トップ画像はひろスポ!アーカイブから、広島市の舟入幸町電停付近を駆け抜ける1964東京五輪の聖火

 

 

 

1964年9月20日、大竹市で山口県から広島県にリレーされた聖火は宮島を右手に臨む国道2号線を東進、広島市に入り広島県庁に到着した。

 

翌21日は、原爆の投下目標とされた相生橋を渡って原爆ドームの横を通過、広島市内を駆け抜けた聖火は国道54号線を北上して竣工したばかりの赤名トンネルを抜けて島根県へと進んだ。

 

被爆19年目の広島市は50万都市に成長。聖火ランナーを見守る市民の中には子どもたちも大勢いた。

 

 

その時のことを肌で感じた記憶は大人になってからどうなり、今はどうなのか?

 

大切なのは聖火ランナーと同じ時間に同じ空間にいたこと。

 

残念ながらリモートは原体験にはなりえない。

 

 

前日(16日)、広島県は緊急事態宣言下となった。

 

広島市南区の広島市郷土資料館では前回の聖火リレーを回顧する企画展「沸き立つ!昭和39年−57年前の広島−」を15日に初めて翌日から臨時休館になった。

 

きょう2021年5月17日、広島にとっての”戦後”2度目の聖火リレーの日は朝から雨。

 

しかも昼のNHKニュースは 19、20両日に岡山県である聖火リレーで、女子マラソンの五輪メダリスト有森裕子さんが参加を辞退したことを報じた。まさに広島で平和祈念公園内リレーが始まろうとしていたそのタイミングで、だ。

 

 

広島のゴールデンウィークといえばフラワーフェスティバル。実質的には中国新聞の企画運営によるこの一大イベントもリモート開催だった。

 

旧広島市民球場跡地の無観客の特設ステージで演技した子どもたちは、どんな思い出作りができたのか?

 

 

旧広島市民球場跡地正面からエスカレーターで地下街シャレオに降りると、まさにシャッター街が広がっている。

 

片側は6区画連続でシャッター。もともと人気(ひとけ)の少なかったシャレオ西通り。カープ球団が2008年シーズンを最後に移転したあと「跡地」を広島市がそのまま放置しているうちにシャレオの足腰は一気に弱り、コロナ禍によって止めを刺されたかっこうだ。

 

市民が近寄れないクローズドの会場でのフラワーフェスティバルのステージ上での賑わいと、100万都市の地下街の惨憺たる状況は、まさに今広島が抱えている問題を映し出す鏡のようだ。流川・薬研堀地区を中止にバーやスナック、飲食店の廃業が雪崩のように起こっている。

 

「57年前」の広島と今の広島。また聖火は確かにやってきてくれたし、原爆慰霊碑や原爆ドームも聖火リレー(トーチキス)を見守ってくれていたが、やはり無観客で沿道からの歓声も人々の興奮も笑顔もない世界…

 

 

広島に2度の聖火がやって来た。その事実は残る。あとは広島の未来を担うこどもたちがどう受け止めてくれるか…

 

 

今回の最終ランナーは、戦後復興を目指す市民の希望の光だったカープの歴史にその名を刻んだ新井貴浩さん。

 

カープファンに夢と感動を与え続け、2008年の北京五輪の舞台にも立った新井貴浩さんから、子どもたちに向けたメッセージ…

 

「広島という狭い土地に、たくさんのプロスポーツがある環境、スポーツが身近な環境を子どもたちには誇りに思ってもらいたいですね。そして、みんなで楽しく明るく夢に向かって頑張って欲しい。なかなかこんな環境はないのだから…」

 

(広島スポーツ100年取材班)