【独白 愉快な“病人”たち】

 やよいかめさん(漫画家)
  =副鼻腔がん

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 2017年、風邪で鼻水が止まらなくなって「蓄膿症かな」と思っていたら、なんと「副鼻腔がん」でした。

 夫が転勤の多い仕事で、その年も岩手から福島に転勤が決まり、引っ越し準備にあわただしい頃でした。鼻水や鼻づまりが治らないことで市販の鼻炎薬を飲んでいたのですが、なかなか良くなりません。耳鼻科はいつも混んでいるイメージがあり、時間的に余裕がないのを言い訳に引っ越し準備を優先させてしまいました。

 結局、耳鼻科に行ったのは、引っ越しが一段落し、症状が一段と悪くなって眠れない夜が続くようになった頃です。近所の耳鼻科では鼻炎の薬を処方されました。でも改善せず、再度診てもらうと「鼻茸がある」と言われました。鼻茸は粘膜が炎症して瘤のようになったもので、特に珍しいものではありません。「切除しましょう」と、大きめの病院を紹介されました。

 まず組織をとって検査することになり、先生に「目をつぶってください」と言われました。麻酔をしてしばらくすると鼻から何かの器具を入れられ、「ちょっと切るんだろうな」と思っていたら、次の瞬間、カン! という脳に響くような衝撃があり、びっくりしました。もちろんすごく痛かった。

 1週間後、結果を聞きに行くと、診察室に入ってすぐ「悪性の腫瘍が見つかりました」と告げられました。「がん、ですか?」と聞くと、「そうです」と返ってきて、その瞬間に時間が止まりました。

 叔母と父親をがんで亡くしているので、自分もがんで死ぬのか……とショックを受けました。と同時に、2人の子供のことを思いました。まだ小学校の低学年と中学年です。「ここで私が死ぬわけにはいかない」と、強い気持ちが湧いてきました。

 夫の親戚に医療関係者が多いので、福島の評判の良い病院を聞きまくって、耳鼻科のレジェンドと言われる医師のいる病院に入院しました。入院にあたって、子供たちには本当のことをきちんと話しました。隠すことで家族を信用できなくなるのが一番よくないと思ったからです。すると、「さびしくても僕たち頑張るから、お母さんは早く病院へ行って治して」と言ってくれました。

■切開手術で顔が変わるのが怖かった

 治療は、放射線と抗がん剤でがんを小さくしてから外科的手術をする段取りになりました。放射線は全30回。10回目が済んだところで、動注化学療法といって足の太い血管からカテーテルを患部まで通してピンポイントでがんを叩く抗がん剤治療をしました。周囲へのダメージが少ないことが利点です。

 ところが、その動注化学療法をした夜に、突然、大嘔吐をしてしまいました。どうやら血管やカテーテルを見やすくするための造影剤にヨードが含まれていて、その成分にアレルギー反応を起こしてしまったようです。1000人に1人の確率に見事に当たってしまいました(笑)。次に同じアレルギー反応を起こしたら命に関わるかもしれないので、もう私はカテーテル手術ができない体です。

 残りの放射線を受けたあとに、2回目の抗がん剤治療を受けました。ヨードアレルギーのため普通の点滴になりましたが、無事にがんが小さくなってくれたので内視鏡手術が可能になりました。もし、がんが小さくならなかったら切開手術を免れませんでした。レジェンド先生は、切開のほうがより深く取れるので安心だとオススメしてくれたのですが、やはり顔が変わるのは怖かったんですよね。

 じつは、その手術でも大ハプニングがありました。全身麻酔だったのに手術直後からうっすら意識があり、変な息苦しさを感じました。訴えたいけれど体は動かず、声も出せません。麻酔の切れかけで覚醒と朦朧を繰り返す中、病室でふと意識が戻るとやはり息苦しい。「これはやばい」と思って、動くようになった手で猛烈にナースコールを連打しました。でも声が出ないので、駆けつけた看護師さんは、せん妄(麻酔から覚めかけに起こる混乱状態)だと思ってわかってもらえません。

 いったん意識が落ちて再び気づいて、またナースコールを連打し、「センセイ!」と声を絞り出しました。やっと先生に診ていただいた結果、止血のために鼻に詰めていたガーゼの端が喉の方でヒラヒラし、息を吸うたびに喉に張り付いていたのです。処置をしてもらうとウソのように息が通り幸せな気持ちになりました。

 あれから5年以上が経ち、今は寛解状態です。

 副鼻腔がんは見つかりにくいので、見つかったときには目や脳に転移しているケースもある病気です。私は早く見つけられたので、寛解までたどりつくことができました。

 人生まだまだ時間があると思っていたけれど、そうではないかもしれないと思えたことで、それまで休止していた作家活動を再開しました。趣味だったイラストを改めて勉強し、今は絵を生業にしています。巡り巡って、このたび中学校の美術の先生もやることになりました。

 病気は怖いけれど、おびえて暮らすのはもったいない。今は半年に1回検診を受けながら、人生を楽しんでいます。

(聞き手=松永詠美子)

▽やよいかめ 兵庫県出身。美術大学の陶芸科を卒業し、大学デザイン科の副手(職員)や青年海外協力隊員を務めた後、陶芸家として活動している時期に結婚。転勤の多い夫と子育てに追われる中、病気を経てコミックエッセーをSNSに投稿するようになり、イラストや漫画などを手掛けるようになった。漫画「鼻腔ガンになった話」(KADOKAWA)、「続 鼻腔ガンになった話 未来への道」(KADOKAWA 電子書籍)がある。