Photo: ギズモード・ジャパン

改めて時間を考える。

シンガポール出身の現代アーティストであるホー・ツーニェンの個展『ホー・ツーニェン エージェントのA』が東京都現代美術館にて、7月7日まで開催されています。今回ギズモード・ジャパンでは会期前に展示を観てきました。

ホー・ツーニェンは、映像作品をメインとしつつ、音響や演劇的芸術、インスタレーションなどの作品を生み出すアーティストです。

今回の個展では、映像作品をメインにインスタレーション、静画的なアプローチやスクリーン構造の工夫、そしてVR作品が展示されています。展示作品は、ホー・ツーニェンの初期作品から最新作まで多くの作品があり、展示スペース全体がひとつの作品なるような作りとなっています。

ホー・ツーニェンってどんなアーティスト?

ホー・ツーニェンは、生まれ育ったシンガポールや東南アジアのアイデンティティを深く掘り下げ、そこに生まれる歴史や思想を徹底的にリサーチしてアート作品に落とし込むというアーティストです。

今回の展示会で観られる作品では2Dや3Dアニメーション、実写映像や過去のアーカイブ映像などさまざまな表現方法を駆使しています。そうして生み出された映像は、史実や歴史的なモチーフだけでなく、神話や寓話的なモチーフなども用いながら、ときに抽象的に、ときに具体的に観ている人にさまざまなメッセージや問いを投げかけます。

語られた歴史をどう捉えるか

作品『名前』の中で映される映画『バートン・フィンク』の一場面

今回観られる作品を紹介すると、たとえば『名前』と『名前のない人』という作品では、それぞれジーン・Z・ハンラハンとライ・テクという人物がフォーカスされて語られています。ただし作中ではその人物とは関係のない映画の断片が映されます。

というのも、このジーン・Z・ハンラハンとライ・テクは、それぞれ歴史の中で語られるものの、実在したかはわからない、あるいは本当の名前がわからない、という謎の多い人物なのです。曖昧で匿名性のある歴史を既存映画のイメージングにより構成することで、時を経て語られる歴史の見え方を示すようで興味深い作品です。

作品『ウタマ—歴史に現れたる名はすべて我なり』

ほかにも、シンガポールという国を「ライオンのいる町」と名付けたとされるサン・ニラ・ウタマについて語られる『ウタマ—歴史に現れたる名はすべて我なり』では、その時代にライオンはいなかったとされる事実を元に「語られた歴史における真実」といったものにフォーカスしている点がおもしろいといえます。

『一頭あるいは数頭のトラ』では、シンガポールにおけるシャーマニズムやアニミズムのシンボルのような存在であるトラを神話的に表現しています。

VRデバイスを用いた体験型の作品である『ヴォイス・オブ・ヴォイド 虚無の声』では、第二次世界大戦へのアプローチがされており、日本の京都学派という哲学者たちがフォーカスされています。京都学派の人々が語る言葉をベースに、実際に行なわれた座談会や抽象的な空間を行き来しながらその哲学に触れていきます。

作品『ヴォイス・オブ・ヴォイド』で映される「座談会」の映像

戦時中、あるいは戦後において、京都学派の哲学者たちの思想への批判があったことや、近代思想を乗り越える過程で危険な思想であったかどうか、解釈によってその真理が変わるという点を踏まえると、歴史をどう認識するかというさまざまな視点のあり方を考えさせられるように感じますね。

できごとは時とともに歴史となっていきます。経過した時間の中で隠された、あるいは曖昧になっていた歴史をどう捉えるのか、そして今を生きる私たちができごとをどう振り返りそれを歴史にしていくのか、そうしたことも感じられました。

"今"という時間はどんなものなのか

『時間(タイム)のT』

今回新作として展示され、個人的に1番感銘を受け、重要だと感じたのが『時間(タイム)のT』という作品です。

『時間(タイム)のT』はアニメーションや実写などが混在するビデオインスタレーション作品であり、今回の展示会の核となるテーマでもある時間について語られています。

約1時間で構成された作品のなかには、科学や自然的なモチーフ、幻想的で超自然的なモチーフ、歴史や史実のモチーフといったさまざまな要素が含まれ、いずれも時間を扱ったものとなっています。

手前の透過スクリーンにはアニメーション、奥のスクリーンにはモノクロの実写映像

さらに興味深いのは、この映像は2枚のスクリーンが重なるように構成されていて、手前は透過スクリーンとなっています。この2枚のスクリーンには、同じ映像が流れるわけではなく、たとえば奥のスクリーンにはアーカイブ映像が流れ、手前のスクリーンにはアニメーション化された映像が流れたり、といったかたちで映像が映されます。

また、手前のスクリーンにしか映らないものが奥のスクリーンにも透けて映ったり、奥のスクリーンの映像は焦点が合っていない、などさまざまな映像の組み合わせが生まれます。こうした重複と差異が時間というものをまさに表わすようにも思えました。

こうした構造により、同じ時間というテーマを持ちながらも、全く異なっていたり、別の側面を持つ2つの物語を見ているような不思議な感覚をおぼえ、その作品性に魅了されます。時間というものが、普遍的で定量的であるように感じる一方で、相対的で不規則なものでもあると感じられる非常に示唆に富んだ作品だと思います。

りんごを剥く、液体が混じり合うといった何気ない時間のループ

さらに、この『時間(タイム)のT』内で扱われたいくつもの短いループ映像の断片が会場のあらゆる場所に流れていて、それらは何気なく過ぎていく時間やあまりに規則的に経過するため意識しないような時間、あるいは地球の自転・公転など人間が認識しづらい時間などが映されています。

過去、未来、現在を映し出す『オードバイ(空虚)』

こうした時間を改めて捉えようとする映像を見つめる時に、私たちもその時間を意識するような、深い内省にもつながるようなものになっていきます。

なかでも私は、こちらのフルフェイスを被った人がバイクを走らせる映像の『オードバイ(空虚)』という作品を長い時間眺めていました。

ヘルメットに映るのはこれから向かう風景、後ろに映るのは過ぎ去った風景、そして正に通り過ぎようとしている人が一つの画面に映し出されています。それぞれ未来と過去、そしておよそ認識できない"今"という時間を同時に捉えている作品だと感じます。

この作品を眺めている今をどう捉えられるのだろうか、とモニターの前で私はしばらく考えていました。

と同時に、観た人がそれぞれの作品で描かれる時間をどのように感じ、それを観ている時間をどう捉えるのだろうか、と考え、この『時間(タイム)のT』に秘められたさまざまな解釈の仕方が、時間のあり様なのかもしれないとも感じました。

そして最後に、これまで紹介してきたホー・ツーニェンの作品は、展示されている会場内で常に止まることなく流れ続けるように会場全体が構成されています。私は、会場内のさまざまな作品を観るために反時計回りに会場を回っていきました。すると、最後の展示スペースを過ぎるとまた入口に戻るようになっています。そしてもう一度最初のスペースに入っていくと違う作品(あるいは同じ作品の違う一面)を観ることになります。

そうして何度も入口と出口を行き来して、会場を何度も回っていくことになるのです。これ自体も、自分が進む時間と会場内に流れる時間の重複と差異を表わすようなものだと感じ、最後に出る時に自分が思うよりもずっと長い時間そこに滞在していたことに気がついたのでした。

ホー・ツーニェン エージェントのA

会期:2024年4月6日(土)− 7月7日(日)

開館時間:10:00−18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)

会場:東京都現代美術館 企画展示室 B2F

観覧料:一般1,500円(1,200円) / 大学生・専門学校生・65 歳以上1,100円(880円) / 中高生600円(480円) /小学生以下無料

Source: ホー・ツーニェン エージェントのA