日本ハムからドラフト1位指名された達 孝太投手(3年)の後継者として天理のエースを務めている南澤 佑音投手(2年)。スリークォーターからキレのある球を投げる本格派右腕で、昨秋の近畿大会では1回戦と準々決勝で完投勝利を挙げている。今春のセンバツ出場を確実にした立役者の1人であるが、そこに至るまでには様々な葛藤や試行錯誤があった。天理入学前から振り返る。

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戸井とともに台湾で自信

南澤佑音(天理)

 大阪府門真市出身の南澤は、親の影響で小学2年生の時に野球を始め、小学生の頃から投手だったという。中学では大東畷ボーイズに所属。1年生の時に侍ジャパンU-12代表のトライアウトが開催され、その運営を行っていたのが大東畷ボーイズだった。2月生まれで代表入りの資格を持っていた南澤は、周囲の勧めでトライアウトを受け見事に合格。初めて侍ジャパンのユニフォームに袖を通した。

 この時のU-12代表には、後に天理でチームメイトになる戸井 零士内野手(2年)がいた。南澤は「今とあまり変わらないですけど、野球と普通の時でオンオフがしっかりしていました」と当時の戸井のイメージについて口にする。彼らが出場した第4回 WBSC U-12 ワールドカップは台湾で行われ、台湾プロ野球でも使われる球場でプレーした。こうした経験は高校に入ってからも生かされている面があるという。

「観客が多い中で全然やったことがなかったので、県大会でも近畿大会でも最初より緊張しなくなったのかなという点では経験できて良かったと思います」

 この大会で日本は4位に終わったが、「結構、自信にもなっていますし、周りがそういう目で見てるので、自覚を持ってやらないといけないと、意識が変わったと思います」と野球人生では貴重な経験になった。

 高校進学にあたっては、大東畷ボーイズの監督が天理出身ということもあり、次第に興味が湧いてきたという。「話を聞いていくうちに天理高校で野球がしたいなと思い、その監督を超えたいという気持ちで志願しました」と進学を決意。同じく天理に進むことが決まっていた戸井とはLINEで連絡を取り合っていたそうだ。

ほろ苦い甲子園デビュー

南澤佑音(天理)

 天理では1年秋からベンチ入りした。1学年上に大エースの達がいたこともあり、「達さんを超えるなんて全然思っていなかった」と控えとして達を支えることを意識していた。

 昨年のセンバツでは達が登板を回避した準決勝・東海大相模(神奈川)戦の9回表に登板。しかし、「緊張しすぎて、全然何も覚えていない」と本来の投球はできず、暴投で追加点を奪われる結果に終わった。

 初めて甲子園を経験して、「変化球でカウントが取れなかった」という課題が明確になった。冬場は腰椎分離症で思うようなトレーニングができなかったこともあり、センバツが終わってから夏までの間は公式戦のメンバーから外れてトレーニングに専念。秋に備えて自分の能力を上げることに注力した。

 そして、満を持して秋からエースナンバーを背負った。188センチの長身右腕で達の後継者ということで注目される部分もあったが、「あまり考えずに達さんは達さんというふうにとらえて、比べないようにして、自分は自分という感じで投げていました」とあくまで自分の投球を貫くことを心がけた。

 しかし、すべてがうまくいったわけではなかった。(後編へ続く)

(記事:馬場 遼)