1990年以降、所得の不平等は世界の3分の2以上の人が暮らす国々で拡大している。国連が昨年公表した報告書は格差の現状をこう分析し、事務総長のアントニオ・グテーレス氏は「所得格差と機会の欠如が世代を超えた不平等、いらだち、不満の悪循環を生み出している」と指摘した。
国家間の所得格差はこの数十年、中国やインドなどの新興・途上国が急速に経済発展する中で縮小した。一方で、それぞれの国内では格差が広がっている。
この問題を浮き彫りにしたのが、フランスの経済学者トマ・ピケティが2013年に刊行し、世界的ベストセラーとなった「21世紀の資本」だ。欧米などの100年以上にわたる税務記録を分析し、富裕層に富が集中していくことを示した。先進国では第2次大戦で一気に所得格差は縮小したが、80年代ごろから富裕層への富の偏在が強まった。
日本で「格差社会」が流行語となったのは15年前。現状はどうなっているのか。日本の格差の実態を見つめ続けてきた早稲田大学の橋本健二教授(62)に話を聞いた。(聞き手・中村靖三郎)

――歴史的に見ると、今の日本の格差はどんな状態にあると見ていますか。

敗戦直後は富が破壊され、富裕層ほど失う財産が多く、農地改革などでも格差は縮小しました。ところが1950年代半ばから経済復興が加速すると、格差は拡大に転じた。

その後、高度経済成長が本格化すると、今度は人手不足となって雇用が改善し、格差は縮小し、1975年前後に底に達しました。

しかし、高度成長が終わると、格差は拡大に向かい、それが現在までずっと続くんです。近年は拡大は止まっていますが、数十年続いた格差拡大が高止まりになっていると言えます。

――国際的に見るとどうですか。

OECD(経済協力開発機構)が公表しているジニ係数(所得格差の大きさを表す指標)を見ると、トップではないが、平均を上回りかなり大きいと言えます。(加盟国のうちデータがある37カ国中で12番目)

一方、相対的貧困率は主要国でトップクラスです。最大の特徴は母子世帯などひとり親世帯の貧困率が50%前後と極めて高いということ。発展途上国では日本と近い国はありますが、先進国ではほとんどありません。

――なぜこれほど長く格差拡大が続いてしまったのですか。

高度経済成長が終わり格差が拡大しやすくなった時期に、何も対策がとられなかったことに起因します。高度成長が終わった後、70年代後半にパート主婦を中心に非正規労働者が増加し、非正規労働者を大量に雇用する素地ができた。その後、バブル期にも正社員はあまり増えず、非正規労働者は増加した。そしてバブル崩壊で大企業は新卒採用を大幅に減らしました。

その後の金融危機で非正規労働者はさらに増え、氷河期世代が生まれた。次のリーマン・ショックでも企業は正社員の採用を減らし、非正規に切り替えた。このように日本経済はこれまで、危機を迎えるたびに正社員が非正社員に置き換えられるということが繰り返されてきたのです。

――非正規労働が増えたことで、どんな問題が生まれていますか。

たくさんありますが、最大の問題は、日本の労働者が正規と非正規に完全に分断されてしまったということです。非正規労働の賃金では自分1人が生存するのにぎりぎりの賃金しか受け取れず、家族を養うのも難しい。家族を持てず次世代を生み育てることができない人々が構造的に生み出されるようになったというのは極めて深刻な問題です。

今後、バブル期に初めて生まれたフリーターと呼ばれる人々が高齢期を迎えて、無年金の高齢者となっていく。70歳をすぎても生活するために非正規労働者として働き続けるしかない人が多く生まれかねないのです。

橋本健二・早稲田大教授(本人提供)

――なぜこんな事態になってしまったのでしょうか。

非正規労働者の増加という形で格差拡大が放置された背景には、「日本は1億総中流の平等な国だ」という誤った認識が定着してしまったことがあります。

「中流」言説は1967年公表の「国民生活白書」にさかのぼり、70年代後半から急速に広まり始めました。当時は確かに国際的に見ても日本の格差は小さかった。しかし、80年代には格差が広がり始め、そうした指摘も多くあったのに、政府は全くそれに耳を傾けなかった。そして、90年代の終わりに、首相の諮問機関「経済戦略会議」が、「日本経済再生への戦略」という答申をまとめます。そこでは、日本経済再生のためには「過度に結果の平等を重視する日本型の社会システムを変革し」、「個々人の自己責任と自助努力をベースとする健全で創造的な競争社会を構築」することが必要だと提言します。これがその後の政府の政策の方向性を決めました。つまり、格差拡大が続き、もうここで手を打たないと取り返しがつかないというタイミングで、政府は規制緩和に大きくかじを切り、事態を深刻化させたのです。

――コロナ禍によって今後、どうなると見ていますか。

これまで繰り返されてきた、正規労働者の非正規への置き換えがもう一度やってくる可能性があります。

ただ、一方で、今は非正規労働者への置き換えが限界まで来ている。例えば、飲食店などは店長1人だけが正規で、あとはみんな非正規ということが多く、これ以上、非正規労働者の雇用を増やす余地がもう、あまりなくなってきている。そうすると、コロナで職を失った非正規労働者が、職を取り戻すことができないまま、失業、あるいは半失業者として滞留する事態を考えておかなければいけないと思います。

日本の失業統計は基準が非常に厳しく、統計上「失業者」とは捉えられていない事実上の失業者がたくさんいる。野村総合研究所は今春、コロナ禍でシフトを減らされ勤務時間や賃金が大幅に減らされた労働者が多数いるとの調査結果を発表しました。こうした統計上は表に出ない事実上の失業者や無業者がかなり増えてきているのが現状です。

――著書「アンダークラス2030」では、「根本的な対策を考えない限り、氷河期世代に起こったことは、今後のすべての世代に起こるだろう」と指摘されています。どんな対策が必要ですか。

企業はすでに人員の一定比率を非正規労働者で雇用するという経営スタイルを確立している。仮に非正規労働者の誰かが頑張って就職活動して、正規に転換できたとしても、その分を他の人が埋めるだけ。もう誰かが努力すれば正規に移動できるという個人の問題ではなく、完全に構造的な問題と言わなければならない。

短期的には、コロナ禍の中でも、氷河期世代が生まれた金融危機やリーマン・ショックのときのように新規採用を大幅に減らした間違いを繰り返さない。

長期的には非正規労働者が正規に転換できるように、正社員の労働時間を減らして、ワークシェアリングを一般化させる必要がある。ワークシェアリングを強力に進めることで、全体的に格差が縮小し、貧困問題を解決することにつながるだろうと思っています。