映画『ディア・ピョンヤン』(2006)『かぞくのくに』(2012)などで知られるヤン・ヨンヒ監督の新作ドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』が今月、韓国のDMZ国際ドキュメンタリー映画祭開幕作として上映され、ホワイトグース賞(最高賞)を受賞した。これまで家族と北朝鮮のつながりを中心に描いてきた監督だが、実は両親のルーツは韓国の済州島だ。島民の多くが虐殺された「済州4・3事件」の経験者でもある母を描いた『スープとイデオロギー』について、ヤン監督にインタビューした。

DMZ国際ドキュメンタリー映画祭は、北朝鮮と韓国を分ける非武装地帯(DMZ)に接する京畿道の高陽市と坡州市で毎年開かれている映画祭で、13回目を迎えた今年は9月9日〜16日に開催された。『スープとイデオロギー』は平日の上映も含め満席続きで、観客からは「圧倒的だった」と絶賛する声も聞こえてきた。日本では10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品され(オンライン上映はなし)、来年公開予定という。

済州4・3事件

朝鮮半島が南北二つの国家に分断される直前の1948年4月3日、朝鮮半島の南側だけでの単独選挙に反対する済州島の島民らが武装蜂起し、軍や警察の鎮圧過程で多くの島民が犠牲になった。犠牲者数は公式に認められただけで1万4千人を超えるが、実際には数万人とも言われる。

――オモニ(お母さん)が1948年に済州島で起きた4・3事件の経験者だと分かったのが、今回の映画を撮り始めたきっかけだったのでしょうか?

以前、4・3事件について両親に尋ねたことはありました。父は済州島出身ですが、「4・3の時は日本にいたし、よく分からん」と。母は1930年に大阪で生まれ、終戦前に家族の故郷の済州島へ行き、1948年に再び大阪へ戻ったのですが、「知らん知らん」と言うので、うちの両親は直接関係ないんだと思っていました。

それでも、両親が北朝鮮を支持し、朝鮮総連の活動に熱心だったのは、故郷で4・3事件のような島民虐殺があったのも影響しているだろうと思って、関連の本は読みました。読むとあまりにもイシューが大きすぎて、『ディア・ピョンヤン』や『愛しきソナ』(2011)では触れませんでした。

母が4・3事件について語り始めたのは、『かぞくのくに』の準備をしていた頃です。

『スープとイデオロギー』から ©PLACE TO BE

――何かきっかけがあったのでしょうか?

入退院を繰り返すようになって、いろいろ考えたり、思い出したりしたのかもしれません。ある時、「済州島の事件の時、あそこにいた」と言い出したんです。びっくりしました。当時済州島に婚約者もいたと言うんです。父は亡くなっているのに「アボジ(お父さん)に言ったらあかん」って。父に言ってなかったのかもしれないですね。最初はプライベートの記録として母を撮っていたのが、4・3事件の話が出てきたので、短編映画くらいにはなるかなと思い始めました。半分は娘として大事な記録を撮りながら、あと半分は監督として冷徹に素材としてどうなのか判断するんです。常に。

『スープとイデオロギー』から ©PLACE TO BE

――長編映画を作ることになったのは、後に夫となる男性の登場が大きいのでしょうか?

そうです(笑)。会って3ヶ月くらいでプロポーズされて、母に会いに行くって言うんです。内心、これはおもしろいと思いました。結婚相手に日本人はダメだと言い続けた母が、どういう反応をするのか。2人が初めて会うシーンを撮って、これは長編でいけると思いました。夫はインタビューをして記事を書く仕事をしているので、私以上に4・3事件の本を読み、母に話を聞くようになりました。娘とはけんかばかりしていた母が、婿が話を聞いてくれるのでだんだん元気になってきました。

『スープとイデオロギー』から ©PLACE TO BE

――彼が初めてオモニの家に訪ねて来た時、オモニが作ってくれたスープは参鶏湯(サムゲタン)みたいですが、ちょっと違うようです。

同じ鶏のスープなんですが、参鶏湯のようにもち米は入れず、鶏の中にニンニクをとにかくいっぱい入れるんです。母は「初対面でニンニク大丈夫かな?」って心配していましたが、彼はとっても気に入って。彼の食べっぷりに母がびっくりしていました。彼はこのスープの作り方を母に習って、逆に母に作ってあげたりもしました。

私の3人の兄は在日コリアンが集団で北朝鮮へ移住した「帰国事業」で北朝鮮へ渡り、父は2009年に亡くなっているので母は大阪で一人暮らしなんですが、夫は「一緒にご飯を食べるのが大事」と言って、私がいなくても母の家に行って泊まったりするんです。

ヤン・ヨンヒ監督=安海龍撮影

――タイトルのスープに込めた意味はそういうことなんですね?

そうです。彼が「一緒にご飯を食べるのが大事」と言った時、これが本当の「共存」のキーワードだと思いました。今のアフガニスタンの問題もそうですが、思想や宗教が違うといって争う。私たち家族はお互いを認め合って一緒にご飯を食べるまでにすごい時間がかかりました。20代の頃は、本当に父とご飯を食べなかった。盲目的に北朝鮮を信じる両親への反発がありました。でも今は、差別が厳しかった当時、北朝鮮が学校にお金を送ってくれたりして、すがりたい気持ちがあっただろうと思います。在日コリアンの歴史を掘ってみると、日本も韓国も北朝鮮も見えてくる。だからもっと大胆に議論され、調査される必要があると思います。

『スープとイデオロギー』から ©PLACE TO BE

――オモニの4・3事件の経験を知って、監督の家族への理解が深まったように感じました。

『ディア・ピョンヤン』の頃から、ナレーションで登場するヤン・ヨンヒが主役なんです。父や母を見せているというより、父や母を見ながらの私。この環境にいる私がどう思ったかというのを映画にしようと、構成を考えてきました。

――アニメーションの作業にかなり時間がかかったと聞きました。

母の10代までの写真が1枚もなかったんです。貧しかったし、大阪の空襲が激しくなる中で済州に行き、4・3事件の中で日本への密航船に乗るのに散歩のふりをして港まで歩いたので荷物は持てなかった。10代の母を描くにはアニメーションしかなかったんです。

母は自分の幼い頃の写真がなかったからか、家族で写真館に行くのが大好きでした。それが今、映画で役に立っているんです。兄たちが北朝鮮へ行く前に撮った写真がたくさんあって。

ヤン・ヨンヒ監督=安海龍撮影

――2018年、4・3事件70周年記念行事に合わせてオモニと済州島を訪れますが、オモニは1948年に大阪へ戻って初めて済州島を訪れたのでしょうか?

そうです。母は4・3事件の聞き取り調査に応じた後、肩の荷が下りたような気になったのか、認知症が急に進みました。医師から一時的なことで戻ることもあると聞いたので、済州島へ行ったら、もしかすると記憶が戻るかなって少し期待したんですが、それはあまりなかったようです。

認知症が進み、いないはずの父や兄のことを「どこに行った?」と聞くようになった母は、みんなが一緒に暮らしていた一番幸せな時期にタイムスリップしているようです。

『スープとイデオロギー』から ©PLACE TO BE

――最近のオモニはどんな様子ですか?

脳梗塞で病院で寝たきりになって、コロナ禍でなかなか会えないんですが、今夏久々に会えました。今回の音楽監督はチョ・ヨンウクという『タクシー運転手』やパク・チャヌク監督作の音楽監督を務めた方ですが、その『スープとイデオロギー』の音楽を母に聴かせたら、麻痺して動かないはずの足がメロディーに乗って動いていました。