横浜有数の歴史ある南区真金町の遊郭街のありし日の姿とは?

横浜有数の歴史ある南区真金町の遊郭街のありし日の姿とは?

<横浜のココがキニナル!>

横浜橋商店街の裏、真金町は昔遊郭だったと聞いています。遊廓を隔てる壁があったとか/遊郭の名残なのか?中央分離帯のある道がある。立派なお屋敷があるが遊郭とは関係ない?(みうけんさん/どみままさん)

<調査結果>

真金町遊郭は、1888(明治21)年から営業を開始。中央分離帯は金刀比羅大鷲神社の参道で一流の店が多く並び、遊郭は壁で囲まれていた。戦前まであった遊郭の建物は残されていない


真金町遊郭の歴史を文献で探る



投稿にある南区真金町(まがねちょう)は、活気ある商店街として知られる横浜橋通商店街の隣りに広がっている。
かつて真金町には、隣接している永楽町とあわせて永真遊郭(えいしんゆうかく)があった。今回の投稿は「その遊郭の名残はあるか」というもの。


真金町の遊郭(青矢印)があった場所(© OpenStreetMap contributors)


まずは資料をもとに、遊郭の歴史について調べることにした。
全国の遊郭や赤線跡などがまとめられている『色街百景』という文献によると、「永真遊郭」は真金町遊郭と永楽町遊郭からなり、1859(安政6)年に横浜に港崎(みよざき)遊郭ができ、その後、遊郭は移転を繰り返して、1882(明治15)年4月に高島町遊郭から、1888(明治21)年7月に真金町に移ったことが始まり。


真金町(青線)と永楽町(黄線)が遊郭街


明治時代の真金町遊郭の様子(横浜市史資料室所蔵小澤コレクション)


『色街百景』には、遊郭の規模についても書かれており、永真遊郭の広さは2万坪(約6万6000平方メートル)。港崎(みよざき)遊郭や吉原遊郭と比較すると、圧倒的に広かったようだ。

また、1893(明治26)年5月発刊の『横浜遊郭花魁一覧一名遊女姿見羞(よこはまゆうかくおいらんいちらんいちめいゆうじょすがたみしゅう)』というガイドブックによれば、貸座敷が52軒、娼婦が778人。これとは別に「ナンパナイン」などの4軒の外国人専用の妓楼もあったとのこと。これ以後、真金町遊郭は急速に発展し、1908(明治41)年には、貸座敷67軒に娼婦1463人。大正中期になると、貸座敷平均80軒に娼婦1800人を数えたそうだ。


真金町遊郭は大規模な遊郭であった (横浜市史資料室所蔵小澤コレクション)


また同遊郭街の様子について、外国人専用遊郭のきらびやかさもさることながら、郭内に60〜70軒の屋台が店を並べ、遊郭と直接関係のない屋台が並んでいた点は真金町遊郭の特徴だといわれたそうだ。屋台には素見客(ひやかし)の休憩所や相場師などの商談の場に使われた店もあり、それが人気を呼んだという。


真金町遊郭の張見世(横浜市史資料室所蔵小澤コレクション)


真金町の遊郭は横浜を代表する遊郭街として、数回の移転後、最終的に真金町に移った遊郭だった。明治・大正期ごろは、ひやかし客を歓迎する特徴的な運営が遊郭の繁栄につながり、大変なにぎわいを見せていた。



真金町に遊郭の面影を求めて



それでは、投稿にある遊郭の名残を追って、現地に向ってみよう。


横浜橋商店街(紫矢印)、真金町(青枠)、永楽町(緑枠) (© OpenStreetMap contributors)



約400メートル続く横浜橋通商店街


横浜橋通商店街から1本裏通りに入ると、金刀比羅大鷲(ことひらおおとり)神社がある。


金刀比羅大鷲神社


その金刀比羅大鷲神社の鳥居の正面には、街中に向かって草木が茂る植込みが続く。これが投稿の中央分離帯と思われる。


鳥居の正面から続く道路。中央には植込みがある


垂れ下がった柳の木が印象的だ


周辺は住宅街といった感じで、一見して遊郭だった印象はないが、神社の古そうな石柱に「遊郭」の文字が刻まれているのを見つけた。大規模で有名な遊郭があった歴史を知ると、この「遊郭」の文字に風格を感じた。


神社の塀の一番端にある柱に・・・


「遊郭」の文字が残る



真金町の住民に当時を伺う・・・キニナル続きは次のページ≫


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