日本での新型コロナウイルスのワクチン接種はこれまで遅々として進捗(しんちょく)してこなかったが、菅首相の鶴の一声によって、医療従事者に対する接種に加えて、約3600万人に上る高齢者に接種するプロジェクトが日本国中で展開されている。しかしながら、準備が十分であったとは言えず、予約段階での大混乱に続き、接種が開始されると希釈ミス、二度打ちなどのミスが相次いだ。

一方、ワクチン接種に早くから取り組み始めた米国では、5月中旬までに3.4億回分以上が配られて、成人の6割が少なくとも1回の接種を終えたとされる。その背景として、30年前の湾岸戦争で経験した混乱を教訓に、情報システム整備を進めてきたことが生きている部分もある。

1990年8月のイラク軍によるクウェート侵攻に対抗するため、アメリカが主導する多国籍軍が1991年1月にバグダッドを空襲して湾岸戦争は始まった。最新兵器を装備して圧倒的戦力を擁した多国籍軍は、旧式装備が中心であったイラン軍を1カ月あまりで難なく撃破し、多国籍軍側の勝利で戦争は幕を閉じた。

湾岸戦争で、多国籍軍の攻撃で壊れた高速道路の穴に落ちたイラク軍の装甲兵員輸送車=1991年3月、イラク・バグダッドの西約300キロで

弱体なイラク軍を相手に圧勝したとはいえ、アメリカ軍にも多々問題は生じた。とりわけロジスティックスの情報が錯綜(さくそう)し、現場に必要な弾薬・医薬品・食料が届かなかったり、逆に二重三重に補給され無駄が出てしまったりする事例が頻発した。

もっとも、アメリカ軍は武器弾薬をはじめ装備資機材や医薬品、それに食料などをギリギリの量だけ用意することはせず、基本的にかなりの余裕を持たせて補給している。またイラク軍との戦力差が予想以上にあったため、そのようなロジスティックスの混乱が戦局を悪化させることはなかった。

とはいうものの、多方面にわたるロジスティックスシステムを改善することにより、必要な装備や医薬品の補給が滞ったり、過補給したりして莫大(ばくだい)な予算を無駄にしてしまうことを避けるということが、米軍や米政府機関が湾岸戦争の経験から得た最大の教訓の一つであった。

そのため、湾岸戦争に関与したアメリカの様々な組織(軍・政府機関、サプライチェーンや運送などに関連する民間企業、それにNGOなどの民間団体)では、それぞれの人事管理、在庫、流通などの情報システムの改善に努力を傾注した。そして、それらの多種多様な情報システムは必要に応じて統合されることが可能になるように、それぞれ強力なセキュリティー対策も施された。それと同時に一部の政府機関などによる乱用を阻止するシステム構築も開始された。

そして湾岸戦争から12年、2003年3月にアメリカが主導する有志連合によるイラクのサダム・フセイン政権に対する軍事攻撃が開始された。このイラク戦争においては、幅広く軍・政府・民間セクターで構築された情報システムによって、ロジスティックス分野での作業は順調に処理され、湾岸戦争時のような混乱はほとんど姿を消した。

兵器体系や補給システムが高度に機械化・システム化されている現代戦においては、戦闘分野における情報システム化だけにとどまらず、多種多様な武器・弾薬・医薬品の補給に加えて精密部品の交換やソフトウェアの修正など、ロジスティックス分野における情報システムの完成度が、戦争の趨勢(すうせい)を左右することが具体的に証明されたのだ。その後もますますITやAIが発達しているため、情報システム運用のいかんによって、ほとんどの軍事行動の死命を決することは誰の目にも明らかである。

今回の新型コロナによるパンデミックを戦争と位置づけたアメリカは、緒戦の感染拡大防止戦においては完敗し、世界最悪の感染者数と死者数を計上するに至ってしまった。その後も多くの米国民がマスク装着に対して嫌悪感を抱いていたといった悪条件が重なり、感染拡大防止には苦戦し続けてきた。

一方でトランプ政権は、パンデミック初期から感染拡大防止策と共にワクチン開発や配布網の構築に莫大な予算を投入し、その方針はバイデン政権によっても引き継がれた。そして、極めて短期間のうちに新型コロナウイルスに対抗可能なワクチン(ファイザー、モデルナ、ジョンソン・エンド・ジョンソン)がアメリカ企業により生み出されると、早期にワクチン接種を完了させる戦略実施に全精力を傾注させるようになった。

そして、ワクチン接種という目的とその流れに関係する範囲に限定した話ではあるものの、関連する政府機関や官民の医療機関それに民間企業(配送業者、ドラッグストア、スーパーマーケット)の情報システムが統合され、効率的にワクチン接種を推し進めるシステムが構築された。

実際の接種の流れは州ごとに異なるが、基本的には州が発行しているID(免許証あるいはIDカード)番号、氏名、生年月日によって、接種を受けた個人が登録され、個々人のデータにワクチンそのものの情報、ワクチンを取り扱った人々の情報、ワクチン接種に関与した人々の情報などが登録される仕組みになっているようである。

米ニューヨーク中心部の駅構内に設けられたワクチン接種会場に並ぶ市民。会場には「無料ワクチン、無料乗車」の横断幕が掲げられた=2021年5月12日、朝日新聞社撮影

それらの事項は全てオンライン情報システムにリアルタイムで登録され、直ちに情報は更新されるようになっている。例えば、筆者の経験では、ワクチン接種後15分間の待機が始まった直後にeメールを着信し、接種内容の確認レシートが送られてきた。それには、筆者の個人情報、接種日時、ワクチンの種類、ワクチンメーカー、ワクチンのロット番号、ワクチンの使用期限、ワクチン接種部位、ワクチン接種量、問診者氏名、接種者の氏名や職名、ワクチンを処方した医師、注射器の準備をした場所、接種した場所、予約時のオンライン問診記録、接種時の対面問診記録などが記載されていた。さらに、より詳細な記録の請求先、今後気になる体調変化が生じた場合の通報先、米疾病対策センター(CDC)が運営しているV-safeというオンラインシステムへのリンクボタンも用意されていた。ようするに、予約から接種完了まで、接種される人、接種に関与する医療関係者、ワクチンそのものの情報がすべてオンラインで一元管理されているのだ。

何千万人あるいは1億人以上の国民に対して、できるだけ短期間のうちにワクチンを接種する作業は確かに容易とはいえない。しかしワクチン接種作業の主な構成要素は、ワクチン(ワクチン本体だけでなく希釈液や注射器などを含む)、ワクチンの入手や流通などを取り扱う集団、医療従事者をはじめとしたワクチン接種に直接関与する集団、それに接種を受ける人々ということになり、現代の戦争に関与する多種多様な構成要素と比較すれば、単純であるとも言える。

日本がこのような作業を潤滑に推進させるためには、どんな情報システムを構築する必要があるのか。安全保障を考える上でも、今回のワクチン接種をめぐる混乱から学ぶべき教訓は多い。