トップ画像は1995年9月に発刊されたスポーツニッポン新聞社「Blue Wave V1への道」

  

どこにも書かれていない高津vs中嶋、秘話?…ヤクルトとオリックス日本シリーズ勝ったのはマツダスタジアム9勝1敗でリーグ優勝決めたヤクルト…


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SMBC日本シリーズ第6戦は延長12回、5時間ジャストの熱戦の末、ヤクルトが2対1でオリックスを振り切り日本一の座についた。

 

 

ひろスポ!では今シリーズを…

 

 

ヤクルトvsオリックス日本シリーズは高津vs水本、梵…の”広島対決”勝つのはどっちだ?
(2021年11月12日掲載)

 ※この記事下、関連記事参照

 

…として取り上げてきたが、勝ったのは広島生まれ、広島育ちの高津監督だった。

 

 

だが、ヤクルト日本一翌日の11月28日、例えば地元の中国新聞ではその高津監督について特別なことは触れていない。これは広島スポーツ界にとっても大きな出来事だ。

 

 

広島のかつての四番、新井貴浩さんら多くのプロ野球選手を輩出してきた広島工出身の高津監督。だが高校時代は控え投手でせっかく甲子園に出てもマウンドを踏んでいない。当時の「県工エース」は上田俊治さん。現在は地元の中国放送営業畑でその“剛腕”を振り続けている。

 

 

亜大進学後、高津監督はリーグ戦通算40試合に登板するまでに成長したが、卒業後の進路は内定をもらっていた三菱重工広島だった可能性もある。広島の社会人野球の名門は2020年12月、その活動を終了して75年間の歴史に幕を下ろしている。

 

 

ヤクルトで現役生活をスタートさせた高津監督のその後の歩みについてここでは割愛するが、その積み重ねが今回の日本一につながったことになる。

 

 

その原点が広島工からも近い出身中学、段原中のある段原地区。マツダスタジアムのコンコースから見渡すことのできるエリアだ。旧広島市民球場で山本浩二、衣笠らに声援を送った高津監督とカープとは切っても切れない関係にある。

 

 

今季のヤクルトは広島に14勝8敗3分けと勝ち越した。リーグ優勝決定後に2敗しているから実質、14勝6敗だった。しかもその内訳はマツダスタジアムで9勝1敗1分け。勝率9割…。段原地区と同じ空の下で戦うマツダスタジアムがよほど性に合っているに違いない。

 

 

ベンチワークでも最後までヤクルトと競り合ったオリックスベンチ。ファンに“神戸帰還”を約束して第6戦勝負に持ち込んだ中嶋監督は延長十二回、1点を追う一死一塁の場面でその背後に梵打撃コーチを、左手前に水本ヘッドコーチを従えていた。だが、過去2度、代打でマクガフ攻略を果たしていたジョーンズを九回に使っていたことで、高津監督の勝負手を崩すことができなかった。今季、一度もイニング跨ぎのなかったマクガフに2回3分の1を投げ切られ、オリックスの日本一が消えた。

 

 

高津監督を“苦労人”の一言で片づける訳にはいかないのだろうが、中嶋監督もまた幾多の経験を積みこの舞台に立った。象徴的なエピソードがある。

 

 

1995年、震災の街に強烈な熱気と感動を吹き込んだ仰木オリックスのリーグ優勝。メディアはこぞってその偉業を取り上げた。

 

 

スポーツニッポン新聞社も「Blue Wave V1への道」という特別誌を発刊した。スポニチの紙面でその足跡をまとめた一冊だ。そこには121日分のその日の紙面トップの見出しが紹介されている。当然ながら「イチロー」が大半を占め、あとは「強肩田口」「長谷川完封」「平井締めた」「佐藤鉄人だ」「仰木通算500勝」などなど…。この年、四番や五番を打つことも多かった「キャッチャー中嶋」は一度も見出しになっていない。

 

 

だいたい中嶋監督の記事をこのシーズン、書いた記憶がない。そう、この一冊に記録された記事の何割かは、のちに「ひろスポ!広島スポーツ100年取材班」となる記者により執筆されている。

 

 

同誌裏表紙には優勝瞬間のオリックスナインを撮影した一枚が掲載されている。そこに中嶋監督の後ろ姿が映っている。「イチローのオリックス」とはそういうものだった。そして冒頭の画像の冊子の裏表紙には、イチローさんの直筆サインも残されている…

 

※画像はひろスポ!でご覧ください
「Blue Wave V1への道」の裏表紙、イチローさん直筆サイン入り

 

中嶋監督がどうして水本ヘッド、梵打撃コーチを新たにチームに迎え入れたのか?その答えが今シリーズでの最後のオリックスベンチの“表情”の中に凝縮されていた。

 

 

水本ヘッドが広島時代に残したインタビューは極めて少量で、またオリックスに移籍後も梵打撃コーチとともにやはり黒子に徹している。

 

 

その水本ヘッドは、広島時代、自身をブルペンキャッチャーから指導者への道に引っ張り込んでくれた前広島監督、三村敏之さんに対する感謝の言葉を再三、口にしている。

 

 

残念ながら三村さんは2009年11月に帰らぬ人となったが、その訓えはおそらく今シーズン、数多くの場面で生かされたはずだ。

 

 

「ミズ、よく頑張ったな、あともう少しだったな」

 

 

そんな三村さんの声が聞こえてきそうなオリックスの戦いぶり、だった。

 

 

三村さんは山本浩二さんらと1975年の広島初優勝を成し遂げた「カープV1戦士」のひとり。…ということは、高津監督は幼少のころ、旧広島市民球場のスタンドから憧れの存在として見てきた“三村野球”とも戦ったことになる。

 

 

道理でなかなか決着がつかないはず、である。三村さんの母校は広島商。“広島野球”同士、そのDNAが史上稀に見る勝負の根底に存在した、とそういう考えも成り立つのではないか…(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)

 

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