画像の手前はかつてカープ本拠地だった旧広島市民球場跡地、ここに森保一監督は新スタジアムを建設するのがベストだと考えていた、現在はスタジアムとは性格の異なる物販・飲食・サービス店舗、イベント広場、大屋根などを建設中。そして画像の奥に新サッカースタジアム建設のクレーンが確認できる。わざわざ広島市はスタジアムを平和の地から遠ざけたことになる、11月にひろスポ!撮影

 

ドーハの悲劇から29年、ドーハの歓喜×2で12月7日に帰国した日本代表チームと、代表担当メディアほか関係者を除きただひとり悲劇→歓喜を経験した森保一監督を待っていたのは、前回とはまったく違う、成田空港での「ブラボー」過ぎる出迎えと「ポイチ特需」(夕刊フジ)だった。

 

 

こうなってくると、もう何でも記事になる。

 

 

きょう8日の岸田文雄首相への表敬訪問での「ノート交換」は、もうお約束の展開?でネットニュースなどが即報じた。

 

 

ひろスポ!は「広島ローカル」メディアなので、この展開だとどうしても記事にしておかないといけない話が頭をもたげてくる。

 

 

岸田文雄首相の就任は2021年11月10日で、森保一監督の五輪代表、フル代表監督就任よりあと。しかしそれまでも、ずっと「首相候補」であり続けていたから、地元広島の期待大で、みんなから信頼され、大いに頼りにされてきた。

 

 

で、まだ森保一監督がサンフレッチェ広島で指揮をとっていたころの話だ。

 

 

Jリーグ誕生当初(1992、3年)から声が上がっていた「広島のサッカー専用スタジアム建設」がいっこうに日の目を見ないため、森保一監督が懸命にその道筋をつけようと奔走していた時期があった。

 

 

長崎、広島を知る森保一監督は、原爆ドームがスタンドから望める旧広島市民球場跡地へのスタジアム建設案をイメージしており、ある時、広島市内であったイベントで当時、外務大臣だった岸田氏にそのことを直訴した(はずだ)。

 

 

…が、手ごたえなし…

 

 

…というのも肝心の広島市がスタジアム建設に極めて後ろ向きだったから、岸田氏もそんな地元の状況では動きようがない?

 

 

広島市の松井一実市長は、あろうことかその当時「3度優勝したら、スタジアムを考えてもいい」と森保一監督に面と向かって(たぶん会食の場で)伝えていた。市民のための公共施設とプロ競技団体の順位をごっちゃまぜにした、そんな“条件”聞いたことがない。

 

2012年就任1年目でサンフレッチェ広島をJ1優勝に導いた森保一監督は13年も首位横浜F・マリノスを猛追!すると12月に地元メディア主催の会合に出席した松井一実市長が「サンフレッチェ広島は2位でいい」と。とんでもないことを言い放ったのである。

 

 

 

…結果、逆に奮起したサンフレッチェ広島逆転優勝!さらに2015年もJ1優勝で「3度」達成。ところがそれでも、その時点でスタジアムは建設場所すら決まっておらず、けっきょく森保一監督は2017年7月、サンフレッチェ広島監督を解任された。そして多くの選手がスタジアム建設を口にしながらチームを離れて行った。(スタジアムは2019年2月に建設場所が決まり、現在、2024年春竣工目指して建設中)

 

 

 

広島のサッカースタジアム問題は常にドタバタだったが、ドタバタなら岸田内閣も負けてはいないかも?安倍元総理大臣の「国葬問題」に端を欲し、旧統一教会”事件”への対処の甘さや、大臣辞任ドミノで支持率はとっくに危険水域。

 

 

来年5月のG7広島サミットは岸田内閣の最重要課題だし、地元広島でも着々と受け入れ準備や市民レベルの活動も広がりを見せているが「それまでもたない」の声がもっぱら、という苦しい状況だ。

 

 

前日7日には、カープの新井貴浩新監督が松井一実市長を表敬訪問。「カープは広島の象徴でもあり、戦後復興の希望でもあり、また広島の宝でもあると思います。そのカープを率いて来シーズン戦うことを考えると、今から私自身わくわくが止まらないですし、しっかり頑張って行かないといけないという気持ちでいっぱいです」とあいさつしたのに、そのあとの市長トークは「平和」「復興」「子どもたちの夢や希望」とはまったく無縁の内容だった。

 

 

松井一実市長は現在会期中の広島市議会で来年春の市長選立候補を表明するだんどりになっているが、スポーツ文化平和都市のトップとして、その資格はないとこの場で断言しておく。

 

 

森保一監督はと言えば、カタールに向かう直前まで「日本国民のみなさん」に共闘を呼び掛け、個人的につながりのある人々にもメールやラインで「共闘を」と伝え、帰国してからもやはり全国民に頭を下げ感謝の言葉を述べ、そうした自然な振る舞いが「ポイチ特需」を誘発している。

 

 

今、「日本国民」に森保の支持率を問うたら、岸田内閣比で結果はどうなるか?

 

 

まとめると、森保一監督は2012年のサンフレッチェ広島での監督業スタートから一貫してスタンスを変えず、ピッチ内外で広島に、日本サッカー界には何が必要か、というスタンスでブレずに追求してきた“だけ”の話であり、その結果、その存在は市長レベルでは遠く足元にすら及ばず、日本の総理の「メモ」をもしのぐ”メモ”リアルな風景(1ミリの奇跡や空を向いた折り鶴や選手を抱きしめる姿…ほか多数)を国内外に提供したことになる。(ひろスポ!W杯取材班&田辺一球)