりするから、そういうのはやめてほしいだけ。スタッフ教育的なものの質が問われるよね。

伊藤:でも、毎年スタッフが入れ替わるので教え込むのも大変で、たまたま接客に不向きなスタッフがいても、山奥だから簡単に変えられないこともあるよ。

噴湯丘を見るために、湯俣川を徒渉して対岸へ。

高橋:難しいね〜。最終的には、小屋そのものではなく、個人の問題か。そういえば、小屋に到着したとき、後ろに人がいたかどうかとか、雪や沢の具合だとか、いろいろ聞かれることがあるよね。
伊藤:そうだね、聞くね。

高橋:あのように聞いてくれるとこの小屋はちゃんとしてるなって安心する。いまごろ、どういう登山者がどこにいるのかとか、危険な場所があるのかとか、最新の情報を得ようとしているわけだから。

噴湯丘(タイトル写真の半球のもの)から湧き出した温泉で足を温める。

伊藤:以前あそこで遭難者が出たとか、そんな経験によって知っておきたいことが出てくる。それが安全につながるんだよね。
高橋:そうか〜。ところで、圭さんがこれからやりたいことって?

伊藤:もっと詳細な山の情報を発信したい。この山域にはこんな植物や歴史があって……という資料室みたいなものを作りたいなと。
高橋:資料室?

圭さんの自宅で作ってくれたお弁当。うまいおかずがぎっしりと詰まっていて、大食いの僕にはうれしい限り。

伊藤:いろいろな知識を増やすと、山登りに厚みが出るでしょう? ここから先、伊藤新道の復活(注:今回、僕たちが歩いた湯俣から、湯俣川沿いに道をつけ、三俣までをむすんだルートが、伊藤新道。現在は登山地図から落とされているほど荒廃しているが、伊藤家ではこれから10年以内に再び歩けるようにと再整備する予定でいる。

NHKBSプレミアム『にっぽんトレッキング100スペシャル』の「山小屋物語」という番組で取り上げられ、圭さんとハイカーズデポの土屋智哉氏、そして僕の3名が出演し、伊藤新道を実際に歩いている)と併せて、重点的にやろうかなと。

湯俣へ戻るために再び徒渉。足が痛くなるほど、水は冷たい。しかも川岸の地面も凍結していたのだ。

高橋:なるほどね。いまも三俣山荘事務所のウェブサイトは、文化的な読み物でも充実しているよね。そこでさらに俺は、圭さんにお父さんのように本を書いてほしい。

伊藤:書くのは得意なジャンルだし、山小屋はこうやって成り立っているとか、おもしろい話はいろいろ。独特な構造をしている建物だけでも興味深いはず。でも総合的に書ける内容にたどり着くにはまだ20年くらいかかりそう。
高橋:20年後にはそれなりの年齢になっちゃうから、あえて若いうちにいまの気持ちや考えを一回まとめるのもいいと思うよ。

伊藤家が管理する湯俣山荘。現在は閉められているが、いずれ再開したいという。

伊藤:そうね、若いうちに……。
高橋:『ななかまど』(注:年に1回のペースで、三俣山荘事務所が発行している小冊子。圭さんをはじめとする伊藤家のみなさんが筆を執り、雲ノ平付近の歴史や文化を伝えている。ここでしか読めない話、知られざる逸話も豊富だ。三俣山荘事務所のウェブサイトから購入可能である)に書いたものだけでも、かなりストックがあるでしょう? 小屋に入っているときは忙しいだろうから、冬場にでも少しずつ書きためておいてよ。