トップ画像は広島新サッカースタジアム建設準備工事の進む現地に掲げれた完成予想図など(1月20日撮影)

 

中止となった広島新サッカースタジアム起工式1月26日は「サッカーの日」、似島と戦争と平和と日本サッカー100年の歴史


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1月26日に広島市中区の中央公園広場で予定されていた新サッカースタジアムの起工式が中止となった。1月21日、建設・設計を担当する大成建設中国支社など8社で構成される企業グループ(JV)が発表した。式には広島市の松井一実市長、湯崎英彦知事の参加も予定されていた。起工式の代わりにJVの関係者のみで安全祈願を行う。

 

 

 

表には出ていないが、1月26日は広島と日本サッカー界にとって特別な日だ。8月6日と合わせて、知っておくべき数字なのである。平和な世界を願うために、だ。

 

 

 

1914年、第一次世界大戦勃発。この近代戦争はそれまでの戦場とは比べものにならない災いを世界にもたらした。1917年(大正6年)2月、大阪収容所のドイツ軍捕虜が似島(現在の広島市南区)へ移された。大阪収容所時代に結成されたサッカーチームの面々も、瀬戸内海に浮かぶ小さな島で新たな収容生活を始めた。

 

 

 

1919年(大正8年)1月26日。広島高等師範学校(現在の広島市中区千田町に設置され、教育県広島の中核として広島大学へと姿を変える)のグラウンドで、日本初と言われるサッカーの国際親善試合が行われた。

 

 

対戦したのは広島高等師範学校、広島県立師範、高等師範付属中、県中(広島県立広島中学、大正11年から広島一中、現在の国泰寺高校)の生徒たちの合同チーム。1試合目5−0、2試合目が6−0。この時、高等師範学校の主将を務めた田中敬孝※はその魅力、その強さに惹きこまれて日曜日ごとボートを漕いで似島に渡りサッカー技術の指導を受けたと伝えられている。

※田中敬孝の中学時代の同期に日本サッカー協会第4代会長の野津謙もいた

 

田中敬孝は1920年(大正9年)に卒業後、母校である広島中学校の英語教師に赴任、サッカー部を指導した。ドイツモダンサッカーを手本として広島中学は瞬く間に強くなった。翌年(大正11年)には、全国中等学校蹴球選手権大会(現在の全国高校サッカー選手権)で4連覇中だった御影師範を関西中等大会の決勝で倒すまでになった。

 

私立修道中学校が広島中の好敵手となった。互いにOBがグラウンドにやってきて後輩たちを“しごき上げる”という図式。他の強豪校も両校に追随した。サッカー王国広島の黎明期。その時代を知るOBの話によれば「みんなあと何分、あと何分と試合が終わるまで泣き泣きサッカーをした」という具合だった。

 

 

1922年(大正11年)、広島県立広島第一中学校(広島一中)に校名が替わると、第9回(1925年)、10回(1927年)、13回(1930年)の全国大会で準優勝。1936年と1939年の第18回、第21回大会で全国の頂点に立った。

 

 

だが全国大会は翌22回大会を最後に1941年から1945年までは行われていない。日本は1941年12月、真珠湾攻撃など太平洋戦争に突入した。

 

 

1921年9月10日に創立された日本サッカー協会は2021年、記念すべき100周年を迎えた。広島県サッカー協会は広島に新スタジアムが完成する2024年に100周年を迎える。そして、サンフレッチェ広島のチームカラーは国泰寺高校のスクールカラー…

 

 

日本サッカー、そして広島サッカー100年の歴史にとって、1月26日とは“そういう”日で、もしも「サッカーの日」が制定されるなら1月26日ということになる。(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)