画像は試合後、迫田穆成監督の話を聞く竹原の選手たち

 

 

迫田穆成さん死去のニュースは12月2日付の各紙なども大きく報じた。

 

 

ひろスポ!では長らく「野球がないと私は生きてはおられない」が口癖だった迫田穆成さんの“野球観”の一部を綴ってきた。

 

 

以下、現福山高校監督の迫田守昭さんとの「迫田兄弟」での“激闘”や、迫田穆成さんとともに最後の戦いに挑んだ竹原の人々の熱い思いなどを時系列で掲載する。


※この記事下、関連記事参照、なおひろスポ!では2015年夏からの迫田野球に関する記事を多数、紹介してますのでぜひご覧ください。

 

 

「高校3年時に広島市民球場完成、一緒にプレーした仲間にはケロイドをやっている者もおりました」高校野球100年、迫田穆成氏が語る戦後70年目の広島の夏(前編)(2016年7月13日掲載)

 

 

「球児や市民が平和を嗅ぎ取れるマツダスタジアムで、高校野球やアマチュア野球が元通りできる環境を」高校野球100年、迫田穆成氏が語る戦後70年目の広島の夏(後編)(2016年7月13日掲載)

 

 

……

 

 

第1回大会から100年、高校野球広島大会の頂点に立つのは広陵か、新庄か、如水館か、それとも…(2015年7月9日掲載)

 

 

広島野球の伝道師、迫田守昭監督の広島新庄、夏の甲子園初勝利
(2015年8月7日掲載)

 

 

崇徳、広陵、広島商、新庄らライバル校を抑え5年ぶりの夏、目指す如水館・迫田穆成監督(77)と高校野球100年(2016年7月13日掲載)