土偶は植物や貝類の精霊をかたどったもの――。そんなセンセーショナルな新説を打ち立てた人類学者、竹倉史人さんの新著「土偶を読む」が議論を呼んでいる。

考古学を含め既存の研究では「土偶とは妊娠した女性を表現したもの」などが定説とされ
ているが、こうした「常識」に、竹倉さんは、考古学を専門としない独立研究者として真
っ向から挑戦する形になっているからだ。

この本は土偶研究の新たな扉を開くのか、それとも奇説で終わるのか。竹倉さんと、彼の活動に刺激を受ける作家のいとうせいこうさん、東京工業大学の中島岳志教授が土偶や縄文についてリモートで議論した。話題は「専門知」の現状に対する問題提起にまで及んだ。3回に分けて掲載する。(聞き手・伏貫淳子、敬称略)

竹倉史人さん(中央)、いとうせいこうさん(左)、中島岳志さん竹倉史人さん(中央)、いとうせいこうさん(左)、中島岳志さん

プロフィール

竹倉史人(たけくら・ふみと) 1976年、東京生まれ。人類学者(独立研究者)。武蔵野美術大学映像学科中退を経て、東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程満期退学。著書に「輪廻転生―〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語」(講談社現代新書、2015)など。

いとうせいこう(いとう・せいこう) 1961年、東京生まれ。主な著作は、小説に「ノーライフキング」「想像ラジオ」(野間文芸新人賞)、エッセーに「ボタニカル・ライフ」(講談社エッセイ賞)など。近著に「『国境なき医師団』を見に行く」「ガザ、西岸地区、アンマン 『国境なき医師団』を見に行く」「福島モノローグ」。音楽活動では日本語ラップの先駆者の一人。 

中島岳志(なかじま・たけし) 1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、「中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義」で大佛次郎論壇賞を受賞。近著(共著含む)に「こんな政権なら乗れる」「再刊 リベラルマインド」「『利他』とは何か」「自分ごとの政治学」など。

――竹倉さんの著書「土偶を読む」が4月末の発売後、わずか3ヶ月で約2万部とヒットしています。考古学で蓄積された実証データを元に人類学的手法でアプローチするという専門の枠にとらわれない本書について、多くの考古学研究者が沈黙を守っていると聞きます。ネット上では賛否が割れているようですね。

竹倉 絶賛してくださる方が圧倒的に多数ですが、その一方で「こんなのゴミだ」と言わんばかりの方もいて(笑)。いろいろな意見が出ている状況をとても興味深く眺めています。

じつは当初、この研究は考古学の学術論文として発表するという可能性もあったんです。いとうさんも出演なさった映画「縄文にハマる人々」に出ていらした国立歴史民俗博物館教授の山田康弘先生のもとにお伺いしたら、丁寧に見ていただき、同博物館の論文として世に出す案に賛同してくださって。

それでも最終的に商業出版の形を選んだのにはいろいろな事情がありますが、結論から言えば「専門知」について世に問いたいという気持ちが前に出た感じですね…。

いとう その気持ちはめちゃめちゃ伝わっています…(笑)。

中島 アカデミックの世界にいる立場として、肩身が狭いです(笑)。じつは、竹倉さんのこの「土偶は植物や貝類の精霊をかたどったもの」という説は、同じ東工大にいたつながりで、本が出版される1年前に学生との読書会で竹倉さんからレクチャーを受けたことがあるんです。

その時、直感的に、竹倉さんは、いとうさんと絶対話が合うと思いました。いとうさんは縄文土器を植物の芽吹きとして見ていらして、僕も縄文土器は植物的な発想によると思っていたから、いとうさんに大変共感していたんです。

竹倉さんの話を聞いて、いとうさんの説、学術の世界、さらに人類学も結びついて、これは非常に面白いと思いました。

オンラインで意見を交わす竹倉史人さん(下)といとうせいこうさん(左上)、中島岳志さんオンラインで意見を交わす竹倉史人さん(下)といとうせいこうさん(左上)、中島岳志さん

いとう 「土偶を読む」を見つけて、「これは絶対おもしろいやつだ!」と読む前から言っていたところに、「土偶と植物について、いとうさんと同じことを言っている本が出ましたよ」と中島君から連絡がきて、びっくりしました。

そのうえ、竹倉さんは僕のダブポエトリー・バンド 「いとうせいこうis the poet」のブルーノートでのライブにも来てくれていたという不思議なご縁もあったんだよね。

今日どうしても竹倉さんと話しておきたいのは、土偶と植物についてのほかに、仮面の問題があります。

この本は、注のところにヤバいテーマがたくさん書いてあるんですが(笑)、その一つに「そもそも土偶には『顔』はないのである。(中略)原則として土偶の顔面はすべて仮面であると考えてよい。精霊は常に仮装してこの世界を来訪するからである…」と書いてあるんです。

僕は、大学1年のときに池袋にあった西武美術館で「変幻する神々 熱きアジアの仮面」展を見て衝撃を受けて以来、仮面が大好きで集めてもいたくらい関心があるので、ぜひこの記述について聞きたいと思っていました。

竹倉 土偶にはわざわざ仮面のひもまで表現されているものも結構ありますし、合掌土偶などは明らかに顔面だけが二次元で作られている。つまり、土偶を全体として見ると、仮面をつけていると解釈すべきものが多く見られます。

いとう それは、われわれ人間が仮面をつけて祭祀をするときのバーチャルな感覚を植物の精霊に転嫁しているんだろうか?

竹倉 バーチャル性、つまり「仮」であるということは、たぶんあると思うんです。それを考えるうえで参考になりそうだと思ったのがアイヌの人たちの世界観です。

有名な「イオマンテ」という熊の霊送りの儀礼は、熊の姿をしてやってきたカムイ(神)を殺して食べて、その魂をカムイモシリ(神々の世界)に送り返すことで再訪を願う。他にも植物霊を送る儀礼も存在します。

縄文の人たちは、主食級の栄養をもたらしてくれるトチノミなどの木の実を、目に見えない精霊が与えてくれるギフトだと考えていたからこそ、精霊像である土偶の顔が「仮の姿」として仮面で表現されていたんだと思います。

オンラインで議論に参加する竹倉史人さんオンラインで議論に参加する竹倉史人さん

いとう それは贈与の問題になってくるね。

中島 モースの「贈与論」につながってくると思います。ニュージーランドの先住民族であるマオリ族の人たちの贈与の行為について書かれているのですが、彼らは、森からやってきた精霊(ハウ)がモノに宿ると考えていました。

モノをずっとひとりが持っているとハウが暴れだしてしまうから、別の人に贈与しなきゃいけない。もらった人は同じようにまた別の人に贈与する。この繰り返しによって人々の間に富が連鎖し、村全体が豊かになっていくんです。

竹倉さんの話には、それにちょっと近いものを感じました。つまり、植物には精霊が宿っていて、それを独占してはならないし、精霊を怒らせてはいけない。

単に恵みに対する儀礼ではなく、精霊を怒らせて植物が枯れてしまわないようにする。その二つの意味が土偶にはあったんじゃないかと思うんですよね。

いとう お二人の話を聞いていて思い出したんですが。奈良県の春日大社摂社若宮神社の、平安末期から続く「おん祭」という例祭を何年か前に見に行きました。

夜中、午前0時に神が現れ、真っ暗闇の中を、途中に焚かれている香をたよりに進んで行き、小山のようなところに着く。そこは神のお旅所の行宮(あんぐう)で、神は24時間だけそこにいるんです。その間、摩訶不思議な伝統芸能を次々に奉納したりして、神を接待する。

そのとき僕が一番驚いたのは、小山の上の社です。鳥居と同様の形に木を組み、上に葉を葺(ふ)いているだけなんですね。24時間だけの仮のもの、ということをわざと表していると直感した。

伊勢の遷宮と明らかにつながっています。神社には、神は常にそこにいるのではなく、我々は仮にしか神に触れることができない、という「仮」の感覚があるんじゃないか。

これは竹倉さんが言う「縄文人と仮面」の「仮」の部分につながるんじゃないかな。

オンラインの議論に参加するいとうせいこうさんオンラインの議論に参加するいとうせいこうさん

竹倉 土偶は植物の精霊の「仮」の姿である、という私の説からすると、関係があるかもしれませんね。

植物霊祭祀は古今東西に見られる普遍的なもので、精霊は春の芽吹きから収穫の秋までの間だけ人間のそばにいてくれて、収穫が終わると遠いところに帰って行く、という観念が広く見られます。

フレイザーの「金枝篇」には小麦をあえて何本か刈り取らずに残しておくことで精霊が逗留(とうりゅう)できる場所を作っておく、ということが書かれています。

「遠くに帰ってもいいけど、また来てね」という送迎会のような収穫儀礼の場合もあるし、逆に、「お社を作っておくので、遠くに行かないでそこにいてください」と、精霊をとどめる場合もある。奥能登地域の「あえのこと」なんかそうですよね。

いとう 田楽のような芸能は土に眠っている精霊を起こすだけじゃなくて、あたりに漂っている精霊に集まってもらうためのもの、という感じがするよね。

芸能と仮面は結びついているから、仮面をつけることで精霊になりかわって舞う、という感覚かな。

竹倉 仮面のようなものは、数は多くないですけど出土しています。縄文時代も仮面をつけて、いろいろな精霊を呼んで憑依(ひょうい)させて、みんなで歌って踊って、太鼓みたいなのをたたいて、といったことをやっていたかもしれない。

縄文時代にもお祭りのようなイベントは間違いなくあったと思います。

いとう 贈与の受け取り方の問題なんじゃないかな。

中島 和辻哲郎のペルソナの議論を思い出しました。仮面というものは、基本的には死んでいるけれど、役者がそれをつけて動くことによって生気のようなものが仮面に宿り、その仮面がペルソナになって、憑依した霊のようなものが現れる。

仮面と死者は非常に大きくかかわっていると思うのです。だから、僕は土偶からブリコラージュ的なものを想起します。

植物だけではなく、死者の霊や、動物の霊、いろんなものが現代の僕たちとは違う分類で古代人の中にはあって、それらがコラージュされることで神話が生まれる。

そんな物体として、土偶が存在したんじゃないか。明らかに仮面をつけていると思える土偶がありますからね。

オンラインの議論に参加する中島岳志さんオンラインの議論に参加する中島岳志さん

いとう だったら仮面だけ作ればいいじゃないか、ということになるんだよね。なぜ仮面ではなく、仮面をつけた状態の土偶を作ったんだろう?そうなると、どう使っていたのか、という問題になってくる。

竹倉 「土偶を読む」は土偶の「モチーフ」に絞って書いたわけですが、「用途」の話になると、出土される状況から推定していくしかなくて、大変難しい作業です。

これまでは、土偶はお守りだったんじゃないか、など、用途は一つだという前提で議論を収斂(しゅうれん)させる傾向がありました。

ですが、東日本を中心にいろいろな地域でいろいろな土偶が作られていたことを考えると、土偶の使われ方もそれぞれ違っていたと考える方が自然です。ただ、「本義」はあくまで植物霊を宿らせる呪物だと思います。

土偶の出土数が非常に増えるのは縄文中期ですが、そのトリガーになったのは、トチノミの栽培が始まったことだと思うんですね。

というのも、八ケ岳エリアや青森の三内丸山遺跡から出土する縄文中期の土偶を見ると、トチノミをかたどっていると読めるものが多いんです。また新潟県域からはおなかの部分にトチノミの発根や発芽のシーンを表現したと思われる土偶がいくつも見つかっています。

私、トチノミの栽培を実際にやってみたんですが、種子が乾燥すると発根能力が落ちたりして、わりと難しいんです。縄文人もおそらく栽培に苦労した。

だから、土偶のおなかに描かれた図像は、トチノミが順調に発根したり発芽するように願って造形されたものだろうと考えています。

いとう あと土偶って、壊されて捨てられていることが重要だと思うんです。

僕は素人園芸が好きなんですが、植物はだいたい一年草です。あるいは四季をめぐってサイクルがある。サイクルごとに呪術が必要になる。土偶が壊されて捨てられたのは、そのサイクルごとなのではないかと思うんです。

土偶の出土数にもっとも適合するのは、何十年も生きる動物ではなくて、植物だよね。これは僕のさっきの「仮」の鳥居の話ともつながりますが。

中島 土偶を植物の精霊の「仮」の姿と考えると、なぜ、人間のようにかたどった土偶を作ったのか、という話に戻ってきますよね。

いとう そう、やっぱりそこなんですよ。なぜ、土偶には手足があるんだろう? 

(2回目は7月22日正午に配信予定です)