おもしろローカル線の旅87〜〜真岡鐵道真岡線(茨城県・栃木県)〜〜

 

茨城県の下館(しもだて)駅と栃木県の茂木(もてぎ)駅を結ぶ真岡(もおか)鐵道真岡線。28年にわたりSL列車が走り、沿線に陶器の町、益子(ましこ)があり訪れる観光客も多い。

 

これまで真岡線に乗った経験があり、良く知っているという方も多いのではないだろうか。筆者も似たような思いを持っていた。だが、細かく乗り歩いて見聞きすると、多くのお宝が眠っていたことが良く分かったのだった。

 

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【真岡線に乗る①】開業したころの真岡線の絵葉書を見ると

最初に真岡線の概要を見ておこう。

路線と距離 真岡鐵道・真岡線/下館駅〜茂木駅間41.9km
開業 1912(明治45)4月1日、官営鉄道の真岡軽便線として下館駅〜真岡(もうか/1988年「もおか」に読み変更)駅間が開業。
1920(大正9)年12月15日、茂木駅まで延伸開業。
駅数 17駅(起終点駅を含む)

 

現在の真岡鐵道の元となった真岡線の歴史は古い。明治の終わりには一部区間ではあるものの下館駅〜真岡駅間が開業している。筆者の手元に古い絵葉書がある。真岡線の七井駅の絵葉書で、古い機関車と駅舎が写り込んでいる。

↑七井駅の大正時代の絵葉書。ホームに停車するのは600形蒸気機関車。絵葉書は筆者所蔵(禁無断転載)

 

七井駅が開業したのは1913(大正2)年7月11日のことなので、絵葉書はそれ以降ののものだと思われる。目を凝らしてみると駅舎の手前に撮影を見守る鈴なりの子どもたちの姿が写り込んでいる。汽車が珍しいのか、写真撮影が珍しいのだろうか。絵葉書に写る汽車や駅舎の形も気になるものの、むしろこの時代の子どもたちが何を見物に来ていたのか興味深い。

 

ちなみに、写っているのは600形機関車と呼ばれる車両で、その612号機。導入したのは東北本線などを建設した日本鉄道で、1890(明治23)年にイギリスのナスミス・ウィルソンという会社が製造したものだった。612号機は真岡線などを走った後、現在の湖西線の前身である江若鉄道(こうじゃくてつどう)に引き取られたとされる。

 

【真岡線に乗る②】2県をまたがる路線ゆえの難しい問題も

真岡軽便線は1922(大正11)9月2日に真岡線と改称される。最盛期は1960年代前半で、上野駅から真岡線へ直通で走る準急「つくばね」が運転された。その後に急行に格上げされたが、1968(昭和43)年に乗り入れが終了となっている。国鉄の路線だった当時から「地域の流動に合わない線形」が問題視された。

通勤や通学は、住んでいる県内で動く傾向が強い。真岡線は下館駅からひぐち駅は茨城県内、久下田駅(くげたえき)から終点の茂木駅までは栃木県内に駅がある。沿線では真岡市が最大の都市となるが、市の調査でも栃木県内での通勤・通学が多く、県をまたいで下館へ出る人は少ない。

 

要は県内での移動が主流で、県をまたいで移動する人は多くないということだ。そのため国鉄当時には、県庁のある宇都宮市との路線新設も計画されたこともあったが実ることはなかった。

 

この線形の問題が国鉄時代に収益悪化にもつながる。真岡線は国鉄時代に特定地方交通線に指定され、JR民営化でJR東日本・真岡線になった1年後の1988(昭和63)年4月11日に真岡鐵道に転換された。

 

現在、真岡鐵道は栃木県と真岡市、茨城県筑西市(ちくせいし)などが主要株主となり第三セクター経営の鉄道会社として運営が続けられている。

 

【真岡線に乗る③】モオカ14形とC12形に加えて

真岡鐵道の車両をここで見ておこう。ここならではのお宝もある。まずはSLもおかの牽引機が欠かせないだろう。

 

◆C12形蒸気機関車66号機

C12形は後ろに石炭や水を積んだテンダーを連結しないタンク式蒸気機関車で、主にローカル線で使われた。真岡鐵道を走るC12形の66号機は1933(昭和8)年11月29日、日立製作所笠戸工場(山口県)で製造された。当初は指宿線(現・指宿枕崎線)で走った後に、東北の小牛田、宮古、釜石、弘前機関区と移る。その後、信州、東北の会津若松と移った引っ越しの多い機関車であった。最後は福島県の川俣線(廃線)の岩代川俣駅(廃駅)まで走り、近隣の団地内で保存された。

↑タンク式蒸気機関車C12形が牽引する「SLもおか」。国内で唯一のC12形の動態保存車両でもある

 

その後に真岡鐵道がSL観光列車の運転を企画していたことから1993(平成5)年から動態復元工事が行われ、翌年の3月27日から「SLもおか」の牽引機として走り始めた。いま、実際にボイラーが生きていて、列車を牽引することができるC12形蒸気機関車は真岡鐵道の66号機のみとなっている。

 

◆50系客車

SLもおかの運行に使われる50系客車はJR東日本から譲りうけたもので、形式名オハ50形2両、オハフ50形1両が使われる。

 

50系は旧型客車と呼ばれた戦前戦後から残る古いタイプの客車を、安全性や居住性という面から刷新した車両で、1977(昭和52)年から1982(昭和57)年にかけて900両以上が製造された。その後に客車列車が淘汰されたことと、一部残った車両は観光列車用に、大幅に改造されて使われたものが多かったこともあり、50系の原形をとどめた車両は今や貴重となっている。つまり、SLもおかに使われる蒸気機関車と客車は、すでに〝お宝〟級の珍しい車両なのだ。

↑SLもおかの客車は国鉄形50系。こげ茶色の塗装で、赤い帯を巻いている。50系の原形をとどめた車両で今や貴重になっている

 

◆モオカ14形

2002(平成14)年から導入が始められた気動車で、現在の列車はこの車両が1両、もしくは2両での運行が行われている。

 

製造は当初は富士重工業だったものの、同社が鉄道車両事業から撤退したことから3号車以降は日本車輌製造が行っている。ちなみに14形の「14」は平成14年から導入されたことによる。座席はロングシート仕様が多いが、一部の車輌はセミクロスシート仕様となっている。

↑モオカ14形は9両が製造された。富士重工業社製は前照灯が中央上部に(左上)。日本車輌製造製は前照灯が上部左右に付く

 

◆DE10形ディーゼル機関車

SLもおかの運転時に、車庫がある真岡駅から下館駅へ客車と蒸気機関車を牽引。またSLもおかの運転終了時に下館駅から真岡駅へ戻る列車(通常列車として営業運行)の牽引を行う。このDE10形1535号機はJR東日本から2004(平成16)年8月に譲り受けたもの。JR貨物やJR旅客各社で今も使われているDE10形だが、急激に車両数が減ってきている。真岡鐵道のDE10も近いうち、希少車両となっていきそうだ。

↑SLもおかの運転終了後、真岡駅の基地へ戻る列車を牽引するDE10形1535号機。国鉄の原色塗装が保たれている

 

他に触れておかなければいけないのは蒸気機関車C11形325号機のことだろう。1998(平成10)年9月に動態復元工事が行われ、その年から真岡鐵道をSLもおかとして走っただけでなく、JR東日本にも貸し出された。SL列車の利用者の減少などの理由から、真岡鐵道での維持が難しくなり、2020(令和2)年に東武鉄道へ譲渡された。東武鉄道では鬼怒川線を走るSL大樹の牽引機となり、早速、2機体制で走り始めている。

 

C11形とC12形の2両で列車を牽引する姿は人気だっただけに、手放さざるを得なかった同社の苦悩を思うとつらいところである。

↑真岡鐵道の所有機だった当時のC11形325号機。C12形との重連運転が行われる日はかなりの賑わいを見せた

 

【真岡線に乗る④】起点の下館駅は水戸線と関東鉄道の連絡駅

さて、ここからは真岡線の旅を始めてみたい。真岡線の起点は下館駅となる。下館駅は茨城県の筑西市の表玄関で、JR水戸線と、関東鉄道常総線との連絡駅となる。

 

列車は朝と夕方を除き1時間に1本の割合で、ほとんどが終点の茂木駅行き。所要時間は下館駅から真岡駅まで約30分、茂木駅までは約1時間15分ほどかかる。なお、SLもおかの運転日は土日祝日が中心で、2022年は12月25日まで運転の予定だ。SLもおかの乗車には運賃に加えて整理券(大人500円、小人250円)が必要となる。

 

真岡線の旅で注意したいことがある。ランチをどこで食べるか、また弁当などをどこで購入するかである。特に親子づれなどでは切実な問題となりそうだ。

↑下館駅の北口。JR水戸線の改札がある。同改札から入り西側にある1番線が真岡線の乗り場となる(右下)

 

駅前にコンビニなどの売店がある駅は限られる。起点となる下館駅も例外ではない。駅のコンビニは平日の朝方のみ、土日・祝日は休業となる。北口駅前には大規模商業施設の建物があるのだが、10年ほど前にショッピングセンターが退店してしまい、現在は筑西市役所となっている。日中に営業の飲食店もほぼない。駅近くに飲食店があるのは真岡駅と茂木駅ぐらいなので注意したい。

 

下館駅を発車する真岡線のみならず、水戸線を含め鉄道の利用者が減少していることを痛感してしまうのである。

 

真岡線の乗車券は、下館駅の窓口でも購入可能だが、SLもおかが走る日には真岡線が発車する1番ホームに真岡鐵道のスタッフが配置されているので、こちらでの購入も可能だ。ただ、益子などでのイベント開催日は、混みあうことがあり、事前に乗車券を購入しておいた方が賢明だ。また、土・日曜、祝日、年末年始などに有効な関東鉄道と真岡鐵道(下館駅〜益子駅間のみ)の共通1日自由きっぷ(大人2300円)が用意されている。関東鉄道と真岡線を通して利用する場合に便利だ。

 

行き止まりの1番線ホームに停車しているのはモオカ14形。訪れた日は益子でイベントの開催があり、早朝から立ち客が出るほどの盛況ぶりだった。ディーゼルカーらしいエンジン音を奏でつつ出発する。水戸線と並行して西へ。そして右へカーブして、水戸線から離れて行く。

↑ひぐち駅へ進入する普通列車モオカ14形。この駅の北側でまもなく栃木県へと入る

 

しばらくは筑西市の住宅街を見ての走行となる。水田風景が見えてきたら、下館二高前駅へ。こちらは真岡鐵道に転換された日にできた駅だ。駅のすぐ近くに中学校と高等学校がある。通学での利用者が予測できたのに、なぜ国鉄の時代に駅を造らなかったのか疑問である。こうした事実を知ると、国鉄時代にもっと利用者のことを考えた細かな鉄道営業をしておけば、まったく違った道が描けたのではないのだろうかと思ってしまう。

 

下館二高前駅を発車すると左手に大きな通りが見えてくる。こちらは国道294号で、真岡鐵道とほぼ並行して走る通りで、付かず離れず茂木近くまでほぼ並行して走る。国道294号は千葉県柏市から福島県の会津若松を結ぶ主要国道だ。この国道沿いに町が発達してきた。

 

次の折本駅も国道の横にあり、その次のひぐち駅も国道にほど近い。このひぐち駅だが、こちらも真岡鐵道となった後の1992(平成4)年開業と比較的新しい駅だ。駅開設時に秩父鉄道の樋口駅と混同を避けるためにひらがな表記とされた。

 

【真岡線に乗る⑤】茨城と栃木の県境にある久下田駅

ひぐち駅の次は久下田駅で、ここから栃木県内の駅となる。真岡線の茨城県の駅は4駅のみで、残り13駅は栃木県内の駅となる。国鉄時代に宇都宮と結びつけるプランも提案されたというから、こうした2県をまたがる路線の難しさというのは、当時から頭が痛い問題だったのだろう。

↑久下田駅から栃木県内の駅となる。1996(平成8)年に現在の立派な造りの駅に建替えられたが、現在は無人駅となっている

 

地図で見ると、久下田駅から栃木県に入るのだが、路線が県境上にあることがわかる。西側の駅出口は栃木県真岡市、線路の東側は茨城県筑西市樋口で、駅舎は西口にあたる栃木県側にある。駅の東側・茨城県側に入口はない。そのために筑西市に住む人たちは、真岡線利用の際にはぐるりと北に回って踏切を渡り、栃木県に入って列車に乗車することなる。茨城県内に住む人たちにとっては厄介な駅の造りとなっているわけだ。

 

【真岡線に乗る⑥】路線で最も賑わう真岡駅とSLキューロク館

真岡市内へ入った真岡線。寺内駅を過ぎれば民家も徐々に増えていき、沿線で一番大きな町の真岡市の玄関駅でもある真岡駅へ到着する。この駅は初めて降りるとややビックリする。駅舎は大きなSLの姿で、入口付近は車輪のデザイン、屋上には前照灯まで付けられる凝りようだ。

↑真岡駅の駅舎。SLの姿が再現されている。真岡鐵道の本社も同駅舎内にある

 

駅の構内に真岡線の車庫があり、モオカ14形が多く停車していたり、SL列車が走らない平日は、蒸気機関車が休息していたりする。車庫には検修庫があり、転車台もあって車両の方向転換が可能になっている。

 

駅舎の南側に隣接して設けられているのが「SLキューロク館」で2013(平成25)年に〝SLが走る町の拠点施設〟として開設された。

 

〝キューロク〟とは大正時代に造られた9600形の愛称で、同館にもその1両である49671号機とD51形蒸気機関車146号機の2両が保存されていて、両機とも圧縮空気により自走できるように整備されている。ほかにも、ここにはお宝車両が多く保存されている。

↑真岡駅(左)と「SLキューロク館」を並べて撮ると、巨大なSLが並ぶように見える。中央に見えるのがD51形146号機

 

圧縮空気により動く9600形とD51形、9600形は車掌車ヨ8000形貨車と連結して運行し、この車掌車への乗車体験や、またD51形は運転体験会も行われる(現在、運転体験会は休止中)。こうした〝イベント〟やグッズなどを除き、無料で入場できるのもうれしい。そのせいもあるのか、週末は多くの親子連れで賑わっている。

 

鉄道好きには、屋内外に珍しい車両が保存されているところも見逃せない。まずは館内に青い客車。こちらは「スハフ44形」で、急行「ニセコ」などの客車として活躍したもの。屋外には無蓋車や木造の有蓋貨物車などが保存される。中でも「ワ11形木造有蓋貨物車」が珍しい。戦前に地方私鉄向けに造られた有蓋の木造貨車で、現存する最も古い車両の1両となっている。車掌が乗り貨物も積めた「ワフ15形貨物緩急車」も他で見ることができない車両である。

↑車掌車ヨ8000形貨車(左端)と連結した9600形蒸気機関車。車掌車との連結走行への乗車も楽しめる(有料)

 

貴重な車両が多く保存されるキューロク館だが、同じ真岡駅構内で気になったことがあった。線路を挟んで、西側にディーゼル機関車や気動車、貨車など何台か留置されている。そこに今やあまり見かけることのない車掌車が3両おかれている。こちらは長らく、屋外に置かれているせいか、一部は天井が抜け落ちていた。こうした車両の保存というのは、非常にお金がかかるし、手間がかかるもの。キューロク館に保存されている車両で精いっぱいというところなのかもしれない。

 

【真岡線に乗る⑦】のどかさが半端ない西田井駅周辺

真岡駅で、つい時間をかけすぎてしまった。先を急ごう。この先、益子駅までは15分、終点の茂木駅までは約40分かかる。ただし、つい立ち寄りたくなる駅も多い。

 

真岡駅の1つ先が北真岡駅。こちらは春先には菜の花と桜が一緒に撮影できるポイントがあり賑わう。数年前に地元の人たちが丹精込めて植えた菜の花が踏みつけられ、無断駐車も問題視された。地元の観光PRの一環であるのに、トラブルが出てしまうところが、非常に残念である。2022年にはコロナ禍で桜の時期に開かれる「一万本さくら祭り」も中止になった。2023年以降の動向が気になるところだ。

 

さて北真岡駅を過ぎると、一面の田園風景が広がる。次の西田井駅(にしだいえき)まで絵になる所が多い。

↑北真岡駅〜西田井駅間は田園風景のなか線路がまっすぐに延びていて絵になる

 

次の西田井駅は筆者がよく途中下車する駅である。とにかくのどかだ。北真岡駅方面へ徒歩5分あまり歩いたエリアには、広々した田園地帯が広がり、路線の両側を細い道が並行するため撮影もしやすい。田園地帯まで行く途中に気になる古い鉄橋を見つけた。その話は後ほどということで、駅に戻る。

↑西田井駅のホームそばに広がる西田井駅前公園。大きな池ではないが、釣り人も複数人訪れている姿が見られた

 

写真撮影を済ませ駅で次の列車を待つ。ホーム横に西田井駅前公園という池のある公園が広がり、つい気になってしまう。釣り糸をたれている人がちらほら。イヌとのんびり散歩する人も見かける。とてものどかで、癒される風景が広がっているのである。

 

【真岡線に乗る⑧】焼き物の町ながら駅から離れるのが難点

西田井駅を過ぎたら益子駅ももうすぐだ。陶器市などのイベントがある日には、この駅まで乗車する人が非常に多くなる。

 

残念なのは駅から陶器専門店が多くある城内坂(じょうないざか)まで約1.5kmの距離があること。筆者はいつもこの距離でめげてしまうのだった。ちなみに、陶器市は春と秋に開催されている。春はGW前後で、秋の陶器市は2022(令和4)年の場合11月3日〜7日の予定となっている。同期間、手ごろな価格で陶器が販売されるので、お好きな方は訪ねてみてはいかがだろう。

↑益子駅を発車する茂木駅行き列車。駅舎はツインタワーが建つ造り(右上)。関東の駅百選にも選ばれた

 

【真岡線に乗る⑨】茂木駅の先の未成線跡が整備されていた

益子駅を発車した列車は、左手に広がる田畑風景を見ながら北上する。七井駅、多田羅駅(たたらえき)と進むうちに、徐々に車窓風景がかわっていき屋敷林や丘陵が見えるようになる。市塙駅(いちはなえき)の先で、路線は大きく右カーブを描く。左右に丘陵が連なり、はさまれるように水田が広がる。進行方向、右側の丘の麓を真岡線がたどり、左の丘の麓を県道宇都宮茂木線がたどる。

 

笹原田駅(ささはらだえき)、天矢場駅(てんやばえき)といずれも1992(平成4)年3月14日に誕生したホーム1つの小さな駅で、駅周辺に民家はあまりない静かな駅である。天矢場駅からは国道123号が真岡線と並行して走るようになる。国道を陸橋で越えると右に見えてくるのが「道の駅もてぎ」。ここは週末になると駐車場がほぼいっぱいになる人気の道の駅で、この近くで、SLもおかの姿を撮影しようとカメラを構える人も多い。

↑道の駅もてぎの緑を背景に走るSLもおか。ここを通過すれば、終点の茂木駅も近い

 

余談ながら、栃木県の自動車の普及率は例年97%前後をしめし、この数字は全国トップクラスとなる。茨城県も同県と似た数字が出ている。世帯当たりの台数は茨城県が全国2位の1.565台、栃木県が全国3位の1.581台となる(2021年、自動車検査登録情報協会調べ)。ちなみに1位は群馬県だ。北関東3県では通勤・通学でマイカーを使う世帯が多いことを物語る。

 

マイカーに慣れてしまうと、あえて鉄道に……とはなりにくいのであろう。さらに県の中心の宇都宮市方面に真岡線の路線は通じていない。このあたりの路線営業の難しさが感じられてしまう。せめて首都圏から真岡線を楽しみに訪れる方は真岡線に少しでも乗っていただけるようお勧めしたい。道の駅の駐車場の混雑ぶりを見ながら、そんなことをふと思うのだった。

↑茂木駅の駅構内にはSLが方向転換するための転車台(左下)がある。駅前からは本数は少ないが宇都宮方面行きバスも出ている

 

列車は終点の茂木駅へ到着。この茂木は、明治期にたばこ産業の発展した町で、最盛期には7つの葉たばこの委託工場があり4000人に上る従業員が勤めたとされる。当時に造られた土蔵造りの商家も残る。駅の近辺には飲食店もありランチ時に便利だ。

 

さて、茂木駅で気になるパンフレットを見つけた。「未成線の旅へようこそ!」というタイトルが付けられたパンフレットで、地元の茂木町役場商工観光課と茂木町観光協会が制作していた。茂木駅の先には、蒸気機関車が転車台で方向転換するために、わずかだが線路が延びている。その先は今どうなっているのだろう。足を向けてみた。

↑茂木駅の北側に延びた線路の先は未成線跡として一部、整備されていた。「未成線へようこそ」という案内も立つ(右上)

 

真岡線の線路の車止めの先に、元線路跡らしき敷地がきれいに整備されていた。真岡線の先は路線計画が戦前に立てられていた。国によって1922(大正11)年4月11日に公布・施行された「鉄道敷設法」には、第38号として茂木駅と水戸を結ぶ路線計画が立てられていた。この路線は長倉線という名前で呼ばれ、実際に1937(昭和12)年3月に着工されていた。1940(昭和15)年にはレール敷設も始められていたとされる。ところが太平洋戦争が始まり工事は中断、敷設されたレールも外されてしまったのである。

 

前述したパンフレットでは、那珂川に近い下野中川駅(しもつけなかがわえき/栃木県茂木町河井)まで建設された5.7km区間が〝未成線ハイキングコース〟として紹介されていた。茂木駅に近いところは、あくまで出発地点にあたるポイントだが、一部が整備されていたというわけである。茂木駅からは、JR烏山線の終点、烏山駅まで線路を延ばす計画もあったとされる。たらればながら、これらの未成線ができていたら、真岡線も異なる姿になっていたかもしれない。

 

【真岡線に乗る⑩】花と絡めて列車を撮影しておきたい

さて、ここからは真岡線沿線のお宝を改めて確認しておきたい。前述したようにまずはC12形蒸気機関車と50系客車が挙げられるであろう。真岡駅の「SLキューロク館」で保存される車両群は希少なものが多い。また西田井駅近くなどの田園風景などもお宝に加えて良いかも知れない。

 

さらに筆者があげておきたいのは、花景色だ。本原稿では写真に含めなかったが、早春の北真岡駅近くの桜と菜の花は人気が高い。ほかにも規模は小さいものの花々を絡めて写真撮影できるところが多々ある。早秋ならば沿線の秋桜が見事だ。みな地元の方が丹精込めて植えたものが多いので、大事にして撮影したいと思う。

↑多田羅駅近くの秋桜畑は人気のスポット。写真は9月末撮影のもの。こうした花々は年によって様子が変わることがあり注意したい

 

↑西田井駅のそばで線路端の草花と絡めてみた。緑豊かな真岡線はこうした構図づくりに困らない路線でもある

 

【真岡線に乗る⑪】鉄橋など古い施設こそ真岡鐵道のお宝

真岡線のお宝という視点で欠かせないのは、古い橋梁であろう。真岡線には鉄橋が46橋梁かかるとされる。さらに明治末期から大正時代にかけて架けられた鉄橋が手付かずのまま残っているところが多い。

 

例えば、益子駅に近い小貝川(こかいがわ)橋梁がある。この橋梁は鋼ワーレントラス(またはポニーワーレントラス)と呼ばれる構造で、日本の鉄道技術の普及に大きな役割を果たしたイギリス人技師のC.A.W.ポーナルの影響が強く見られる。ワーレントラスのなかでも、技師の名前を付けたポーナル型ピントラスと呼ばれ、鉄道草創期の姿を今に残している。

 

小貝川橋梁の骨格をなす橋げた部分は1894(明治27)年製のイギリス、パテントシャフト&アクスルトゥリー社(「Patent Shaft & Axletree」と刻印/現在、同社は消滅)製のものだった。かつて本原稿で樽見鉄道を紹介した時に旧東海道本線の鉄橋を紹介したが、この鉄橋もパテントシャフト&アクスルトゥリー社製のものだった。土木学会選奨土木遺産に2011(平成23)年に認定されている。この小貝川橋梁とともに、真岡線の北真岡駅〜西田井駅間にかかる五行川(ごぎょうがわ)橋梁も同じ会社で橋梁部が製造されたものだった。

 

テーム川の源流にあるイギリス・ウェンズベリーという町で製造された橋梁の鉄骨材料が、海を越えて運ばれ各地で使われていたことが分かった。

 

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↑益子駅に近い小貝川橋梁を渡る列車。右手の橋の構造がポニーワーレントラスと呼ばれ現役最古の同構造の橋と言われている

 

小貝川橋梁や五行川橋梁だけでなく、小さな橋も実は見逃せないものがあった。例えば、西田井駅近くの赤堀川に架かる小さな橋梁。線路端の道からもレンガ積みの橋脚が良く見える。鉄道草創期の技術を残すもので、緻密さが感じられる。さらに橋げたのガーダー橋梁が気になった。刻印はさびつき見づらかったものの……。

↑西田井駅の近く、赤堀川にかかるガーダー橋。鉄橋の刻印(右上)には、小貝川橋梁と同じくイギリス製であることが分かった

 

枕木の下にちょうど刻印があり、それを拡大して見ると小貝川の橋げたを造った会社と同じ「Patent Shaft & Axletree」とあった。さらに製造年は1900(明治33)年だった。赤堀川を渡る路線区間は1913(大正2)年の開業なので、製造され13年後に使われたこと分かる。どこかの路線で使われた後に、真岡線に転用されたのか不明なものの、一世紀以上前にイギリス・ウェンズベリーで製造された鉄橋が今もこうして役立ち、使われていることが良く分かった。

 

こうした橋梁は真岡線のお宝であり、大事にされてきた鉄橋にはるか昔の刻印を発見できた。真岡線の歴史の奥深さを感じたのである。